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日記。

齋教と食菜人の焚死 1913年5月20日

2016年03月13日 | 臺法月報
齋教と食菜人

△開臺以来の大珍事 大正二年四月十三日の夜、開臺以来未曽有の大珍事こそ起こりたれ、處は台南廳下六甲なる赤山岩(一名火山岩、岩は山寺の意)の住職陳淪外七名の僧及び鹽水港付近に住する齋教信教の婦人施氏品外六名の十五人、赤山岩の廟前に於いて薪を積み油を灌ぎ、又各自身の體に綿花を纏ひ油を灌ぎ、十五名一時に焚死成佛せんとて先づ其旨を書したる二通の遺書を留め、身體に火を點じて積み置ける炎々たる薪火の中に飛入り遂に焚死を遂げたる一大珍事あり。


△赤山岩 抑々彼の赤岩山は鄭氏、擄臺の當時建立せしものなりと云ひ傳え、該地方最古の寺廟なるを以て従て信徒も尠からず、且つ該寺は臨済宗にして、雲水の僧及び食菜人等常に寄食し居りしと云ふ。


△食菜人 食菜人は即吃齋人にして齋教の信徒を云ふ、齋教とは俗人にして佛戒を守持し葷肉を食わず髪を剃らず法衣を著けず佛を信仰し朝夕佛前に誦經し信徒相互の為冥福を祈るものを云ふ、又信徒に二あり、一は常に寺廟に寄食し僧侶と同棲妻帯せず、夫に嫁せず、朝夕佛前に經を讀誦して供養するものと、一は自家にありて妻帯し、普通の業務に従事し、朝夕佛前に禮拝讀經するものと是なり。

△齋堂 信徒か佛像を安置禮拝する所を齋堂と稱ふ、台南にあるものを西華堂、愼徳堂(金幢派)徳化堂、徳善堂(龍華派此派目下旺盛ナリ)報恩堂(先天派)と云ひ、鹽水港にあるものを善徳堂(龍華派)と云ひ、其他臺中の尼寺乃至は新竹樹林頭の鄭家の尼姑庵、及西門外の周家の齋堂、又苗栗街の齋堂等は出名なるものにして、其外到る所に小齋堂あり。


△信徒 昔時上流者に信徒多かりしが、中古衰微し、下流社會に移りしに現今再び中流以上に皈依(きえ)するもの多き傾向にあり、又閔人、粤人を問はず皈依するもの甚だ多し。


△皈依者多き理由 なぜに斯く皈依者多きかを問ふに、僧尼は法衣を著し頭を剃り居るも、往々糊口の為に出来したるものありて、能く佛祖の戒法を守るもの少し、故に教理を究め世を濟度する等は思束なく、僧尼は徒に寺廟に住し生産に務めず、又た假令法服を著けず頭髪を剃らざるも能く佛道の教義に通じ戒律を守らば佛徒たるに恥ぢず、又生産を務め國用を空費せざるは國民の務めなリとの意より斯く皈依者多きを致すと云ふ


△信徒の名稱 
信徒相互に相呼んで齋友と云ひ、男を齋公と呼び、女を齋姑と稱ふ、信徒中死者あるときは
齋友行て經を讀誦し葬祭をなす、異教人と雖依頼者あるときは之に應じて讀經す、依頼者は普通僧侶に禮する如く金銭を以てせず、物品を贈つて禮となす、又た齋堂の費用は信徒の寄附に依り、亦齋堂に主教なるものありて之を監理す。


△信徒の階級 信徒に九階級あり、曰く空々、大空、清(せい)煕(き)、四偈、大引、小引、三乗、大乗、小乗之なり、入堂後修行を積むに従て階級漸次に進む、一堂の主教は大空にして、全島の主教は空空を以て之れに充つと云ふ。


