goo blog サービス終了のお知らせ 

randomnote

日記。

台湾風俗誌 台湾人の一口噺 第1節 鼻影を棗(なつめ)となす

2012年01月20日 | 台湾風俗誌
台湾風俗誌第6集
第1集 台湾人の一口噺

第1節 鼻影を棗(なつめ)となす
近視眼者あり、某家に客たり、主人饗するに茶を以ってす、客、茶碗底中、己(おのれ)の鼻影の映ずるを見て誤りて橄欖(かんらん;オリーブに似た木ノ実;カンラン科 Burseraceae Kunth)となし、撈模(ろうもう;探り取ること)として已(や)まず、之(これ)を久うして忿り極り(いかりきわまり)、乃(すなわ)ち指を以って撮(つま)み、力に任して之を咬む、指忽ち(たちまち)破れて紅血流る、客、仔細に之を視て曰く、吾れは只た橄欖なりしと思ひしに、原と是れ一個の紅棗なりしかと説くに理(ことわり)を以ってし、喩(さと)すに情を以ってするも尚且(なおか)つ頑迷悟らざるの徒、将(はた;また。あるいは。)此の近視の客の類のみ


【現代語訳】鼻影をナツメとする。
近眼の人がお茶に呼ばれてある御宅に行きました。ご主人が入れてくれたお茶を楽しんでいたら、茶碗の底にカンランという名前の木の実が底に沈んでいる、指でつまんで食べようとするけれど、なかなかうまく掴めない、それもそのはず、だって自分の鼻影が茶碗に写っていてそれが木の実に見えてたのさ。そのうちイライラして来てついに力一杯に茶碗の底に指を入れると、指が茶碗にぶつかって血が出たよ。それでも「自分はカンランの木の実だと思っていたけど、これは紅いナツメの実ですか?」と聞くので主人はいろいろ説明したんだけど、なかなか近眼のお客は頑迷に自分の意見を変えなかったとさ。。。って痛くなかったの⁉


一、以鼻影為棗
 有個大近眼、到親友家去作客,主人用茶水來招待他丶不料客人竟把茶碗底上的鼻影誤會成昰一顆大紅棗。於是就準備撈來吃,可是撈了很久也沒撈上來,最後就很急躁的用手來撈,結果竟被他 「撈」 上來了,於是就使勁用嘴來咬,不料竟把手指咬得鮮血淋漓,這時他就氣急敗壞的説⋯ 『我蠻以為是一顆大紅棗,原來竟是一顆大橄㰖。』 其實他咬的既不是橄欖也不是紅棗,而是自己的手指頭,比喻頑迷不知醒悟之徒。



昨日(図書館)、(今夜)乃木公園、(明日朝)小田原

2012年01月09日 | Weblog
昨日、新座の図書館にて借りて来た本。

松永安左エ門自伝 喝! 日本人 松永安左エ門著
「武士道」解題(ノーブレス・オブリージェとは)李登輝著
善の研究 西田幾多郎著
福翁自伝 福沢諭吉著
レヴィ・ストロース 入門のために神話の彼方へ
人間 福沢諭吉 松永安左エ門著
スコット・ラファロ その生涯と音楽 (翡翠の夢を追って) ヘレン・ラファロ・フェルナンデス
都市と自然 安藤忠雄著

今日は、仕事帰りに待ち合わせのために、赤坂から青山一丁目まで行く。地下鉄乗るほどでないので歩いて行く。途中で台湾の景色によく似た赤煉瓦の建物が見えたので、ドキッとする。これは、と伺うと乃木希典の旧邸であった。庭は現在乃木公園となっている、明治天皇崩御の際に夫妻とも自害されたそうです。当時を思い、静かに手を合わせて帰ってきた。

明日は、小田原板橋にて山県有朋(乃木希典の上司でもあった)の古希庵と松永安左エ門が終戦後(昭和21年)新座市から引っ越した旧邸を見学して来ます。「電気の鬼」と呼ばれた彼の居た気配と老欅と茶室を堪能するつもりです。また気がつく事が有るでしょう。

乃木希典大将は1895年仙台の第2師団長に任命、翌1896年10月14日に台湾総統に任命されますが、片岡巌は1895年に仙台の第2師団に入隊、同じ1896年10月14日に台湾守備隊に編入されます。
仙台の第2師団が何百名いたのかわかりませんが、20歳の片岡巌青年にとっては乃木希典はとても影響のある人物だった事は疑いありません。乃木希典は3年ほどで、台湾から離れてしまいますが、片岡巌の心にはいつまでも理想の上司の一人であり続けたでしょう。
(比べる事がおこがましいけれども、学者になりたかった少年から始まり最後まで軍人を全うした乃木希典大将に対して、憲兵、通訳となるも最後自ら在野に帰った片岡巌)お互いの夢に心を添わせたいと思います。

台湾みやげ話

2011年12月30日 | 台湾みやげ話
「台湾みやげ話」は「台湾風俗誌」の後に片岡巌の出した本、今回、楊先生は約束していた通りに台湾からわざわざ持って来て頂いた。コピーして綺麗な装丁で表紙も付けて頂いた。子孫としてこれほどありがたい事は無い。
楊先生ありがとうございます!


