ろごするーむ

聖書のみことば と 祈り
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子供説教「いなくなったひつじ」

2008-03-11 12:37:01 | 子供の説教
「小さい羊が家を離れ」という讃美歌を知っていますか? 今年も何度か礼拝で歌いました。僕はこの子供讃美歌が大好きです。どういう歌だったか覚えていますか?
こんなおはなしです。

小さい羊が家を離れて遊びにいった。すると綺麗なお花畑や、おもしろいことが沢山あって、あっという間に一日が過ぎて、気がつくと辺りは暗くなってしまっていた。一匹の小さな羊は、羊飼いのもとを離れて、迷子になってしまっていたのです。帰る道がわからなくなって、悲しそうに泣いています。優しい羊飼いさんの声が聞こえない。仲良しのお友達もいない。この小さな羊は悲しくて寂しくて鳴いているのです。
そのころ、一日の仕事を終えて羊飼いは、一匹二匹・・・と羊を数えながら羊を家につれて帰ります。すると、何度数えても一匹足りないのです。大変です。迷子になったと気づいたのです。あの小さな羊の一匹がいなくなってしまった。
羊飼いは暗くて寒い夜がもうすぐにやってくるという中を、杖を手に取り、用意をして、この一匹の羊を探しに野原に出て行くのです。羊飼いは必死で探します。「おぉーい!!」もう辺りは真っ暗です。
羊飼いのもとを離れて、迷子になった羊は暗闇が迫ってきて、怖くて、悲しくて、メェメェ泣いています。どんなに寂しかったでしょう。真っ暗な夜、お家に帰る道がわからなくなって、どこかわからない所でひとりぼっち。もし私たちがそうだったら、きっと怖くて、悲しくて、何も出来なくて、立ち尽くして泣いてしまうかもしれません。

優しい羊飼いさんは、必死で探します。お花畑も、楽しい広い野原も、お昼ご飯を食べた草っ原も・・・。でも迷子の羊はいません。羊飼いはおもいつきました。あの暗く深い谷に落ちたのかもしれない。岩だらけで、危険な誰も近寄らない谷があったのです。
羊飼いは一歩一歩その谷に降りていきます。大声で羊の名前を呼ぶのです。
すると、遠くから、小さな泣き声が聞こえてきました。メェメェ・・・。
優しい羊飼いは、すぐに気づきました。私の大切な小さな羊。あの羊の声に間違いない!!
羊飼いは大急ぎで迷子の羊のところにかけて行き、急いで腕に抱き上げました。
迷子の羊は優しい羊飼いに会えた喜びで、こころがホッとしました。嬉しくなったのです。
羊飼いはこの迷子の羊を大切に腕に抱いて、お家に連れて帰ってくれたのです。


皆さん。この羊は誰でしょうか? 
それは、みんなのことです。この羊に名前をつけるのなら、みんなの名前をつけてあげてください。花ちゃん羊さん。太郎君羊さん。みんなの名前を入れた羊さんです。
どうしてこの迷子の小さな羊が私のことなのでしょうか。

イエス様は教えて下さいました。
私たちは神様につくられた、神様のもとにいるはずの、神様の大切な子供たちです。
ところが、この迷子の羊のように、羊飼いである神様のもとを離れて、楽しい野原、綺麗なお花畑、自分の好き勝手な方向へ向っていって、神様のもとを離れて行ってしまった。良い羊飼いであるイエス様のもとを離れて、自分勝手に生きている。それが迷子の羊さんなんだよと仰います。
しかし、そういう迷子の羊さんをイエス様はお見捨てになりませんでした。迷子の羊さんである私たちを救うために、イエス様はこの世にこられたのです。

教会や教会の絵本などを見ると、よくイエス様が羊を抱いておられる絵があります。それは、この聖書のお話しを描いたものです。
有名な詩編にこのようにあります。
主はわたしの羊飼い。わたしには何もかけることがありません。

聖書は、イエス様はわたしたちを本当に大切に養い、育てて下さる羊飼いであるといいます。わたしたちはイエス様の羊です。良い羊飼いであるイエス様は、自分のいのちよりも、わたしたちを大切に思ってくださるのです。イエス様はわたしたちのためになら、自分のいのちさえ惜しくないと思われるほどに、わたしたちを大切に思ってくださるのです。
良い羊飼いであるイエス様は、迷子のわたしたちを探し出して下さいました。
イエス様のおそばで生きて生きたいと思うのです。

お祈りしましょう。            
よい羊飼いであるイエス様。
あなたがいつも、わたしたちのことを大切に思って下さる、良い羊飼いでいらっしゃることを感謝します。どうかイエス様のおそばに、いつも私たちをいさせて下さい。
イエス様のお名前によって、お祈り致します。アーメン