△教派 齋教に三派あり、曰く龍華、先天、金幢是なり、龍華派の開祖は明の時、山東省莱州の人羅因なるもの二十八歳にして臨済宗に皈依し、五十二歳にして成道し、諸國を遍歴し諸民を教化し、嘉靖六年露靈山に在て示寂したり、後ち師弟相継ぎ清の雍正年中、陳晋月なるもの福州福寧縣観音埔に於て齋堂を開く、之を一是堂と稱す、今の福建及び臺灣に於ける總主教の所在地即之なり。喜慶年間其十五代の祖、蘆晋耀興の第晋濤渡臺して教義を弘め、其弟子晋爵始めて臺南に今の徳善寺を創建せり。


△先天派 は明の代に徐物なるもの四川省に於て先天堂を建立し、盛んに吃齋の教義を宣傳してるより始まり、其孫徒黄昌成、咸豊年間臺南に渡りて教義を弘め、徒弟鄭良謨なるもの今の報恩堂を建立せり。


△金幢派 は明の嘉慶年中王太虚なるもの直轄省永平府より出で齋教に皈依し、其弟子薫應亮萬歴年間興化府蕭田に来り樹徳堂を建立し、其徒弟蔡權なるもの台南に来り今の慎徳堂を建立せり。故に以上の三派は何れも臨済宗の一派にして、就中龍華派は開祖なるを以て現今尚優勢なる一宗派をなし、全島至る所に齋堂ありて且つ歸依者頗る多きを致せり。

△今回焚死したる施氏品 等が常に禮拝せしは鹽水港近くの善徳堂及該赤山岩なりしと云へば、前述の如く善徳堂は龍華派に属するを以て、殆んど同宗に近かく且つ各安置せる佛像も、釈迦、阿弥陀、観世音、達磨、尊者等大同小異にして、經も亦金剛、大悲、靈王、阿弥陀、観音、法華經等を讀誦し居り、其信仰心の歸する所亦同一なるにより陳淪等が迷信に附和するに至りたるものなるべしと云ふ。


△赤山岩の僧陳淪 は支那の禅寺より受戒し來りし僧に非らず、臺灣に於いて出家したるものにして唯一囘、福州皷山湧泉禅寺の靈場に詣で、現今の總監古月師が悟道正定して神通玄妙なるを聞き来り、自己の未だ修行の足らざるをも悟らず、自ら己に悟道入定したるものと迷信し、信徒にも斯の如く説教し信徒も之れを信じ居りたるものなりと云ふ。


△焚死の動機 とも云ふべきは同廟寄寓の僧、張献なるもの法華經に「身に布を纏ひ油を灌ぎ焚死するときは成佛す云々」とあり、吾人も速かに焚死して成佛するに若かず、と云ひ出したるに、陳淪等は大ひに之に賛同し、各信徒に説き勧め、𦾔四月八日の佛祖祭日を期して焚死成佛と定めたりと云ふ、然るに何故か其期に先き立て焚死したるものなりと、彼等が誤信したりと云ふ法華經中の句は即ち左の如し。


法華經第六巻二十三品録。時佛告其子徒、宿王華菩薩、往昔過數劫、時有佛號日月浄明徳、有得大菩薩、弟子八十億七十二、恒河聲聞、聴其説法華經具得三昧、得三昧己卽入定以供養於佛、復起自念言、不知以身供養、随舎身卽天寶衣纏身塗香油用三昧火焚化

と然して又迷信の熱を高めたりと見るべき一事は曾て(かつて)福州皷山湧泉寺に詣てたる際、古月師が座禅數十日、更らに食を取らず、后醒めて徒弟に云て曰く、吾心魂神に通ず故に食せざるも飢えず、之卽禅那也、故に若し全身を猛火森水中に投ずるも何等苦痛なく成佛すべし、と云ひしことありしを以て、陳淪は深かく之を信じ、己れの未だ正定に達し至らざるを悟らず、自ら大悟徹底せるものと迷信し遂に焚死したるものなりと云ふ、兎に角開臺以来の一大珍事と云ふべし。