早速、読んで見た所、「台湾風俗誌」でよくわからなかった言葉などが簡単に書かれていて、(漢字に全てふりがながふってある)読者の対象が研究者だけでなくごく一般的な内地の人に向けて居るのが分かります。
つまり、台湾風俗誌の「解説書」のようなのでまずは、台湾みやげ話を載せて行きたいと思います。
ただ、簡単にわかりやすい様に口語体で書かれている分、(実家の墓碑に後年失明するとありますので、台湾みやげ話も、もしかすると口述筆記の可能性があります)
なんだか今の言葉で云うと「差別的」と思う箇所が多々あります。成る可く日本と台湾との差異を際立たせている様に感じる箇所です。まるで今の週刊誌に載っているインタビュー記事のようです。(あらためて文化人とは、文化とは、を問い直しつつ)時代背景を捉えて片岡巌はどの様な気持ちで云ったのかを、考察してゆく必要があるでしょう。

【台湾みやげ話のポイント】

1 なぜ「台湾風俗誌」の後にこの本を出したか ?
(みやげ話は大正14年初版、風俗誌は大正10年出版)
「台湾風俗誌」は出版までにおそらく準備期間が長くあったと思われるが、「台湾みやげ話」は出版までに準備期間はほとんどなかったように思われる。
(自費出版)

2 日本と台湾の差異を際立たせている箇所の考察

(1)当時、片岡巌はどの様な社会秩序背景にいたのか?
(台南地方法院通訳退職後、マラリヤにより失明しようとしている期間。昭和5年没)
台湾の教育の項(44)にもある様に台湾人が日本語を巧みに話せる時代になっていた。
日台間、台湾内の交通が発達したころ。(膨湖島にも自由に行くことが出来た程)

(2)出版当時の台湾の状況の複雑さを、(台湾に行った事があるが、台湾の状況をわからぬまま帰国した日本
人の為にみやげ話用として)簡潔に述べた。


3 相手(日本人)の期待に応えて、出版当時の望ましいと思われる多少の誇張や憶測などが付加されているはず、片岡巌はデータや経験の上で自分の考えを述べているように思われるが整合性は当時の他の記録と比べてあるのか。

以上不明な点も多いですが、それでも当時をご考察頂きながらお読みいただければと思います。


台灣みやげ話 片岡巌 50(後半)

2011年12月29日 | 台湾みやげ話
仙草は山間湿地に野生に産する丈2尺余の草でありますが之を根元より刈り取り干して釜にいれて草の無くなる迄煮る時は丁度寒天と同じく黒茶色のものとなります之を凝結(かたまら)して寒天を切る様に切って砂糖を掛け夏の食物として売って歩きます、まあ内地の石花菜(ところてん)と同じ様なものです。

 それから内地で一年生の植物、即ち、茄子「唐辛子」蔓豆類で2、3年乃至数年枯れずに居るものがあります、それですから「トウガラシ」の木又は茄子の木でパイプ等が出来ます、南部の蕃界には「トウガラシ」の木が野生にあります恒春付近の山には上向唐辛子が沢山あります、唐辛子の太い木は漁師が「イカ」を釣る針を作る為態々(わざわざ)蕃界に採取に行く人があります「トウガラシ」の事を南蛮と云うたのもこれらの事からだろうと思います。

礰珊瑚樹(りょくさんごじゅ) 之は海にあるのではなく台灣南部の田舎の畑の畦畔(けいはん)や家の周囲に野生して自然の籬(かき)を為して居ります此の樹は丈1丈内外で幹と枝のみで葉がありませぬそれで礰珊瑚樹と呼んで居るのであります色は全部真っ青で奇妙な樹であります此の枝を折ると白い液が出ますが人は毒だと云うて恐れて居ります。

仙人掌(しゃぼてん)は全島至る所にありまして8、9尺位のは珍しくはありませぬ之は内地と同じく種々ありますが只偉大だと云う点が珍しいのです。

 蘆(よし)と茅(かや)、蘆(あし)も茅(かや)も一年ごとには枯れませぬ6年7年も生きて居りますからだんだん太くなりその節から枝が出て居ります、長さ1丈前後で太さは徑1寸位のは珍しくありませぬ此れ等は多く山地に接した所にあります一見竹の様ですそれで本当人は盧竹(ろちく)と言って居ります。

