ある公共施設のトイレの洗面所の風景です。
きれいですねー。
でも、私、いつもその洗面所に行く時、この部分をよけてしまいます。
普通に歩いていても、「穴が開いてる!」というような不安が生じてしまいます。
もしかしたら、中がこんな感じでキレイなので、
「踏んじゃいけない」と思うのかもしれません。
でもいずれにしても、そのガラスの存在を無視して
その床面をとらえてしまうんですね。
こういう刺激、心理学では「視覚的断崖」(byギブソン)と言われます。
実際にはガラスが貼ってあるので平坦なところなのですが、
目で見る限りは、そこが断崖になっているように思えるからです。
はいはいできる赤ちゃんをこのようなところに乗せて、
はいはいで進んでいくと、視覚的断崖に出合う。
その時、その子がはいはいを止めて、不安になったら、
その子は、視覚的に「奥行き」を理解することができるようになったと
されます。
なので、私は、奥行きをちゃんと理解することができているんですね。
そして、この視覚的断崖を用いた研究で有名なのが、
キャンポスの実験です。
この断崖の先にお母さん(養育者)を立たせます。
不安で立ち止まった赤ちゃんに対して、お母さんも「ああ!」と
不安そうな表情をすると、赤ちゃんは動きません。
一方、「大丈夫だよ」という表情をして、「おいで」と言うと、
何割かの子どもは、不安ながらもお母さんを信じて、はいはいを進めた。
そういう実験があります。
これは、赤ちゃんが、何らかの判断をする際に、
他者の視点を参照するようになった兆しとして「社会的参照」と呼ばれます。
私はもう大人なので、そこにガラスがあること、歩いても大丈夫なこと、
自分で理解することができるので、一人でも、
「大丈夫」と思い直せばその上を歩くことはできます。
でも…分かっていても、ちょっと不安になるのか、
何かをよけようとする意識の方が働いて、
ついついよけてしまいます。
まあ、さほど遠回りでもないですしね。
ただ、いつも「あ、またよけてしまった」と思います。
皆さんなら、どう歩きますか?
こんな風に、大人でも思わずよけてしまうような視覚的断崖。
キャンポスの実験を思いますと、
その不安や恐怖を克服して渡っていく赤ちゃん、
勇気あるなあと思いますし、
それを克服させるほどの信頼を勝ち得ている大人って…
責任重大だな、と改めて思いました。
きれいですねー。
でも、私、いつもその洗面所に行く時、この部分をよけてしまいます。
普通に歩いていても、「穴が開いてる!」というような不安が生じてしまいます。
もしかしたら、中がこんな感じでキレイなので、
「踏んじゃいけない」と思うのかもしれません。
でもいずれにしても、そのガラスの存在を無視して
その床面をとらえてしまうんですね。
こういう刺激、心理学では「視覚的断崖」(byギブソン)と言われます。
実際にはガラスが貼ってあるので平坦なところなのですが、
目で見る限りは、そこが断崖になっているように思えるからです。
はいはいできる赤ちゃんをこのようなところに乗せて、
はいはいで進んでいくと、視覚的断崖に出合う。
その時、その子がはいはいを止めて、不安になったら、
その子は、視覚的に「奥行き」を理解することができるようになったと
されます。
なので、私は、奥行きをちゃんと理解することができているんですね。
そして、この視覚的断崖を用いた研究で有名なのが、
キャンポスの実験です。
この断崖の先にお母さん(養育者)を立たせます。
不安で立ち止まった赤ちゃんに対して、お母さんも「ああ!」と
不安そうな表情をすると、赤ちゃんは動きません。
一方、「大丈夫だよ」という表情をして、「おいで」と言うと、
何割かの子どもは、不安ながらもお母さんを信じて、はいはいを進めた。
そういう実験があります。
これは、赤ちゃんが、何らかの判断をする際に、
他者の視点を参照するようになった兆しとして「社会的参照」と呼ばれます。
私はもう大人なので、そこにガラスがあること、歩いても大丈夫なこと、
自分で理解することができるので、一人でも、
「大丈夫」と思い直せばその上を歩くことはできます。
でも…分かっていても、ちょっと不安になるのか、
何かをよけようとする意識の方が働いて、
ついついよけてしまいます。
まあ、さほど遠回りでもないですしね。
ただ、いつも「あ、またよけてしまった」と思います。
皆さんなら、どう歩きますか?
こんな風に、大人でも思わずよけてしまうような視覚的断崖。
キャンポスの実験を思いますと、
その不安や恐怖を克服して渡っていく赤ちゃん、
勇気あるなあと思いますし、
それを克服させるほどの信頼を勝ち得ている大人って…
責任重大だな、と改めて思いました。