臺法月報第七巻第五號 1913年5月20日




以下;曾孫注 
一大珍事と書いているが、焚死した僧及び在家信者にとってはそこまでに至るなにかの理由があっての事だと思うのです。それこそ僧の焚死はその後、宗教宗派、國は違えど政治への非暴力の抵抗として行われたのは数知れず、また引用された法華経以外でも記載されているであろうと思われます。宗教指導者は自らも、また信徒にも死を負わせることのないように、実践的祈りで平和に導くことを願い、ご冥福をお祈りいたします。

○ 1913年2月20日

2016年03月09日 | 臺法月報


△牛爺、馬爺 牛と馬とは何時も乍ら引き合ひに出されるゝのであるが、殊に本年は丑歳であるから本当の牛に就て一寸書て見やう、本島には牛天とか牛祭りとか云ふ様なものはない様であるが、牛爺、馬爺と稱するがある、是は我が母國の牛頭天王、馬頭天王と云ふと同じである、本島のは罪人を逮捕懲戒し又は刑罰を執行することを掌つて居る、此のは何れの廟にも居ると云ふのではなく、十殿閻王のある寺廟には必ずある、台南には岳帝廟、重慶寺、それから新竹の廟にもあつたと思ふ、彼の鑼皷亂撾の御祭り行列の眞先きに立つて行く、身の丈け一丈餘りの張子の人身牛首、馬頭人體が即ちそれである、其執務振りはかうである、茲に人間の犯人があるが、人間界では之を探査することが出来ず困じて居る、即ち犯人が巧みに法網を脱れ居る場合、此場合は直に其實況を取調べて主に報告する、恰も警察の刑事の様な鹽梅である、此報を得た主は直に其犯人を處分する、其處分は犯人をして不治の重病に罹からしめ、又は白痴、瘋嬾(ふうらん)となさしめ、再び世に起ちて活動することを得ざらしむるのである、陽間丈けでは取調べがつかぬ時は、陰間にも出張して取調べるのである、假へば被害者は死亡して地下に居る、其加害者が明らかでないと云ふ場合、如此時は牛爺、馬爺はそれぞれ手配りをして黄泉へ出張し、亡者を訊問して加害者の誰かを知り、陽間即娑婆に歸り主に報告する、主神は之に依て犯人を處罰するのである、處が之れは加害者の生存し居る場合である、若し取調べの結果、加害者も已に死亡して居ると云ふことを知った場合は此の二は己れの直属長官たる、閻王に報告するのである、閻王は自己の管轄内のことであるから、直に此の両に命ずる、両は其部下なる掌牌爺と云ふに其執行方を命ずる、被命者は、落磨(スリミ)、落油(アブラ)鼎(イリ)、呑錢(テツノタマ)丸(ノマス)、攪(ヒバシラ)火柱(ヲダカス)、割(シタ)舌(ヲキル)、落(ノコギリ)鋸(サキ)、落(ツキ)椿(ミ)、落(フカシ)蒸(ミ)、浸(チノ)血(イケニ)池(イレル)、挖(メヲ)目眮(ヌク)、寃死(ロウニ)城(イレル)等それゞ犯情に照らして処罰するのである、斯う云ふ風であるか土人に於ても加害者の知れざる場合、又は故意に加害者を害する為め、假へば些細なることにでも害を受けたるとき其加害者をして大いなる禍に逢はしめやうとする場合等は其被害の状況を書き陳ねて此に祈り訴へ、而し(しかし)て後之を焼くのである、さうすると其効験が顕はるゝと云ふて居る、それが爲め此前には年中香煙が絶えぬのである、が之れを聞いては、本島人に對しては滅駄に大きな聲で話すことも出来ないことである、でも畏ろしきは牛馬の両ではあるまいか。

