ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

庄司薫『さよなら怪傑黒頭巾』1973・中公文庫-名作『赤頭巾ちゃん気をつけて』の続編です

2024年10月09日 | 小説を読む

 2022年9月のブログです

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 庄司薫さんの『さよなら怪傑黒頭巾』(1973・中公文庫)をすごく久しぶりに再読した。

 先日、庄司さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1973・中公文庫)の感想文を読んでいたら、その続編もとても面白そうに思えてしまい、つい読んでしまった。

 1973年、じーじが大学に入った年だ。

 当時は結構、流行った本だが、今、読む人はあまりいないのかもしれない。

 しかし、読み返してみると、なかなか面白い小説だ。

 大学1年生だったじーじが熱中したのもわからないわけでもない。

 『赤頭巾ちゃん』同様、ところどころに赤鉛筆で横線が引かれていて、今読むと、きゃあ、だ。

 主人公の兄ちゃんの口癖でいえば、まいった、まいった、というところだろう。

 このあたり、村上春樹さんの若いころの小説にも少し雰囲気が似ている感じもする。

 あらすじは例によってあえて書かないが、東大受験が中止になって浪人中の若者が主人公。

 今回は、兄の友人の結婚式をめぐって、いろいろなできごとがあり、当時の世相であった学生運動の後遺症(?)などが描かれる。

 そして、年齢相応に知り合いの女の子たちとの青春物語。なかなかたいへんだ。

 びっくりしたのは、今ごろ気がついたが、主人公が、ハムレットさんとホレイショさんの、この天地の間には、われわれの哲学ではとうてい考えおよばぬことが沢山あるものだよ、という言葉を引用していること。

 この言葉は、精神科医の中井久夫さんが、ホレイショの原則と名づけた、わからないことにすぐに結論を出さずに耐えて考え続けることの大切さに触れた部分だが、大学1年生のじーじは気にもとめずに素通りしてしまっていた。

 ようやく、この年になって、この言葉の重みに気づいた。

 ひょっとすると、すごい小説かもしれない。

 読後感はとてもいい。

 青春のほろ苦さがいっぱいだが、軽妙なわりにはいい小説だと思う。        (2022.9 記)

 

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松木邦裕『精神科臨床での日常的冒険-限られた風景の中で』2001・金剛出版

2024年10月09日 | 精神科臨床に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

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 松木邦裕さんの『精神科臨床での日常的冒険-限られた風景の中で』(2001・金剛出版)を久しぶりに再読しました。

 何回目になるでしょうか。

 読みやすい本なので、家裁調査官の頃から精神科臨床のことを勉強するために読ませてもらっている本です。

 本は付箋でいっぱいですが、今回も勉強になったところが多くありました。

 一つめは、臨床家が生き残ることについて。

 松木さんは、とにかく、なんでも、持ちこたえなさい、といいます。

 まずはそれが大切なことのようです。

 二つめは、患者さんをおとな扱いすることの大切さ。

 さんづけで、患者さんの調子が悪い時でも、患者さんのおとなの部分と会話をすることの重要性を説きます。

 三つめは、患者さんも精神科臨床も10年以上のスパンで見ていくことの大切さ。

 ともすると、目の前のできごとに一喜一憂してしまいますが、患者さんも臨床も10年単位で見ていく大切さを述べています。

 その他にも、学ぶところが多くあって、やはりいい本です。

 読みやすい本ですが、中身は深く、経験を積めば積むほど、勉強になることが増えてくる本だと思います。

 さらに謙虚に経験を積み、学びを深めていきたいなと思いました。       (2015?記)

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 2022年5月の追記です

 10年以上のスパンで見ていくことの大切さ、ということは重要だと思います。

 統合失調症の患者さんに限らず、たとえば、パーソナリティ障害の患者さんなどもその治療は時間が必要なことが多いです。

 難しいことだとは思いますが、焦らないことが大切です。

 かりに一時的に症状が悪化しても、落胆する必要はありません。

 そして、症状が軽くなれば、その後は、治療とともに社会生活の中での成長が大切になると思います。       (2022.5 記)

 

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