2019年のブログです
*
松木邦裕さんの『不在論-根源的苦痛の精神分析』(2011・創元社)、やっと再読できました。
この『不在論』が本棚の中で(おそらく)、かくれんぼをしていて、なかなか見つけられないことは以前、ブログに書きました。
しかし、結局、どうしても見つけられず(ひょっとすると別の部屋に隠れているのかな?)、気の短いじーじはついに新しいのを買ってしまいました(うちの美人ちゃん奥さんには内緒です)。
ようやく再読です。
しかし、これが、やはりなかなか難しい本で、とても大切なことが書かれているのはわかるのですが、自分の臨床経験の少なさと理解の浅さから、思うようには掴まえられない感じです。
今回、印象に残ったことを一つ、二つ。
一つめは、精神分析の目標について。
松木さんはフロイトさんが『ヒステリー研究』に書いた、痛ましい状態をありきたりの不幸に変える、というところを引いて、精神分析はそういうもので、さらに、不幸に耐える力を高めるもの、と述べます。
精神分析が不幸を取り除いたり、幸せを与えたりするものではないことに注目だと思います。
二つめが、乳児の理想的な乳房の幻想と不在の乳房についてで、対象喪失の問題です。
対象喪失には、喪の哀悼の仕事が必要で、そこから抑うつ態勢ができると述べ、悲しみから(生きることの)哀しみに変わることが大切と述べます。
そして、喪の哀悼の仕事の中で、患者さんがこころの痛みや哀しみに持ちこたえ、それらを受けいれていけるといいます。
さらに、精神分析は、患者さんが不安や喪失をこころに収めきれないでいる状態を、収められるように援助することと述べます。
このあたり、やはり臨床の経験を積まないと理解が難しそうですが、とても大切なことが述べられているように思います。
さらに、勉強を重ねていこうと思います。 (2019.6 記)
*
2021年3月の追記です
再読をしました。じーじにはめずらしく(?)、2年目での再読。
やはりすごい本です。
前回、頭でわかったつもりのことが、今回はこころに響いてきたような感じがします。
さらに勉強を深めたいと思います。 (2021.3 記)
*
2024年夏の追記です
フロイトさんが『ヒステリー研究』に書いた、精神分析は痛ましい状態をありきたりの不幸に変える、というところ、松木さんが、精神分析はそういうもので、さらに、不幸に耐える力を高めるもの、と述べているところはとても大切だと思います。
精神分析が不幸を取り除いたり、幸せを与えたりするものと誤解されがちですが、じつはそうではないことが重要だと思います。 (2024.7 記)