1913年2月20日 臺法月報第七巻第二號

贌の字 1911年7月23日

2016年02月04日 | 臺法月報
1911年7月23日発行    臺法月報第五巻第七號
慣習  
贌の字
      片 岡 巖

贌の字に就いては臺灣𦾔慣習調査会の報告及び臺灣土地投機規則註解の釈義によると何れも狭義の解釈で、田、園、山、林に就いてのみの贌耕に限り、広義の解釈がない、加之北南處に依りても其用法を異にしているやの感がある。故に今之に就いて左に記述しやう。
「贌」とは豫て有期限にして(又は無期限なるものあり)代償を定めて其者を設け、収益を取り又は或る条件の下に人を雇い入れて労働その他に従事せしめ、もしくは人の名義を籍りて収益を取る契約をなすのを云ふのである。
先づ贌園、贌田、贌山場、贌埔等は、人皆云ふ所の贌耕であるが、然る共同便所の糞便を期限及び代償を定めて其期間内に汲み取るを贌尿礜と云ひ、船筏を期限代償を定めて借り期限内使用するのを、贌船、贌竹筏なぞと云ふ。
更に不思議なのは、樓主が娼妓や藝妓を抱へるのを贌と云ひ、小間使いとして婦女子を或る期間何程と定めて雇ふのを贌査某と云ふ。
又た金鑛や炭鑛で下請けを為すをも贌と云ひ、牡蠣飼育所を借り入れるを贌蠓仔塭、 鹽田、魚塭、池沼、を借り入れるのも、寝台借用も同様で、
煉瓦工場借用を贌瓦仔磘、贌磚仔磘と云ひ、木炭炮竈を借りるのも贌と云ふ。
其他理髪職、大工、左官、桶職などの弟子を雇入れるのを贌司仔と呼び、俳優を雇入れるのも亦た贌と名付ける。
監獄軍隊等の残飯を請けたり、牛乳搾取業者が飼牛の為市内の豆腐屋から豆腐の滓を買う約をするのも、亦た石工が石山の石を搾取する契約も矢張り贌だ。
以上は北部で多く用ゆる語だが、南部では更に多く、豚守り、牛守り、の小児を雇う入るるを贌看猪、贌看牛、と云ひ、又甲が子豚数等を買ひ乙に之を預け飼養せしめ、他日肥大となり売却した時歩割を以て分配するのを贌分飼猪と云ふ。
又た辯護士の名義で出張所を開設して居るのを贌辯護士と云ひ、阿片煙膏の下請、食塩煙草の下請亦た然りだが、理髪職が一定の客人に対して一箇年何程として理髪契約をするのを贌庄と称する。
かくの如く贌の字の要所は非常に多く、今一般を窮治する便に数種を摘録したに過ぎない、而も贌の字は現行法規上如何なる性質を含むかの点は専門家に譲り、贌辯護士、贌司仔、贌査某、贌庄の如きは、蓋し内地人には珍しい慣習ではあるまいか。



