神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

石上神社と桃尾山

2008-12-18 23:02:07 | 奈良の山
天理の石上神宮から布留川に沿って歩いていくと源流に程近く、桃尾の滝の手前、うっそうとした林の中に鳥居が見えてくる。


右手の流れは布留川の源流

古びた石の階段を歩くと水量の多い手水場があり、かなりの歴史を感じる拝殿の奥に石上神社があり、地元では石上神宮の奥の院・元社とも言われている。  あたりは台地になっていて、焚き火のあとが見られたが、境内は綺麗に手入れされていて、この時期落ち葉ひとつ見られなかった。

一旦林道にでて、すぐ先にある桃尾の滝は別名 布留の滝とも言われる落差23mの直瀑で、今でも修験道の行場となっているのだろう。 いつも綺麗な花が供えられろうそくをお供えした形跡がある。



春日断層崖の中で最大の滝。今日は沢山の方々がお掃除に精を出していました。地元の方かと思ったら各地から集まった行者の方だそうです。 帰途立ち寄ったら真新しいお酒や塩が備えられ一帯はそれは美しく整えられていました。

 今はまた行きても見ばや石上 布留の 滝津瀬 跡を尋ねて   (古今和歌集・後嵯峨天皇)


布留の滝:芭蕉も訪れたとの碑があります。




更に奥にある「大親寺」は 弘法大師再興の真言宗「龍福寺」 古くは境内が東西十町(1090m)、南北六町(655m)にも及ぶ大寺院で、710年頃は 義淵(ぎえん)建立の 龍蓋寺(岡寺)、龍門寺(廃寺)と共に三大名刹の一寺でした。 その後 行基が十六坊を配する大伽藍を完成、中世には五百石分、江戸時代には百石分の寺領を有しましたが、明治初期廃仏毀釈で廃寺となり、今では石垣に往時を偲ぶのみとなっております。



布留の滝はヤハタノ大蛇が降臨したとの伝説もありますが、石上神社は古来 布留川の水神祭祀の場であったのだろう・・・。大国見山にかけて一帯には数多くの磐座が存在します。 


国見山山頂にある祠と桃尾山上御山大神

この大国見山は別名、鳥見山、桃尾山と称し 石上神宮「鎮魂祈祷祝詞」の中で『天祖御祖の大語を稟給ひて、饒速日命天磐船に乗りて河内國河上哮峯に天降坐て大和國鳥見の山麓白庭の高庭に遷坐せて鎮齋給ひ石上大神と号け称奉る』と記されているとされる、実に奥の深い解釈の山でして・・・・。日本国造り、神国日本の神社発祥の地としてのお山でありまする。

これでしょ!神社の原型は!個人的には実に好きな雰囲気の神社です。


石上神宮

2008-12-18 22:40:10 | 奈良の山
天理市・布留山の高台にある、日本最古の神社の一つです。 その昔 社領は千石あったとされているので今の天理教の規模だったのでしょうか・・・。 現在は天理教の諸施設が間近まで迫っています。(天理教は一帯の膨大な敷地をどうやって手に入れた?)  生駒山~信貴山~二上山~葛城山~金剛山を遠望できる素晴らしい所です。


拝殿(国宝)として現存する最古のもの(白河天皇が寄進されたとの伝聞)

拝殿の背後の「布留社」と刻字した瑞垣が取り囲む地は禁足地として神聖な霊域。
※以前は本殿がなく 禁足地の地中に祀られていた神剣がご神体とされていました※


摂社・出雲建雄神社拝殿(国宝)

「山の辺の道」の通過点となっている境内は昼間でもうっそうとした常緑樹に覆われ、太古より変わらない神さびた姿を残しています。古代信仰の中でも異彩を放ち、物部氏の総氏神として知られています。主祭神の布都御魂大神のご神体はニギハヤヒさんから継承された神剣「フツの御魂」でこの時「アマツシルシ十種瑞宝」 も一緒に奉祀され スサノオさんが八岐大蛇を退治した「天十握剣」も祀られていたと記されています。 ★社務所で2000円もする由緒本を買ってしまった。(-。-;)s

布都姫 「あの美しかった石上を荒れすさんだものにしたのは誰のせい! ニギハヤヒより我が物部が司らどん石上が神宝  霊刀 七支刀」・・・・。」

「日出処の天子」で蘇我の蝦夷が 布都姫(石上斎宮)の住む石上神宮にたどり着けずに 迷う様子が描かれていましたが、今でもうっそうとした杜に囲まれて往時が偲ばれます。 



古事記・日本書紀の時代には政治犯でも 逃げ込むと制裁から逃れられる「宗教的アジール」として尊崇されていたようで、南北朝争乱のあとも「布留一揆」と呼ばれる興福寺との抗争を起こしています土着の神道派であった物部守屋が蘇我氏や聖徳太子、中臣に滅ぼされて行く様子は さながら郵貯も銀行も外資の手先に犯されていく現代を見るよう・・・。 。(ガンガレ物部!)