 又蕃界に行けば檜も有り松も山桐もありますが、杉は無い様です、松も五葉三葉(ごようさんよう)の松が沢山あります、又蕃躑躅(つつじ)なども紅も紫も山にありますが栗などは無い様です。

台灣みやげ話 (完)

大正14年11月15日印刷
大正14年11月18日発行
大正15年5月1日再版
昭和2年4月1日再版

著者兼発行人  台南市大宮町3丁目30番地
片岡巌

発行所 台南市大宮町3丁目30番地
 片岡巌

印刷人 台南市本町3丁目234番地
 寺川 喜三郎 

印刷所 台南市本町3丁目234番地
 台南新報社印刷部 

_________________________________________________________
元法院通訳官片岡巌君著
「台灣風俗誌 」菊版総クロース
紙数千二百頁
定価 金5圓
 
下村台灣総務長官に序して「台灣風俗誌は正しく台灣の社会の側面史である」と喝破せり。凡そ台灣人の風俗習慣に関すること本書之を掲げざるは無く、官は之を持って施政の資となし、民は或いは之を民族研究の図書館と為し、或いは之を商工業参考の博物館と為すを得ん千二百頁の大著、宛然たる台灣風俗の百科辞書なり

発行所 台北市栄町 
台灣日々新報社 
電話番号125番、126番

台灣みやげ話 片岡巌 51

2011年12月28日 | 台湾みやげ話
51◎台湾に珍しい植物はありませぬか
(前半)
台灣の珍しい植物は専門家に云わせましたら随分ありませうが素人の私は只大概の處を申し上げます  前に申し上げた他に左の植物があります。

 檳榔樹、之は南洋植物で皆さん南洋の寫眞(しゃしん)などご覧になれば必ず傘を開いた様な幹の真っ直ぐで長く その先に一箇所の周りに「シュロ」の葉の様なのが傘の様に開いて居る木がありませうそれが檳榔です、その葉のでた根本に鈴の様に生って居るのが檳榔子(びんろうじ;實のこと)で台灣南部の人は之を噛むんで歯を黒赤く染めて居ります之は歯が大層丈夫になるともうして居ります。

 椰子(やし)椰子も南洋より移植したのがありますが未だ餘り沢山にはありませぬ。

「サイゼルヘンプ」南洋移植である台灣南部に盛んに栽培して居りますこれは例の「マニラ」ロープの原料になるのである此の繊維で 筅子(ハタキ)拂子(ホッス)等を拵らえて売って居るのが盛んに売れます近来内地にも移入して居ります。

 林投(りんとう)は台灣全島至る處の平地に無尽蔵に野生であります「シュロ」科に属する植物で、その葉には棘があります此葉の繊維を漂白して純白として之にて夏帽子を製造する会社があります之が即ち林投帽であります。
 蛇木(しゃぼく)之は山中にある木でちょっと我が内地の「鬼ゼンマイ」の大きい様なもので、丈は1丈5、6尺に及ぶものもあります、その形は傘を開いた様に一箇所から四方に開いて居ります葉の形は「鬼ゼンマイ」の開いたものと似て居ります年々葉の落ちた跡が蛇の鱗の様になって居りますから蛇木(しゃぼく)と云うのですが之を花生け又は筆立てにすればその鱗形が大層見事で賞美せられます。
 黒柿、黒柿は台灣の恒春地方の山中の野生にあります、昔は随分ありましたそうですが今は乱伐又は山焼け等の結果若木ばかり至る處にあります、黒柿の實は小さな鶏卵大で白毛が一面に生えて居りますが形は柿であります、台灣人は之を毛柿(もうきー)と申しますこれで造る種々の製作品は内地の黒柿とは異はありませぬ。
菊花木、之は一種の蔓科植物で蕃界至る所にあります、太い藤の蔓の様なもので太いのは1尺5寸周り位のものがあります之を横に切れば菊の花の様な模様があります、それで菊花木と云うのでありますが之で茶托(ちゃたく)、煙草いれ、楊枝入れ、その他種々の器物を作製しますが随分見事なものであります。
 藤蔓、之も蕃界に至る所に野生でありますその太いのは「コップ」大のがあります、籐椅子、籐籠、行李、バスケット、その他種々の器物に作製せられます。
 右の他、梓(あずさ)、相思樹(そうしじゅ)、桑の大木、石楠花(しゃくなげ)及び萬兩のステッキのなる様な大きいものは蕃界至る所にあります。竹は最も有名なもので嘉義林𣏌埔等の山々は全山各種の竹にて埋(うず)まって
居ります此の付近に居る人民は竹の副産物にて生活して居ります竹で内地に無い竹は棘竹で丈は4、5