夢判断 第二 地理山石樹木の夢の部

2015年09月03日 | 台湾風俗誌


第二、地理山石樹木の夢の部

2-1 地震あるは官位を移して吉なり

2-2 地裂けるは疾病ありて大凶なり

2-3 田地を開拓するは大吉なり

2-4 地高くして平らかならざるは病あるの兆

2-5 石に臥するは大吉なり

2-6 地中黒氣あるは凶なり

2-7 盤石を夢むるは安穏憂いなきの兆

2-8 巌上に登るは官職移るの兆

2-9 手に小石を弄ぶは貴子生まれるの兆

2-10 自身土を採るは恥辱を蒙ふるるの兆

2-11 山に登りて土を落とすは位を得るの兆

2-12 山に登って怕るは禄位を得るの兆

2-13 山に登って土壌を崩すは凶なり

2-14 高山に遊ぶは春夏に於いては吉なり

2-15 池の辺りに近づけば痒患を避くるの兆

2-16 高山に住するは喜事あるの兆

2-17 山に往いて財を得るは富貴の兆

2-18 物を抱いて山に登るは貴子を儲く

2-19 山中に耕耘するは衣食裕かなるの兆

2-20 枯木再発するは子孫興るの兆

2-21 堂上地陥(へこ)むは憂いなし

2-22 園の草木繁茂するは大吉なり

2-23 樹木枯死するは居所定まらず

2-24 林中に座し或いは臥するは病癒えんとするの兆

2-25 樹木淍落するは主人凶あるの兆

2-26 林中樹生ずるは貴子を生むの兆

2-27 樹木を植ゆるものは大吉なり

2-28 大樹に上るものは名聲挙るの兆

2-29 樹に上って忽ち下るは死傷あるの兆

2-30 人に花を與ふるは別るるの兆

2-31 枯木花を開くは子孫興るの兆

2-32 大樹屋上に落つるは吉なり

2-33 樹堂上に生ずるは父母憂あり

2-34 大木忽ち折るるは凶なり

2-35 水を擔ぎ来るは財を得るの兆

2-36 大樹を伐るは多くの財を得るの兆

2-37 草木茂盛するは家道起るの兆

2-38 門中果樹を生ずるは子生まれるの兆

2-39 松屋上に生ずるは位三公に至るの兆

2-40 家中松を生ずるは移転して豊かなるの兆

2-41 家中柏を生ずるは大吉

2-42 庭前に竹木あるは喜び重なるの兆

2-43 楓屋下に生ずるは百事遂ぐるの兆

2-44 蘭庭前に生ずるは孫生まるるの兆

2-45 果林の中を行くは財を得るの兆

2-46 果園の中に入るは大に財を發するの兆

2-47 桑、井上に生ずるは憂あるの兆

2-48 棗(なつめ)多く熟するは子孫平安なり

2-49 筍折るるは家女子を産むの兆

2-50 筍を見るものは子孫繁栄を添ふるの兆

2-51 地を箒き糞を掃除するは家頽るるの兆





改正民事訴訟法訴訟手続臺灣実例書式 序と目次

2015年02月03日 | 改正民事訴訟法訴訟手続臺灣実例書式
改正民事訴訟法訴訟手続臺灣実例書式

 序

法三章以て治国の則とするは蓋し理想なる可し。然れども人文の増殖、その他各般の事情は正義道徳に対する観念を区々たらしめ、権利義務の闘争底止する處を知らさる現代に於いては宜しく法令を完備して以て社会生活の縄墨を示すこと必要避く可からさることに属し、而も時勢の変遷は法令の改廃更生を促すこと頻なり。
於茲襄日民事訴訟法の改正を見るに至りたるが之を活用せんとするには先ず規定せられたる手続書式を重んせんさる可からず。如何に法理に通暁し条文に堪能なりと雖も手続書式の作成完からされば実際的活用をなし能はさるは言を俟たず然るに新法施行せられて日尚浅く、之れに関する良書未だ刊行せられず実務家の不便甚だしきものあり其の出現を待つこと大旱の雲霓に望むが如き秋に際り本書出づ。記載する處懇切丁寧を極め、萬端の書式を網羅して遺脱する處なく一度之れを繙(ひもと)けば諸般の書類立處に作成し得らる、の便あり正に実務家の座右の宝典と謂を憚らず。
畏友 片岡巖君は直に篤学にして経世憂国の志を蔵し不撓不屈の精神を有するの士なり、己に数種の著書あり世を稗益する處甚だしからざるものありしが近年不幸にして健康勝れず視力極度に減退し殆ど盲に近きものあり近親其静養を切望するに拘わらず一片耽々の意気止み難く遂に本書を完成するに至りたるものなり、故に内容は手続様式を明らかにしたるものなりと雖も之を手にすれば自ら端然襟を正さざる可からさるを覚えゆ蓋し君の心血の結晶なればなり、豈尊ばさる可けんや。本書の推奨するに当り特に付言すること然焉

