今回の旅行の目的は二つ
【日本に帰ってから一度も行ってない叔母さん夫婦を台湾に案内する事】
【半年前に行った時に約束した朴子竹村國小学校85周年文化祭に日本人教師の子孫として出席】
23日、朝一番の飛行機で台北を発ち無事に日本に帰ってきました。
おば夫婦も17時ごろ福島郡山の自宅へ帰宅。
思いだして振り返ると
今回も楊教授にとってもお世話になりました。
19日午後に空港について、楊承淑先生のご案内で台北に着いて、
すぐに101に行き鼎泰豐で小籠包。その間に地下に停めていた車の整備。
その夜は国軍英雄館で宿泊
20日、台北国軍英雄館での朝食。天気は曇り
伊原教授と彰化へ向かいながら車内にて台湾の歴史及び台湾人と台湾語について講義を伺う。
彰化国小で片岡克巳の関連したことを伺えて良かった。
員林の夜市はとても美味しかったです。(鶏スープ店の小姐さんは僕の顔を憶えていてくれた!)
21日、朝には夜の雨がすっかりやんで晴れて、朴子に向かい小学校へ。
助手の雅芬女史と合流し竹村國小学校85周年文化祭に出席。
美味しい精進料理をみんな(300人くらい)でビッフェ(精進料理は美味。日本の台湾料理のお店もやるべき!)
校長先生のお部屋にてお茶を頂き、祖父の教え子さん方とお話が出来ました。
放課後、森永先生の家に行って蓄音機をみんなで聞いたらしいです。
1980年代にやった同窓会の話もしました。
また朴子の市役所へ行くと休日出勤の課長さんが快く対応してくれました。
(朴子の郷土史の入ったDVDを頂きました、こちらは曾祖父森永信光の写真と直筆の漢詩をコピーしてお渡しする)
台南に移動してからは、安平の夜市へ向かいながら林徳政教授に伊原先生を通じてお話が出来たので嬉しく思いました。台湾の中の京都で有る台南にて、台南と仙台の関連性をお話しました。
安平ゼーランダ城や赤嵌樓の壮大な歴史に片岡巌や森永信光も何を見ただろうかと思いを馳せ、
22日、片岡巖の晩年に住んでいた法院職員の公舎跡に隣接する娘の薫が通って居た
今も現役の台南公園國小学校も風情が有りました。
そういえば成大会館ホテルの縦に寝ても横に寝ても同じく大きな正方形のベッドも良かったです。
22日の朝食前に(朝6時30分)同じ台南東区の龍山寺通の友人サニーさんのマンションにトランクを返しに行き地図を見ながら土地の感覚を養えました、
10時出発、車の整備をしてから嘉義に叔母さんの生まれた場所を探しに行きました。
今は大通りに面した商店街の一角で雑居ビルが立って居ましたが住所は間違いなく、しかも叔母さんも記憶を思い出し、二階でハンモックに揺られて寝てたら窓越しに隣の男の子が顔を出してたそうです。
叔母夫婦と楊承淑教授と伊原教授は嘉義から台北へそのまま車に乗って、僕は嘉義~新營の単独行動、日本の大塚にある台南料理のお店「秀美」の女主人洪秀美さんがお兄さんの49日で実家に居て、会いに行きお悔やみ申し上げると家族も喪があけて少し明るい兆しがあり、突然の来訪者を喜んでもらえて良かったです。
その晩は台北に20時30分に到着、地下鉄で輔仁大へ
輔仁大の教学会館も学生の元気な若さを感じ。
朝に楊教授の助手リャオさんの見送りで
無事に成田へ向かう飛行機に乗りました。
しみじみと楊承淑先生とまた台湾か日本にてお会いできると良いなあと思いました。
今回は90歳で亡くなった祖父森永信一の生徒さん(90歳以上!)に何人も会えて、本当に良かったと思います。
あと車での旅行が好きだった祖父、今回の旅行を車の中で喜んで居たに違い有りません。
ありがとうございました!
最後に帰国後竹村國小学校へ送ったメールを転記させて頂きます。
『 今回の85周年祝福します。
竹村國小学校の壮大な歴史に感無量です。
方校長先生の暖かな心に触れて伸びやかに育つ子供達と、
子供たちを強く優しく見守る卒業生の皆さん。
この素晴らしい環境がずっとずっと長く続きますように
そして更に朴子の悠久の時の流れと共に
日本にいる私たちも継がっている事がいつまでも出来ますように
またお会いしましょう
謝々』
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