丈で太さは2尺周りのがあります、そしてその枝には棘が生えて居ります防御の為城壁がわりに最も適して居ります田舎でも家の周りに植えて自然の障壁を作って居ります之を人民は竹園と云うて居ります草類は内地にあるものは大概あります。
又愛玉子(オーギョーチー)
と云うものがあります之は蕃界にある植物の實の子(たね)でありますが一見粟粒の様なものです之を袋に入れて清水の中で揉むとその實から茶色の粘液が出ますそれが為清水は茶色となりますその茶色の水が30分位すると凝固(ぎょうこ;かたまり)ます丁度内地の石花菜(ところてん)又は寒天の様になりますこれに砂糖をかけて食します。夏の食物として台灣人は売って歩きます。
(後半につづく)

台灣みやげ話 片岡巌 50

2011年12月26日 | 台湾みやげ話
50◎台湾の果物や野菜は如何ですか

果物や野菜は内地にあるものは大概ありますが果物は只寒国(かんこく;韓国?)にある林檎や栗、梨、
胡頺子(ぐみ)胡桃(くるみ)「イチヂク」「マルメロ」、木通(あけび)、蒟蒻(こんにゃく)、蕗(ふき)、等はありませぬ梅、桃、李桃(すもも)はありますが余り上等ではありませぬ柿は渋柿はありますが甘柿は少ないです、茄子、かぼちゃ、芋、西瓜、瓜等は秋より冬迄が最も多く出来ます併し甜瓜(あまうり)はありませぬ、果物の内で最も柑橘類は本島の気候に適して味も美味であります、全島至る處栽培に適しますが台中の員林(いんりん)と新竹の新埔は全島第一の産地であります栽培町歩は
2300町歩で一カ年の収量は1499萬9559斤で内地に移出するものは一カ年183萬3500斤此の価格が33萬5135圓と云う大層な額であります年々聖上陛下に献上する文旦と云う柚も台南の麻豆(まとう)と云う處から出来ます。
 又内地に少ない果物としては芭蕉の實即ち「ばなな」ですが之は全島至る處に栽培せられて居ります其の植え付け町歩数は8940町歩で一カ年1億3139萬9701斤と云う収量であります。
又、鳳梨(おんらい)「パイナップル」も又本島の気候に適し一カ年の収量は905萬3907個でその価は89萬圓以上であります之は年々増産するばかりです。
又、龍眼肉と云うものがあります多く南部の山地又は畑の畦畔(けいはん)等にある樹になるのですが樹数51萬本余で一カ年の収量961萬餘斤ぐらいですが干し龍眼又は砂糖漬けとして支那に輸出します一カ年に13萬5000圓餘であります。(以上台湾事情に由る)
その他釈迦頭(しゃかとう)と云う奈良の大仏の頭の様に粒々のある握り拳ぐらいの果物があります之は台灣の南部に多いのですが味は「あけび」の様です。
又、楊桃(ようとう)と云う内地の「ほうずき」形をした果物があります、之を横に切れば丁度兵士の帽章の様な星章形となるちょっと珍しい果物でありますその味は甘酸っぱいものであります。
  又、様子「マンボウ」と云うものがあります、これ又熱帯地の果物で南洋諸島にあります果物では台灣は南部方面に沢山あります、その形は楕円形で鶩(あひる)の卵大で始めは青色ですが熟すれば赤黄色となります、九月ごろに出来ますが甘味に僅か酸味を帯びて居ります先ず味に於いて果物の王だと言われて居ります。
又、抜仔(ばっし)と云う果物があります之は内地の石榴(ざくろ)の様な風で大きいので梅の實位でその味は薄甘味であります併し石榴の様に烈れはしませぬ。
又、木瓜(もくくわ)と云うものがあります木瓜は南部にありますが全島出来ぬと云う訳ではありませぬが主に南部が適して居ります、木と草の間の植物でその区別は専門家に譲りましてまずその木の高さは6尺より1丈2、3尺位ですが5、6尺より實が生りますその葉は丁度傘を広げた様に一箇所より四方にかの天狗の羽団扇(はうちわ)と云う様なものが周りに出でてその茎の下に千成瓢箪を吊るした様に生りますその形は小さいくびれの無い瓢箪の様なものです内地の甜瓜(あまうり)のようなものであります。
  尚、珍しい果物には𤪼霧(れんぶ)と云うものがありますこれも熱帯植物で南部より他はありませぬ例え之を移植しても北部では結実しませぬ此の果物の形は(あさがお)大でその味は内地の林檎の味の様で極軽い味でありますその色は白赤、浅紅、白青色t色々ありますが之れ等は多く生食用にするのであります。
又、牛心梨(ぎゅうしんり)と云うものがあります牛の心臓の形をして居ると云う所から名付けたもので大きさ及び形は蓮の蕾の少し大きい様なものでその色は茶色をして居ります味は甘だるいものです之は台灣の南部にありますが極めて稀な果物であります。
又、波羅蜜と云うものがあります之も南部の旗山郡(きざんぐん)にありますが極めて稀な果物であります形色は牛心梨の様ですが大きさは人の頭ぐらいで味も牛心梨に似て居りまして矢張り甘だるいものであります。


