中間玲子のブログ

仕事のこととか日々のこととか…更新怠りがちですがボチボチと。

十七歳の地図

2010-07-15 21:55:06 | 自己理解
以前、「D5の夜」なんていうふざけた記事を書きました。
あれは、尾崎豊の「15の夜」の替え歌でした。

そんな私ですが、ここのところ、真剣に、
尾崎豊のデビューアルバム
『十七歳の地図』を聞き続けています。
1985年ものです。今さらです。
当時、熱烈なファンが周りにいたため当時も耳にしてはいましたが、
こんなに聞き続けているのは初めてかもしれません。

当時の私は、尾崎豊について、「なんだかすごいなー」と思うものの、
「男の世界」として理解していました。
「盗んだバイクで走り出す」とか「窓ガラス壊してまわる」なんて
「男の領域」の気がしていたのです。
なので支持はするけど共感はできない、という感想をもってました。
また、声と歌い方も、なんとなく乱暴な感じがしていました。

ということで、曲はよく知っていたけど、
進んで聴くことはあまりありませんでした。

しかし。
何か特定の音楽を聴きたくて仕方がないというときは
心の何かがそれを求めているのでしょうか。
最近、妙に、尾崎豊が聴きたくなって、ふと聴いてみたら
ぴったりと心にはまって入ってきました。
で、1ヶ月ほど聞き続けているわけです。

中でも、表題作である「十七歳の地図」は、
歌詞を聞いてて涙が出てきてしまいます。

たとえばこんな歌詞です。

 街角では少女が自分を売りながら あぶく銭のために何でもやってるけど
 夢を失い 愛をもて遊ぶ あの子忘れちまった
 心をいつでも輝かしていなくちゃならないってことを


「心をいつでも輝かしていなくちゃならない」
…なんてまっすぐな歌詞なんでしょう。
尾崎豊については大人への反抗ということがクローズアップされがちですが、
こんな心のうちも歌っていたんですね。

こんな気持ちをまっすぐ言葉にできるのってすごい!
と思うのは、
私が幾分(多分に?)やさぐれた心になってしまったからでしょう。
中学生の頃はともかく、高校生の頃は、やっぱり、
自分がどういう人間であるべきか、どうありたいのか、
真剣に考え、友だちと語り合い、日々を生きていたように思います。
その頃に聴いていたら、こんな言葉にハッとするというよりは
「そうそう!」と自分たちの気持ちを代弁する歌詞として
受け止めていたかも知れません。

それがいまや…
「言われてみれば本当にその通りだよなあ…忘れてた!」
って感じです。

まあ、当時を理想化しているのかもしれませんが、
いずれにせよ、この言葉をとてもまぶしく受け止め、
改めて「本当にそうだなあ」と感じたのでした。

そして、こんな歌詞が続きます。

 電車の中 押し合う人の背中にいくつものドラマを感じて
 親の背中にひたむきさを感じて このごろふと涙こぼした
 半分大人のSeventeen's map


うう、そう感じる17歳こそにひたむきさを感じて、
涙こぼしちゃいました。

この年になって、「10代の教祖・尾崎豊」の気持ちに
いたく感動していることはややイタイ気がするのですが、
なぜか、今、心にそれがフィットするのだから仕方ありません。

彼の世界というか彼の心の持ちようがまぶしく響き、
それに対して今更ながらに憧れを抱く自分に気づいた時、
ああ、いつの間にか大人の階段昇ってしまってたんだなあと
なんだか若干ものがなしい気持ちにもなったのでした。

でもいいんです(←大人だ)

最新の画像もっと見る