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「具体」展

2012-08-06 10:57:28 | 美術[か]
「具体 - ニッポンの前衛 18年の軌跡」@国立新美術館


 銀座アートツアーで東京画廊の山本氏も「具体」について話してくれたので、もののついでに「具体」展を見た。展覧会の冊子にも書かれている「どうしてこれがアートなの?」「どこからどこまでがアートなの?」というフレーズがピッタリ符合する「具体」、平成の現代アートにも同じことが言えるし、「具体」の展示物を見ても、今年作成された最新アートと60年前の「具体」作品との区別なんてつけられない。そういう意味では時代遅れではなく、色あせないものと言うこともできる。

 「具体」のリーダー吉原治良が「人の真似をするな、これまでになかったものを作れ」というメッセージを発し、それに応じた若い芸術家ががんばってやってみたら、こんなんなっちゃいましたorz という黒歴史、じゃなくてアートのムーブメント、その歴史的な重要性を展示されているものから感じてもらおう、ということだろう。

 その「具体」的精神は現代アートにも受け継がれて、さまざまな作品が生み出されているわけで、だから現代アートは判りづらいという感想が出てくる責任の一端を担っているのかもしれない。現代アートもジャンルはいろいろで、やたら気に入るものもあれば、ゴミ箱に捨てたくなるものもある。「具体」の品々もそれは一緒で、ほとんどゴミ箱に捨てたくなるようなものばかり。←個人差あり。《作品》というタイトルの作品が多い。制作者も実は腹の底では何ができたのかわからなかったのではないか。

 天井から吊るしたロープにつかまって足で描いた白髪一雄の作品もある。この人はできあがったぐちゃぐちゃなモノに《天雄星豹子頭》とかいうタイトルをつけている。えらい! 今でも身体を使ったアートや、何かを投げつけて描くアートなどはちょこちょこ登場してくる。その場にいてパフォーマンスとして見物するのは楽しい。そのパフォーマンスの結果として残ったこれが「作品」ですという意味では価値のあるものだろうが、描かれているモノはほぼグッチャリしている。

 そんなグッチャリした代物でも、東京画廊の山本氏くらいの鑑識眼があると、足の滑らせ方でバッタモンかどうかは判ってしまうという。そういうわけわからん現代アートを先見の明で買い集められる人がガッポリ稼げるらしいが、いろんな理由で私には無理だ(;´o`)

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