台湾みやげ話 片岡巌49

2011年12月25日 | 台湾みやげ話
49◎台湾の主な産物は何ですか
 そうですな、砂糖、鹽(しお)、米、茶、樟脳等でしょうが其の他、甘藷(さつまいも)、落花生、苧麻(ちょま)、麻、藍、煙草等もあります。
砂糖は至る處に製糖会社があって農民に其の原料たる甘蔗栽培を奨励して居りますから畑は殆んど甘蔗で埋められて居ります、製糖会社の数は14会社ありまして一カ年の製糖高は5億7365萬0922斤と云う大変に沢山な製品をだして居ります此れらは多くは皆な支那及び内地に送るのであります。
 鹽は矢張り製塩会社がありまして西部海岸の遠浅の海埔(かいほ)を利用して荒き潮水の来らざる處で水田の如き形に区画を為し其の田面全部に磁器の破片を敷き詰め粘土にて其継ぎ目を塞ぎ水の漏らざる様に作り 其の上に塩分濃き䶢水(かんすい)を注ぎ入れて、天日にて干曝(かわかし)さしむる時は8時間くらいで結晶して鹽となるものでありまして一カ年の産額2億3000萬斤位であります西海岸は遠浅でありますからまだまだ有望な所が沢山あります。
 
米は前にお話ししたとおりですが今日開けて居る田畑は全部で 約77萬3800町歩内田は37萬6300町位です、此の収量は545萬石で此の価格は857萬圓であります。
 
 茶は多く北部に産しますが其の作付け町歩は約46550町歩で一カ年の収量は2860萬7878斤価格800萬圓であります。

 樟脳も今は製脳会社が採取しておりますが、本島至る處の蕃界にある樟脳の脂(やに)を以て製造するのであります年産529斤と云うことであります。

 甘薯(さつまいも)も全島植え付け町歩役11萬850町歩で其収量は15億8299萬1324斤と云うのであります。

    落花生も其作付け面積は24490町歩でありまして収量は36萬6661石であります、此れ等は食糧及び製油の原料とするのであります。
 
苧麻(ちょま)は作付け町歩1500町歩位ですが其収量は一カ年169萬3672斤であります。

  藍は多くは泥藍に製すのですが一カ年306萬3545斤位とします。

  煙草は植え付け町歩1219歩一カ年の収量283萬8859斤であります。(以上、台湾事情に由る)


1町歩(ちょうぶ)=約1ヘクタール
1斤 =約600グラム

台湾みやげ話 片岡巌 48

2011年12月23日 | 台湾みやげ話
48◎台湾は米が三度収れると云うがそうですか

三度は収(と)れませぬが二度は収れます今申しました様に夏が長く冬と云うものが殆んどない位ですから1、2月に植えたら6、7月に刈り取り直ぐに傍らに苗代を拵えておきまして第一回の収穫が終わると直ぐ耕して植え付けをしますそれから其年の12月か来年の1月頃には刈り取ります斯様にして年々農業をやって居ります併し山手の水の冷たい處又は雨水でなければ出来ない田は雨水を利用するので年に一回より他に収れませぬ。
  斯様な訳ですから畑の作物も水さえ灌(かけ)れば、沢山肥料を使わずとも年に数回収れます、牛蒡(ごぼう)人参の如きは7、8月かかりますが菜の如きは蒔いてから三週間位で採集が出来ますから年には何回となく収れます併し内地の入梅時とも云うべき台灣
の雨期及び二百十日とも云うべき暴風雨期には野菜は荒らされ又は雨の為に腐敗しますから収穫がありません、併し此れに堪える丈けの設備をしたら温度は適して居るのですから出来ぬと云うことはありませぬ。

