ろごするーむ

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子供の説教「実のならないいちじくの木」の譬

2007-06-25 07:41:58 | 子供の説教
「実のならないいちじくの木」のたとえ ルカによる福音書13:6-9

13:6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。13:7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』13:8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。13:9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
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ある日イエス様は、こんなたとえばなしをされました。
イチジクの木に、3年たっても実が実らなかった。それで、木を植えた人は、「実がならないから、切り倒してしまえ」と言うのです。園丁といって、木のお世話をする人は「今年、木に肥料をあげて、大切に育てます。来年は実がなるかもしれませんから」と、そう言って、切り倒さないようにされました。そういうお話でした。

イチジクの木は、私たちの事です。本当は、私たちにも、実がなるんだって言うのです。でも、「実がならなかったら、切り倒して下さい。」と書いてありました。なんだか、わたしたちに実がならなかったら切り捨てられてしまうなんて怖いと思ってしまいます。

けれど、皆さん、その木の世話をして、大切に育ててくださるのはイエス様です。決して悪い、何もしない園丁や、木の世話人ではありません。わたしたちが良い実を結ぶことができるように、イエス様は、木の周りを掘って、肥料を下さって、毎日毎日、朝も、夜も、みんなが寝ているときも、お世話をしてくださるのです。

良い実が実るためには、よい世話人の人が必要です。わたしたちのお庭に植えてあって、だれもお世話をしない木にはいい実はなりません。けれど、果物の専門の人が作る果物は、とっても大きくて、立派な実がなって、そして甘くて美味しい果物ができます。
むかし、お庭に落ちたスイカの種から芽が出て、それがどんどん伸びて、何もしなかったのに小さなスイカが出来ていました。僕たちは喜んで、それを切って食べたのですが、あまり美味しくなかったんです。肥料もあげていないし、お水だってほとんどあげていなかったんです。でも、夏に贈り物で頂いたスイカは、大きくて、真っ赤で、甘くて、とっても美味しかったです。きっとスイカを作る専門家の人たちが、心を込めて、大切に大切に育てて下さったからだと思います。

イエス様は、木である私たちを心を込めてお世話をして下さって、いつか、良い実がみのるようにして下さいます。ですから、わたしたちは、イエス様が下さった肥料、神様のみことばを、しっかりと吸収して、神様の下さる恵みの太陽の光をいっぱい浴びて、聖霊の下さるいのちの水を沢山頂いて、大きく育つと良いのです。
お祈りいたしましょう。

イエス様。あなたがいつも、私たちをお守り下さっていることを感謝します。どうか、私たちがあなたのお恵みを沢山頂いて、実を実らせることが出来ますように。今週も私たちの家族、お友達、みんなをお守り下さい。イエス様のお名前によってお祈り致します。アーメン

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