天理の石上神宮から布留川に沿って歩いていくと源流に程近く、桃尾の滝の手前、うっそうとした林の中に鳥居が見えてくる。
右手の流れは布留川の源流
古びた石の階段を歩くと水量の多い手水場があり、かなりの歴史を感じる拝殿の奥に石上神社があり、地元では石上神宮の奥の院・元社とも言われている。 あたりは台地になっていて、焚き火のあとが見られたが、境内は綺麗に手入れされていて、この時期落ち葉ひとつ見られなかった。
一旦林道にでて、すぐ先にある桃尾の滝は別名 布留の滝とも言われる落差23mの直瀑で、今でも修験道の行場となっているのだろう。 いつも綺麗な花が供えられろうそくをお供えした形跡がある。
春日断層崖の中で最大の滝。今日は沢山の方々がお掃除に精を出していました。地元の方かと思ったら各地から集まった行者の方だそうです。 帰途立ち寄ったら真新しいお酒や塩が備えられ一帯はそれは美しく整えられていました。
今はまた行きても見ばや石上 布留の 滝津瀬 跡を尋ねて (古今和歌集・後嵯峨天皇)
布留の滝:芭蕉も訪れたとの碑があります。
更に奥にある「大親寺」は 弘法大師再興の真言宗「龍福寺」 古くは境内が東西十町(1090m)、南北六町(655m)にも及ぶ大寺院で、710年頃は 義淵(ぎえん)建立の 龍蓋寺(岡寺)、龍門寺(廃寺)と共に三大名刹の一寺でした。 その後 行基が十六坊を配する大伽藍を完成、中世には五百石分、江戸時代には百石分の寺領を有しましたが、明治初期廃仏毀釈で廃寺となり、今では石垣に往時を偲ぶのみとなっております。
布留の滝はヤハタノ大蛇が降臨したとの伝説もありますが、石上神社は古来 布留川の水神祭祀の場であったのだろう・・・。大国見山にかけて一帯には数多くの磐座が存在します。
国見山山頂にある祠と桃尾山上御山大神
この大国見山は別名、鳥見山、桃尾山と称し 石上神宮「鎮魂祈祷祝詞」の中で『天祖御祖の大語を稟給ひて、饒速日命天磐船に乗りて河内國河上哮峯に天降坐て大和國鳥見の山麓白庭の高庭に遷坐せて鎮齋給ひ石上大神と号け称奉る』と記されているとされる、実に奥の深い解釈の山でして・・・・。日本国造り、神国日本の神社発祥の地としてのお山でありまする。
これでしょ!神社の原型は!個人的には実に好きな雰囲気の神社です。
右手の流れは布留川の源流
古びた石の階段を歩くと水量の多い手水場があり、かなりの歴史を感じる拝殿の奥に石上神社があり、地元では石上神宮の奥の院・元社とも言われている。 あたりは台地になっていて、焚き火のあとが見られたが、境内は綺麗に手入れされていて、この時期落ち葉ひとつ見られなかった。
一旦林道にでて、すぐ先にある桃尾の滝は別名 布留の滝とも言われる落差23mの直瀑で、今でも修験道の行場となっているのだろう。 いつも綺麗な花が供えられろうそくをお供えした形跡がある。
春日断層崖の中で最大の滝。今日は沢山の方々がお掃除に精を出していました。地元の方かと思ったら各地から集まった行者の方だそうです。 帰途立ち寄ったら真新しいお酒や塩が備えられ一帯はそれは美しく整えられていました。
今はまた行きても見ばや石上 布留の 滝津瀬 跡を尋ねて (古今和歌集・後嵯峨天皇)
布留の滝:芭蕉も訪れたとの碑があります。
更に奥にある「大親寺」は 弘法大師再興の真言宗「龍福寺」 古くは境内が東西十町(1090m)、南北六町(655m)にも及ぶ大寺院で、710年頃は 義淵(ぎえん)建立の 龍蓋寺(岡寺)、龍門寺(廃寺)と共に三大名刹の一寺でした。 その後 行基が十六坊を配する大伽藍を完成、中世には五百石分、江戸時代には百石分の寺領を有しましたが、明治初期廃仏毀釈で廃寺となり、今では石垣に往時を偲ぶのみとなっております。
布留の滝はヤハタノ大蛇が降臨したとの伝説もありますが、石上神社は古来 布留川の水神祭祀の場であったのだろう・・・。大国見山にかけて一帯には数多くの磐座が存在します。
国見山山頂にある祠と桃尾山上御山大神
この大国見山は別名、鳥見山、桃尾山と称し 石上神宮「鎮魂祈祷祝詞」の中で『天祖御祖の大語を稟給ひて、饒速日命天磐船に乗りて河内國河上哮峯に天降坐て大和國鳥見の山麓白庭の高庭に遷坐せて鎮齋給ひ石上大神と号け称奉る』と記されているとされる、実に奥の深い解釈の山でして・・・・。日本国造り、神国日本の神社発祥の地としてのお山でありまする。
これでしょ!神社の原型は!個人的には実に好きな雰囲気の神社です。