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日記。

片岡巌と森永信光

2011年08月22日 | Weblog
片岡巌が本を作成する際に使った資料は残念ながら、
今現在の我が家には残されてませんが、
日本には、片岡巌のお墓が有ります。片岡巌が1930に台湾で亡くなった後、
前述の福島県の郡山に墓碑を曾祖母の和子が建てました。

片岡巌の娘、ぼくの祖母の薫(かおる)は(1915~1983)
東石郡郡守、森永信光の長男、信一(のぶかず)(1908~1998)と(1940)結婚
台湾基隆港から日本に戻った時、まずは森永家の福井の実家に戻りましたが、震災もありすぐに片岡和子の実家、福島県の郡山に戻る。
森永信一は小学校の教師として生活を送る。
その時の生徒の中に俳優の西田敏行がいます!彼の芝居経験の最初はこの時の学芸会での浦島太郎の役ではないか?(と
は祖父信一談)

台南にて生まれた二女の、勲枝(のりえ)(1944~)が僕の母です。

森永信光は福井中学卒業後、茗荷谷の台湾協会の一期生、
台湾総督府、土木課、外事課を経て
東石郡、郡守として勤務する傍ら朴雅吟社を設立で、楊爾材さんらと漢詩などを詠み、楽しいひと時をすごしたようです。
また、当時長男信一の同級生だった、安藤百福を図書館司書として推薦する。

森永信光は日本に帰国してからは福井にいたが、空襲、震災があり、神戸の三男光雄のところに、晩年は長男信一がいた福島郡山に来たので母が小学六年の時に亡くなるまで一緒に住んでいた。

台湾語研究会と朴雅吟社の事はつい最近知りましたが、
森永信光と片岡巌とは生前、何かしらの繋がりがあったのでは
ないかと思います。
この事についてはどのように調べてゆけば良いかこれから考えます。
 


祖父母の生きていた頃にもっと話しを聞いておけば良かったと残念に思います。
しかしながら、片岡巌の本のように後世に残された本もあるので誰かのためになればと感じます。