大きな所から小さな所を知り
あるいは浅き所から深き所を知るごとく
おのれの目指す道とはまったく異なる方向から
本質がつかみとれることもある(『五輪書』より)
宮本武蔵
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宮本武蔵/みやもと むさし(1584?-1645)
江戸前期の憲豪。生まれは播磨国(兵庫県)とも美作国(岡山県)とも。関ヶ原の戦いで西軍に属したといわれる。その後、諸国を遍歴し、ニ天一流の奥儀を開眼する。生涯60数回の仕合に敗れたことはないという。巌流島での佐々木小次郎との戦いが有名。晩年は絵もたしなみ、ニ天と号した。
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1645(正保2)年5月12日
宮本武蔵
『五輪書』を完成
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剣豪として名を馳せた宮本武蔵だったが、戦果に恩賞を与える時代は終わり、仕官の口を求めて各地を転々とする。その後、九州・熊本の細川家に仕えて剣術の指南書『兵法三十五箇条』を執筆するが武蔵は満足せず、二年間洞窟にこもって、武士のあり方にまで言及した『五輪書』を書き上げる。地・水・火・風・空の五巻からなる書は、剣術の基本と心得から戦場での勝負の機微、剣術を極めた末に達した境地までを説き、人生の指南書ともいえるものであった。剣豪としての活躍から晩年の挫折、悟りまでの武蔵の軌跡が、時代や国を越えて多くの人に読み継がれる思想を完成させたのである。
新日本カレンダー株式会社(http://www.nkcalendar.co.jp/)
あるいは浅き所から深き所を知るごとく
おのれの目指す道とはまったく異なる方向から
本質がつかみとれることもある(『五輪書』より)
宮本武蔵
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宮本武蔵/みやもと むさし(1584?-1645)
江戸前期の憲豪。生まれは播磨国(兵庫県)とも美作国(岡山県)とも。関ヶ原の戦いで西軍に属したといわれる。その後、諸国を遍歴し、ニ天一流の奥儀を開眼する。生涯60数回の仕合に敗れたことはないという。巌流島での佐々木小次郎との戦いが有名。晩年は絵もたしなみ、ニ天と号した。
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1645(正保2)年5月12日
宮本武蔵
『五輪書』を完成
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剣豪として名を馳せた宮本武蔵だったが、戦果に恩賞を与える時代は終わり、仕官の口を求めて各地を転々とする。その後、九州・熊本の細川家に仕えて剣術の指南書『兵法三十五箇条』を執筆するが武蔵は満足せず、二年間洞窟にこもって、武士のあり方にまで言及した『五輪書』を書き上げる。地・水・火・風・空の五巻からなる書は、剣術の基本と心得から戦場での勝負の機微、剣術を極めた末に達した境地までを説き、人生の指南書ともいえるものであった。剣豪としての活躍から晩年の挫折、悟りまでの武蔵の軌跡が、時代や国を越えて多くの人に読み継がれる思想を完成させたのである。
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