ろごするーむ

聖書のみことば と 祈り
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復活祭の祈り

2009-04-12 16:19:01 | 今日の祈り
御子イエス・キリストを、死者の中から復活させられた聖なる天の父。
復活の光に照らされた喜びと希望のうちに、あなたへの讃美を歌います。

 あなたは御心に背いたアダムの罪を、十字架のキリストに負わせることを良しとされ、罪と死との呪いを御子イエス・キリストの十字架の死によって打ち砕き、信じるすべてのものに、罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださいました。ただ虚しく、深い闇でしかなかったわたしたちの死も、病も、嘆きも、十字架のキリストに担われ、望みの光によって照らされました。
 はじめの日に「光あれ」と仰せになったあなたは、自らの犯した罪のために滅びへと向かうわたしたちを、決してお見捨てになることなく、混沌とした闇から救い出し、あなたの光の中に、救いの喜びの中に生きることを望んでくださいました。深い感謝をもって御前にぬかずくわたしたちを憐れみ、貧しい讃美と感謝を、またわたしたち自身を、受け入れてください。

 御子の血によって教会を贖い、神の民を一つに集めてくださる神よ。
 御子のご復活を祝うこの日、洗礼によって新たに神の民に加えられる者をかえりみ、御心にとめてください。洗礼によって御子の死に結ばれたわたしたちが、その復活にも結ばれますように。
 キリストのからだである教会に集うあなたの民を、聖霊によって導いてください。主のお言葉の通り、教会に平和をお与えください。神の民の祈りを聞き、病める者に癒しを、傷つき悲しむ者に慰めを、困難の中にある者にすみやかな助けをお与えください。教会に集うことの適わない兄弟姉妹、信仰生活から離れていった者一人一人、それぞれが祈りのうちに覚えるすべての者をかえりみ、あなたの慈しみ深い御心のうちお守りください。
 また、プロテスタント日本伝道150年を迎えた日本の諸教会が、いよいよ聖霊の力に強められて、復活のキリストをのべ伝えていくことが出来ますように。

 いのちの源である神よ。世をさった全ての聖徒を御心にとめてください。御子を復活させられた父である神よ。御子の復活を信じるわたしたちの信仰を強くし、恐れることなく、望みのうちに、与えられたいのちを生き、また永遠のいのちを生きる者とならしめてくださいますように。

 わたしたちは御言葉を待ち望み聖霊の導きを祈ります。恐れおじ惑い、戸を堅く閉じた弟子たちのものに復活のキリストが臨み、御言葉を与えて下さったとおり、いまこの所に親しく臨み、あなたの御言葉を聞かせてください。
 世の救い主、わたしたちの復活の希望、また喜びの源となられた、御子イエス・キリストによってお祈りいたします。アーメン


こどものための復活祭メッセージ

2009-04-12 16:14:57 | 子供の説教
イースターおめでとうございます。

今日は何のお祭りなんでしょうか。
わたしたちは何をお祝いするために礼拝をしているんでしょう。
イースターというのは、日本語では復活祭と言います。復活をお祝いするんですね。
誰の復活をお祝いするんでしょうか。それはイエス様のご復活をお祝いするんですね。

 十字架におかかりになって、十字架の上に死なれたイエス様は、アリマタヤのヨセフという人が用意したお墓にうめられました。ところが、今日、日曜日の朝のことです。マリアたちが墓に行って見ると、イエス様の葬られたお墓をふさいでいた大きな石が転がしてあって、中にイエス様はおられなかった。そこには白い衣を着た神様の使いがいて、マリアたちに言いました。「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」
 イエス様は十字架で死なれて、お墓に葬られた。うめられたわけですね。
 だけど、日曜日の朝、マリアたちがお墓に行って見ると、お墓は空っぽで、イエス様はそこにおられない。そこには神様の使いがいて、マリアたちに言いました。「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」

 死んだはずのイエス様を、父なる神様はお見捨てにはなりませんでした。父なる神様は、十字架に死んでお墓に葬られたイエス様をいのちに呼び出してくださいました。
 十字架に死んでくださったイエス様が、死なれたのにですね、父なる神様にいのちを与えられた。わたしたちはそのことをお祝いするんですね。
 
 クリスマスにわたしたちは、ベツレヘムの馬小屋にお生まれになった、赤ちゃんイエス様のお誕生をお祝いしました。
 今日、イースターの日にわたしたちは、死んでお墓に葬られたイエス様が、父なる神様によっていのちに呼び出された、復活させられたそのことをお祝いしているんですね。

教会のお祭りはいのちのお祭りです。
いのちに満ちて生きておられるイエス様をお祝いするんですね。

 普通、わたしたちの知っているお祭りっていうのは、沢山の収穫があった秋に、その収穫を喜んでお祭りをしたり、お正月には新しい年が来たからといってお祝いをしたりしますよね。
 でも教会のお祭りはちょっと違うんですね。沢山の食べ物やいいことがあったことを喜んでお祭りをするのではないんです。
 では、何を喜んでお祭りをするんでしょうか。それは、いのちを喜んでお祝いをするんですね。イエス様がお生まれになった。イエス様が復活させられた。このイエス様がいのちに満ちて生きておられる。だからお祝いをするんです。

 ただイエス様が生きておられることだけをお祝いするのではありません。イエス様にいのちをお与えになった父なる神様は、わたしたち一人一人にも、いのちを与えて下さっていて、それをとても喜んでくださっている。みんなのいのちを心から慈しんでくださっている。大切にしてくださっているんですね。だから、みんなのいのちが失われてはいけない。滅びてはいけない。そうお望みになって、イエス様の十字架によって、わたしたちの罪を赦して、わたしたちがたとえ死んでも、イエス様をいのちに呼び出してくださった神様は、わたしたちを、みんなのことをも、いのちに呼び出して下さるのです。

 みんながお母さんから生まれてきた日、お父さんやお母さん、家族のみんなは何ていってお祝いしてくれたでしょうか?きっと「おめでとう」と言ってお祝いしてくれたと思います。イエス様のご復活を「おめでとう」と言ってお祝いするわたしたちは、そのイエス様から永遠のいのちを頂いて、神様から「おめでとう」と喜ばれている一人ひとりなんですね。
 イエス様が生きておられるというのは、わたしたちも生きるようにという父なる神様の御心です。与えられたいのちを楽しく喜んで生きるように、そして自分のいのちの終わりを迎えるときには、イエス様に罪を赦されて、永遠のいのちを頂いて、また神様によって生かされるように、そう父なる神様は望んでくださっているんですね。

 復活されたイエス様は、いつもみんなと一緒にいてくださって、みんな一人一人のことをお守りくださいます。わたしたちを大切にし、何よりも心にかけてくださるイエス様に感謝して、毎日を大切に生きて生きたいと思います。