台湾みやげ話 片岡巌 47

2011年12月23日 | 台湾みやげ話
47◎台湾の気候は如何ですか

台灣はご存知の通り台灣の中央より少し南の嘉義郡水上庄(みづかみしょう)に汽車に乗って居ても見える所に北回帰線がありまして熱帯と亜熱帯とに跨って居る位ですから最高気温が継続する間が長いのであります内地でも東北辺では夏の土用の中三日間は最高温度でありますが、つまり彼の最高温度が長く続くと云うのであります併し北部の雨の多い所は1、2度低下して居ります、どうしても南部は温度が常に高いのであります、5、6月から9月頃迄は室内でも日中は90度(℉)内(約32℃)ぐらいは珍しくありませぬ、併し夜分に至れば急に涼しくなり日中の暑さは全部忘れて仕舞い大層凌ぎ良くなります之が為住み慣れれば内地より却って宜しい様であります。

台湾みやげ話 片岡巌 46

2011年12月23日 | 台湾みやげ話
46◎台湾の衛生状態は如何ですか

領臺当時は各市街村落に至る處(ところ)不潔でありましたのと衛生と云う方に無関心の本島人が多くありました為彼の有名な麻喇利亞(マラリア)、ペスト、台灣赤痢、腸窒抹斯(腸チフス)、虎列拉(コレラ)、其の他の伝染病及び風土病が盛んでありましたが近来は各地共(かくちとも)市区(しく)の改正を為し清潔となりたるのみならず医学の進歩と共に衛生の設備も行き渡りたる為め衛生状態は良好であります。

台湾みやげ話 片岡巌 45

2011年12月22日 | 台湾みやげ話
45◎台湾は交通や通信が便利ですか

それは大層便利であります、先ず内地から台灣に行くには神戸、門司、長崎等何所からでも台灣の基隆へ行く航路がありまして又3、4日に一回位の定期便が往復して居ります又今年(大正う14年)より高雄、横浜間の直航便も出来益々便利となりました又支那に行くにも基隆、淡水、高雄何れの港からでも常に船が往復して居ります、海路を取りて基隆から東海岸を経て台灣を周はるには先ず蘇澳(すおう)、花蓮港。台東、大板埒(だいはんらつ)車城(しゃじょう)、高雄、安平(あんぴん)、淡水、基隆(きいるん)
の順序でありますが西海岸を経て台灣を周はるにも此れと反対に基隆、淡水、安平と常に沿岸船が往復して居ります又膨湖島に行くにも右の港の何れからでも自由に往復が出来ます、
陸上は汽車が北の基隆より南の渓州駅迄278哩三(マイルサン)の縦貫鉄道がありますから朝基隆を出発すると夕方には渓州に着きます、尚ほ官線(幹線?)の支線としては八堵(はっと)宜蘭、蘇澳間、及び臺北、北投、淡水間があります又縦貫線の一部複線とも云うべき竹南(ちくなん)、追分(おいわけ)間の海岸線があります、又縦貫線を起点として各小都会、及び村落に通ずる製糖会社の私設鉄道や軽便鉄道は至る所にありますのみならず、人力車、自動車もありますし荷物の運搬なども右の機関に依るのみならず馬車牛車、荷車担送人夫等どこにもありますから大層便利であります。
 通信も台灣、長崎間の海底通信がありますから内地を朝発信したら午前12時には台灣に着いて居ります、無線電信所も各所にありますから海上や内地及び各国の出来事も直ちに知ることが出来ます、陸上の通信は至る所郵便電信局があり又電話もありますから如何なる偏僻(へんぴ)な山中に住む人も大層便利であります又要所要所には燈臺(灯台)や測候所(そくこうじょ)等を設けて船舶や其の他の交通の便に備え都会は勿論村落に至る迄電燈が行き渡って居るので少しも不便を感ずる様なことがありません又飛行機は南部の屏東と云う所にありますが、此れは国防と云うよりは蕃人防御に用いて居るので郵便飛行等はまだまだのことでありませう。

台湾みやげ話 片岡巌 44

2011年12月22日 | 台湾みやげ話
44◎台湾の教育は如何ですか

台湾でも初等普通科教育、高等普通教育、実業教育、師範教育、専門教育、特種教育とそれぞれ学校がありまして従来内地人と本島人は別々に教育して居りましたが、本島人も国語(日本語)が巧みに話せることになりし為内臺人共学制となり各学校を通じて内臺人が共学することとなりました併し又書房とて昔の寺子屋式の教育を為す為に私塾を開いて漢文と習字のみを教えて居る先生も少なくないので其の文化の程度が同じ台灣人でも大変な差異があるのであります。