昭和四年秋
           於眠月庵書窓
                   武井 羽二郎 誌

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 序

簡政省務は国を興すの第一義たり政府今回民訴の改正を行ふ洵(まこと)に意義ありと言うべし面して法の活殺は運用にあり運用の法を手続きとなす既に法生まれて之を運用する手続き書式の必要なること一日も欠くべからず喫緊事たり余之を慮(おもんぱか)り公益の為の此の著をなすに至る。
由来専門家の著書は同じく専門家の向学の為に重用せられ実務家の著書は等しく実務家の実用の為に慣用せらる、こと既に定説ある所なりと雖も余の浅学菲才なるに且つ眼疾の為め多く口述を以て人に筆記せしめたるを以て杜撰の點尠からす故に前言を負う能わざるを愧つ
本書は昭和4年7月24日に終わる此の間天日は赫々として毎日九十八九度(華氏)
に昇り金石を溶かすの思いあり加えるに内地本島の書店を通して改正民訴の正文なく従って解訳を施したる書籍等一つも之無く只臺灣六法に掲げたる正文より外に参考と為すべき書籍無かりし為言う可からさる困難に遭遇し労多くして効少なかりしは余の遺憾とする所なり
然りと雖も、本書は実例を臺灣に採りたるを以て在臺灣実務家の為に便多からん乎
本書に依って一人にても益する人あらば即ち余の希い足ると云爾

 昭和4年12月12日
於 赤篏樓南藘舎
                            著 者 識













例  言
• 本書中参考條項のみありて其條文無きものは其書式の前又は後に掲げあるを以て省略したるものなり
• 第六編以下を附録としたるは今回六編以下改正少なく他日大改正と共に民訴より分離せらるべきものなりとの故に如斯編綴したるものなり
• 又其編綴についても従来の逐条的編綴の複雑にして実務家の不便多かりしを慮り本書の如く編綴したるは余の創意に依るものなり
• 本書編纂に就き元警察官練習所教官現臺灣総督府通訳東方孝義君は多大の御助力を被下したるに付茲に特記して其厚志を深謝す
• 尚ほ各法院諸彦も陰に陽に本書編纂に就き甚大なる助力を被下たるも御注意に依り其芳名を顕す能はさるは遺憾とする所なるも茲に特記して其陰徳の恩を深謝す






















改正民事訴訟法訴訟手続臺灣実例書式

目次

 第壱集  訴訟手続き

第一編 総則
第一章 裁判所

 第一節 管轄

【一號書式】管轄法院指定の申立書
【二號書式】合意書
【三號書式】管轄移送申立書
【四號書式】即時抗告状

第二節 裁判所職員の除斥 忌避及び回避

【五號書式】忌避申し立て書
【六號書式】疏明書
【七號書式】抗告状

第二章 當事者

 第一節 當事者能力及訴訟能力

 【八號書式】訴状(砂糖代金請求ノ訴)
 【九號書式】訴状(聘金返還ノ訴)
 【一〇號書式】訴状(肥料代請求ノ訴)
 【一一號書式】訴訟代表者選定書
 【一一號書式ノ二】訴状(豚代金請求ノ訴)
 【一二號書式】訴訟代表者變更協議書
 【一三號書式】通知書
 【一四號書式】訴状(貸金請求ノ訴)
 【一五號書式】訴状(物品代金請求ノ訴)
 【一六號書式】同意書
 【一七號書式】夫ノ許可書
 【一八號書式】同意書
 【一九號書式】同意書
 【二〇號書式】追認書
 【二一號書式】特別代理人選任申立書
 【二二號書式】通知書
 【二三號書式】通知書

 第二節 共同訴訟
 
 【二四號書式】訴状(貸金請求ノ訴)
 【二五號書式】訴状(土地引渡及不當利得金請求ノ訴)
 【二六號書式】訴状(土地引渡及不當利得請求ノ訴)

第三節 訴訟参加

 【二七號書式】参加申出書
 【二八號書式】異議申立書
 【二九號書式】参加理由疏明書
 【三〇號書式】卽時抗告書
 【三一號書式】参加申出書
 【三二號書式】参加申出書
 【三三號書式】通知書
 【三四號書式】脱退承諾書
 【三五號書式】訴訟参加申告書
 【三六號書式】訴訟告知
 【三七號書式】訴訟告知



