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「その時 歴史が動いた」2009年週めくりカレンダー(12月第3週)

2009-12-23 18:35:29 | KOTOBA+HANASHI
あふ時は 語りつくすと思へども
別れとなれば のこる言の葉
大石主税 ※江戸へ発つ前の母との別れを詠んだ歌

何かと御心をつけられかたじけないが
申し残すことは何もない
大石内蔵助 ※切腹前の言葉

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大石内蔵助(おおいしくらのすけ)/(1659~1703)
播州赤穂藩(兵庫県)家老。名は良雄。軍学と漢学を学ぶ。主君・浅野内匠頭長矩の仇討ちのため、赤穂浪士を率いて吉良上野介の屋敷に討ち入る。翌年、切腹。
大石主税(おおいしちから)/(1688~1703)
内蔵助の嫡男。名は良金。赤穂47士の1人。討ち入り後、松平邸に預けられ、切腹。
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1702(元禄15)年12月14日
赤穂浪士、討ち入り
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赤穂藩主・浅野内匠頭の無念の切腹に、藩士らは吉良上野介への仇討ちにはやるが、筆頭家老・大石内蔵助は浅野家再興へ望みをかけていた。さらに、年頃の息子の元服に迷う。元服は、死を覚悟の仇討ちへの同行を意味した。だが吉良が隠居し責任を問われぬ身分になると知り、元服を決意。幕府の裁定で浅野家再興も絶望的となり、討ち入りを決める。息子・主税は父を全力で支える覚悟を決め、母に涙の別れを告げる。討ち入りの日、内蔵助は、激戦が予想される裏門隊大将の大役を主税に任せた。親子の覚悟と絆は、47士の士気を高め、赤穂浪士たちは本懐を遂げる。

新日本カレンダー株式会社(http://www.nkcalendar.co.jp/

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