台湾みやげ話 片岡巌 43

2011年12月20日 | 台湾みやげ話
43◎台湾の行政機関は如何ですか

先年より台灣も自治制となり臺灣総督は政府の委任に依り臺灣全島を統轄しその下に内地の縣と同様の事務を司る州には州知事があり又市のある所に(臺北、臺中、臺南、高雄)は内地と同じく市長に当たる市尹(しいん)と云うものがあります、
郡には郡長と同じき郡守なるものがありますそれから内地の町長に当たる者は街長と云ひ村長の代わりには庄長と云うものがあります
又州を置く程広くない處即ち花蓮港、臺東の如き處には廳を置いて州の事務と同じ事を司って居ります、
又警察のお方も警察署もありますし田舎に行けば内地と同じく駐在所に代わる派出所とて巡査が居ります巡査には本島人と内地人と両方の人が用いられて居ります、又街長や庄長も矢張り内地人も本島人も任命されて居ります、都市には内地と同じく消防がありまして警察の補助をして居るのですが田舎に行くと台灣在来の舊慣(きゅうかん:古い習慣)を利用し保甲制度と云うものを以て警察の補助機関として居ります、此れは如何なることをするかと云うと十戸を以て一甲とし十甲を以て一保とし甲に甲長(こうちょう)、保に保正(ほせい)と云うものを各村に置くのですがそれが為に大村即ち大庄になると数保正がある訳になりますそして村中の或る人の家に怪しき者が来て泊まるとか何某が悪事を為(し)たとか云う事を知ったら必ず甲長又は保正に届ける事にしてあります若し此れを知って保正甲長に届けないで知らぬ顔をして居れば此れが発覚した時は十戸のものも甲長も保正も全部同罪と認めて過怠金と云う罰金に處せられると云う制度であります少し酷な様でありますが人情風俗を異にした臺灣では必要なことと思います、斯様な訳で地方に何か事ある時は保正甲長を召集して事を為すと云う風にして居るのであります又此の外に壮丁團(そうていだん)と云うものを各地方に置き警察の補助を為さしめて居ります此れは略内地の消防夫と同じく団長、副団長がありまして警察の命に依りて活動するものであります他は内地と同じく裁判所も刑務所も何でもあります。

台湾みやげ話 片岡巌 42

2011年12月19日 | 台湾みやげ話
42◎台湾の都市は如何ですか

台北は如何ですか?

又台北からお話致しましょう、台北は台湾の北の都会だから台北と名呼(なづけ)たのであります、元台北城と云う城がありました台湾の城は支那式城壁で凸凹形の煉瓦又は石造の城壁で丁度畵に見る支那の萬里の長城形と見れば大差ありませぬ、元淡水縣と云う
支那の縣㕔が在つた所です、今は城壁全部を取除て巿區の改正を為し大いに發逹して內地の都巿と代らぬ程の都會になりました
此所には薹灣總督府及び其他の大官衙や薹北州廳(內地の縣と同じもの)其他學校、病院、圖書館等內地の設備と代りはありませぬ、人口は18萬餘で 其內
內地人4萬9千円餘本島人11萬9千餘外国人1萬1千餘人
で台湾第一の都会であります。


新竹は如何ですか

次は新竹、新竹は元竹塹城(ちくざんじょう)と云うて例の支那形城壁のあった所ですが領臺後(りょうたいご)之を取り除いて市街としましたが其の南方の尖筆山(せんぴつざん)は領臺当時北白川宮殿下の御露営遊ばされた有名な所であります、
人口は3萬5千人で内、
内地人3500餘、本島人3萬1千餘人、外国人418人
でありまして此の所に新竹州廳があります。

臺中は如何ですか

 次は台中、臺中は臺灣の中央なりとの意にて臺中と名付けたのであります此の所には領臺当時は支那形城壁の築き掛けがありましたが之は只土墻きのみであって他の城壁の様な堅固なものはなかったのです今は臺中州廳の所在地で
人口は8萬1500餘人で内、
内地人は1萬3600餘人、本島人6萬5400餘人外国人2500餘人
でありまして市街は總べて内地風の建物にて町名も内地と同様の新町名を付けて居ります。


台南は如何ですか

次は臺南、臺南は台湾の南の都市であると云う所から臺南と付けたので台灣第一の舊都(きゅうと)であります、台北が東京ならば臺南は京都と云うベき所でありますから名所舊跡も沢山ありますが是は後にお話致しましょう、
人口は
8萬1500餘人で内、
内地人は1萬3650餘人、本島人6萬5400人、外国人2500餘人でありまして臺南州廳の所在地であります
又大概の設備は台北と同じくあります上に彼の北白川宮殿下が御崩御遊ばせられたと云う御遺跡地や有名の和唐内(わとうない)、
即ち国姓爺(こくせんや)と云う鄭成功(ていせいこう)を祭りたる開山神社等も此の所にあります。

