今日は平成22年2月2日ですね。
2並び!ということで、今日は数字のお話を。
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「今日はかなりスイスイと走ることができた

」
と誰かが言ったら、皆さんはどんな風景を想像しますか?
「スイスイ泳ぐ」場面は、視覚的にもイメージしやすいですね

スムーズにすべるように進むことができている時、
私たちは「スイスイと」という言葉を使います。
スイスイと走ったということは、
進行を邪魔するものなく走ったということでしょうね。
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ある日、大学へ向かって運転をしている時に、
「あれ?なんだか今日はかなりスイスイ走っているなあ」と
思ったことがありました。
かなりの距離を走ったのに、信号にほとんど止まらずに来ているなあと
思ったのです

。
なんだか嬉しい気分になってきました。
こういう気持ちは誰かと分け合いたいもんです

。
では、「スイスイ走った」ということをちゃんと伝えるには
どうしたらいいのでしょうか。
a.とにかく連呼する
b.どれだけ自分が気持ちよかったかを熱く語る
a.のような力業も、自分の感動を伝えるにはいいかもしれません。
b.も1つの手ででしょう。
共感的な相手ならば、その感動を一緒に味わってくれるでしょう。
でももしかしたら、
「この人は連呼する人だなあ」とか「この人は熱く語る人だなあ」という
印象をもたれるだけで終わってしまうかもしれません。
そしてもしも、「大したことないんちゃうん

」と言われると、
「あ…そうかしら

」とこちらが引き下がらないと
いけない事態になってしまうかもしれません。
そこで重要なのは、これが「大したことである事」を
どう伝えるかということです。
これを伝えるには、例えば「通常とは違うんだ」ということを
しっかり情報に盛り込む必要があります。
場合によっては、聞き手の側が「いつもと違う」ことを示すような
情報を付加してくれて、これがいかに通常とは違うかを味わう努力を
共に行ってくれる場合もありますが、
できることならば、自分の口で、
「いつも」はこうで、「特別だった今回」はこうだった、と
比較するということを説明に盛り込めるに越した事はありません。
それができていれば、「いつも」と「特別だった今回」との落差を
きちんと相手に伝える事ができ、自分がなぜいつもと違うように
感じたのかをよりよく分かってもらう事ができるでしょう。
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さて、こうなると、
「いつも」と「特別だった今回」とを、どのような物差し上で表現するか。
これを考えねばなりません。
これが「測定」ということにつながってきます

。
心理学の場合、
測定するための何らかの物差し(心理尺度など)を使って数値を得て、
その数値を用いて、統計的手続きを進めて、
その数値に意味があるのかどうかを考えていきます。
たとえば、2つの違った数値を比較して、
数値は違うけど、まあ、大した違いではないや、という程度のものなのか、
違うんだと論ずるに値するような意味をもつ違いであるのか、
(その違いは、本当に意味ある違いとして扱ってよいのか)を
検討していきます。
心理学の調査や実験の結果は、
この手続きを経てはじめて、結果としての価値をもつと見なされます。
ですが、いずれにしても、数値がなければ
この手続きを踏む事はできませんし、
とった数値がおかど違いのものであれば、結果が出たとしても
結果の意味を考察することができません。
なので、どのようなものさしで測るかということは、
とても重要な問題なのです。
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さて、では、どの程度スイスイ走ったかを伝えるために
測定すべき数値とは何でしょうか。
いくつか考えてみました。
(1)どれだけ長くノンストップで走れた距離があったかを示す。
学校までの道のりは30kmちょいです。
30kmをノンストップで行くのは無理ですが、
どの程度の長さをノンストップで走れたかを考えてみよう。
→信号で止まる度に走行距離をメモすることで可能になります。
その結果、スイスイ走れたなと思ったその日は、最長で6.5km、
ノンストップで走ることができていました。
ところが、同じ日の帰り(夜)、同様にメモをとってみると、
最長でノンストップ7.3km走ることができていました。
ただし、夜は信号が点滅信号に変わるなどといった
道路上の事情の違いがあります。
夜との比較は、かなり条件が違ったもの同士の比較になるので、
もう夜との比較は行わないことにします。
さて、6.5kmという距離ですが、
それがどのくらいすごいこととして伝わるか。
それが問題です。
60kmで走っていたとしたら、
だいたい6~7分も走ることができたわけですから、
単に6.5kmと言うよりは、
その情報も追加した方がいいかもしれません。
しかし、いつもはどの程度ノンストップで走ることが
できるのかの情報がないため、
「いつもと違って」という点については、やはりデータ不足のようでした。
(2)何個の信号を通過できたかを示す。
「スイスイ走れた」というのは、その走りを阻害するもの、
すなわち信号につかまらなかったということと意味が近いように思われます。
この観点ではどうでしょうか。
その日は、30kmちょいの道のりにおいて、
8回、信号につかまっていました。
ところが、この「8回信号につかまった」というデータは、
何個の信号を通過できたかを考えるには適切ではありません。
全体として何個信号があるかわからないと、
いくつ通過したかが計算できません。
なので、信号の総数を数えてみることにしました。
その結果、家から大学までの信号の数は、29個でした(たぶん)。
となると、その日は実に、21個の信号を
青で通過することができたということになります。
これはなかなかいい数字なのではないでしょうか。
しかし、「いつも」が分からないと比較ができません。
そこで、信号停止の総数と、連続して通過できた信号の数の最大値を
それぞれ記録することにしました。
すると、信号停止の総数は、10回とか9回とかの日が多く、
8回という回数が、本当にいつも以上に少ないものであったかどうかについて
なんだかあやしい気持ちになってきました。
ただし、連続して通過できた信号の数の最大値は
“5”である日が続きました。
スイスイ走れた日は、その数値が高かったのかも知れません。
たとえば信号3個くらい通過できてすぐ停まっていたけど
その代わり、7個とか8個くらいの信号を連続通過できていたとか。
しかし、それはメモされていませんでしたので比較できません。
そうこうしていたある日。
おどろいたことが起こりました。
その日は日中の時間帯にもかかわらず、4回しか信号につかまらず、
しかも、11個の信号、8個の信号を連続して通過するという
2つの大きなスイスイ体験も楽しみながら
大学に行けるということが起こったのです。
もしかしたら、こういうことは今までにも起こっていて
気づかずにいたのかも知れません。
ですが、記録をとっていたおかげで、
そのスイスイ体験には十分注意が向けられ、
おかげさまでいつも以上に自覚しながら楽しむことができました。
また、メモをとっていたので、「すごい!!」という、
そのスイスイ・ドライブの「いつもと違う」感じを別の角度からも
味わうことができました。
これは予期せぬ副産物でした。
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さて。
そういうプロセスを経ながら、どう測定するかを考えたりしていたのですが、
(3)所要時間の比較
これがもしかしたら一番手っ取り早い!?ということに今更ながらに
気づいたりしています。
でもいつも「だいたい40分~50分かかる」と大雑把にとらえて行動しているので、
あまり時間のことを気にしていないんですよね…。
なのでメモの蓄積は皆無です。
これら一連のことを考えている時に、こういう場合の「通常」を
どう設定するかも難しいことだな、と思ったりしました。
何を通常の値とするかについては種々議論があるでしょうが、
(以前書いた
ブログもご参照ください)
このような場合、膨大にデータをとって、
平均を求めるという手法が王道でしょう。
なので、もう少しデータをとり続けないといけないのかもしれません。
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前回のブログは、
灯油ポンプについてでした。