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主が共におられる(詩篇23)

2006-08-14 12:42:37 | 詩篇小説教
詩篇23【賛歌ダビデの詩】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまるであろう。
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「詩篇の真珠」とも言われるこの23篇は、多くの人に愛され、多くの人を力づけてきました。しかし、それはただ綺麗な田園の牧歌的雰囲気とも思える、詩の美しさがそれをしてきたのではありません。死の影の谷を経験し、義しい道がわからなくなるような中で、災いが降りかかり、敵を前にするような現実の生活の中で、「あぁそうだ。主こそ私の牧者なんだ。主こそが、わたしと共にいて下さる私の羊飼いなのだ。」と気づく。そのような日々の歩みの中からこそ生まれてきたのです。この神への信頼こそが、この詩篇23編の中心を貫いているのです。
この神への信頼は、この世を歩む間だけの慰めではありません。神への信頼、そして主がわたしたちの羊飼いであるという事実は、帰るべき主の家、天のみ国にまで私達を力強く導いて行くのです。詩篇23篇は地上を歩む私達に、天の故郷を指し示しています。
この詩篇を貫く神への信頼は、私達の側から始まるのではありません。私達が主を信頼する前から、私達が主こそ羊飼いであると気づく前から、もうすでに主が私達の羊飼いでいらっしゃる。主が私達を守り、導いて下さるお方なのだというのです。帰るべき家を私達が作るのではありません。私達には備えられている天の故郷がある。私達は、創造主なる神にあって生かされ、やがて帰るべき天の家へと帰る。私達の歩みは、主が共におられるという事実によって、恐れることなく、神への信頼の中で導かれていくのです。
この詩篇の御言葉は、ただ楽天的に恵まれた生活をしている豊かさの中で生まれたのではありません。ダビデの様々な痛み、困難の中にあってなされた神への信頼の告白なのです。自らに受けた傷を包み込むかのように、あの美しい真珠が造られていくように、まさに痛みの中に、乏しい生活の現実の中にあって生まれた御言葉であるからこそ、同じく地上の旅路をゆく主の民の一人一人を、今日も慰め、力づけ続けているのです。

日本基督教団・聖徒教会 週報掲載小説教


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