高雄は如何ですか

次に高雄、高雄は元 打狗と云いましたが街庄名改正の際今の内地風の名に改めたものであります此の所は基隆高雄と相伯仲(あいならん)で南北の二大港で将来益々開発すべき余地のある良港であります
人口は
3萬8500餘人で内、
内地人1萬200餘人、本島人2月萬7500餘人、外国人822人でありまして高雄州廳の所在地であります。

台東は如何ですか
臺東は臺灣の東に位するから臺東と名付けたものであります臺東街に臺東廳が置いてありますが
人口は僅かに
7509人で内、
内地人1456人、と云う微々たる状態で四方は茫々たる大原野で僅かに内地人の移住して開墾に従事し居るものがありますが今後の開発を俟(ま)つ事多き所であります。

花蓮港は如何ですか

花蓮港は臺東の北にあって花蓮港廳の所在地であります
人口は
6900餘人内、
内地人3437人であります
この地は臺東廳と同じく四方の未開の所多く将来の開発を希うこと多き所であります併し今内地人の移民が23箇所ありまして大いに意を強うする様であります希望の人はどしどし台灣総督又は右兩廳に出願して移住を企つるも宜しいことと思います。

その他の都会は如何ですか

以上は五州二廳の都市を挙げて簡単にお話したのに過ぎませぬが尚ほ此の外に人口1萬以上萬以下の都会は
基隆(きいるん:人口5萬餘)淡水(たんすい:2萬餘)宜蘭(ぎらん:2萬餘)蘇澳(すおう9千餘)桃園(とうえん1萬餘)大渓(たいけい:2萬餘)豊原(とよはら:2萬餘)南投(なんとう:2萬餘)埔里(はり:2萬餘)嘉義(かぎ:4萬餘)斗六(とろく:2萬餘)屏東(へいとう:2萬餘)旗山(きざん:1萬餘)恒春(こうしゅん:1萬餘)馬公(膨湖島:2萬餘)でありまして此れ等は皆郡役所の所在地であります(以上台灣事情に由る)

台湾みやげ話 片岡巌 41

2011年12月18日 | 台湾みやげ話

(追記)41◎台湾は内地から何里ありますか

その地形等は如何ですか?
山や川は如何ですか?
港や海岸は如何ですか?
開墾事業などは如何ですか?
鯨や珊瑚が採れるようですが如何ですか?

台湾は九州の鹿児島から南の方へ624海里でありまして太平洋の中に丁度薩摩芋の如な形をして居る島がありますが此島が台湾であります台湾と支那の間にある付属島を膨湖諸島と云います。台湾の周りは399里で此面積は2332方里位で丁度九州位の大きさです、
この島は南北に走って居りますがこの島の竪の真ん中が山脈になって居ります、この山の中央に内地の富士山のより高い1萬3035尺の新高山(にいたかやま)や1萬2000尺以上の次高山(つぎたかやま)があります、台湾の西部の平地は大層開けて農業が盛んであります。
 
 台湾の川としては先ず濁水溪(だくすいけい)と云う一年中濁り通じて流れる、川の長さ42里流域が一里餘、下淡水溪と云う川は清水で長さが39里ありますが其の他是れ以下の川は無数にあります。

 港としては基隆(きいるん)、淡水(たんすい)、蘇澳(すおう)、 花蓮港(くわれん) 高雄(たかを) 安平(あんぴん)等がありますが、基隆、高雄が第一の港であります。

  海岸は西部は平地多く又次第に遠浅になって居りますから漁業をするにも、又鹽田と云う天日鹽を製造するにも、又海水浴場にも適して居ります、併し東海岸は平野はありますが未だ開けぬ所が多くあります、海岸は岩石で断崖が多く海が急に深く波が荒い為漁業にも船舶の出入にも大層難儀を致します、又原野には内地から移住した農民が僅か住居して開墾をなし二三移民村を成し勿々(なかなか)良く農業して居る所もありますが未だ未だ(まだまだ)勿々開墾は仕切れぬ、大原野が沢山あります、台湾総督府でも大いに移民を奨励して居りますから、若し台湾で大農業を為(し)ようと思う人は此の所ですれば良いと思います。

 此の東海岸より西海岸に掛けて鯨が沢山居るので捕鯨会社の船はこの辺を漁区として年々盛んに捕鯨して居ります鯨の捕れる時は眞に壮観ですから恒春(こうしゅん)と云う地方からも又遠方からもわざわざ見物に行く人もあります。

  又東北地方の『アジンコート』島付近よりは珊瑚が沢山採れますから、基隆より採取船が盛んに出ます、誠に台湾は天惠の寳の島であります産業の話は又後にお話致します。