 第四節 訴訟代理人及補佐人

 【三八號書式】委任状
 【三九號書式】委任状
 【四〇號書式】代理人許可願
 【四一號書式】通知書
 【四二號書式】許可願

第三章 訴訟費用

 第一節 訴訟費用ノ負担

 【四三號書式】訴訟費用償還申立書
 【四四號書式】計算書
 【四五號書式】即時抗告書
 【四六號書式】訴訟費用額確定決定申立書
 【四七號書式】訴訟費用計算書
 【四八號書式】請書
 【四九號書式】訴訟費用額確定決定申立書
 【五〇號書式】訴訟費用額確定決定申立書

 第二節 訴訟費用ノ担保

 【五一號書式】訴訟費用擔保命令申立
 【五二號書式】應訴拒絶申立書
 【五三號書式】卽時抗告書
 【五四號書式】請書
 【五五號書式】供託書
 【五六號書式】契約書
 【五七號書式】通知書
 【五八號書式】擔保物権行使申立書
 【五九號書式】證明願
 【六〇號書式】擔保取消決定申立書
 【六〇號書式ノ二】擔保取消決定申立
 【六〇號書式ノ三】請書
 【六〇號書式ノ四】供託書還付願
 【六〇號書式ノ五】請書
 【六〇號書式ノ六】抗告権抛棄書
 【六一號書式】擔保物ニ對スル権利行使催告申立書
 【六二號書式】卽時抗告書
 【六三號書式】供託物取戻請求書
 【六四號書式】擔保物變換申立書

 第三節 訴訟上ノ救助

 【六五號書式】訴訟上ノ救助申立
 【六六號書式】訴訟上ノ救助取消申立書
 【六七號書式】訴訟費用確定決定申立書
 【六八號書式】卽時抗告書

第四章 訴訟手続
 
 第一節 高等辯論

 【六九號書式】辯論再開申立書
 【七〇號書式】準備書面却下決定申立書
 【七一號書式】口頭辯論ノ陳述筆記申立書
 【七二號書式】記録閲覧願
 【七三號書式】調書正本(謄本)(抄本)交付申立書

 第二節 期日及期間

 【七四號書式】期日變更申立書

 第三節 送達

 【七五號書式】假住所届書
 【七六號書式】公示送達ノ申立書

 第四節 裁判

 【七七號書式】判決更生決定申立書
 【七八號書式】卽時抗告書
 【七九號書式】訴状(家屋明渡請求ノ訴)
 【八〇號書式】訴状(損害賠償請求ノ訴)
 【八一號書式】假執行宣言申立
 【八二號書式】供託書
 【八三號書式】假執行スヘカラストノ宣言申立
 【八四號書式】供託書
 【八五號書式】契約書
 【八五號書式ノ二】通知書
 【八五號書式ノ三】擔保物件行使申立書
 【八五號書式ノ四】證明書
 【八五號書式ノ五】擔保取消申立書
 【八五號書式ノ六】擔保物ニ對スル権利行使催告申立書
 【八五號書式ノ七】卽時抗告書
 【八五號書式ノ八】供託書還付願
 【八五號書式ノ九】供託物取戻請求書
 【八五號書式ノ十】契約書
 【八六號書式】給付物品返還及ビ損害賠償要求申立書
 【八七號書式】異議申立書

第五節 訴訟手續中断及中止
 
 【八八號書式】訴訟手續受継申立書


第二編 第一審ノ訴訟手續

第一章 地方裁判所ノ訴訟手續

 第一節 訴

【八九號書式】訴状(家屋明渡竝家賃及損害賠償請求ノ訴)
【九〇號書式】訴状(證書確認ノ訴)
【九一號書式】訴状(離婚ノ訴)
【九二號書式】(契約金請求ノ訴)
【九三號書式】欠缺補正申立書
【九四號書式】卽時抗告書
【九五號書式】請求及請求ノ原因變更申立
【九六號書式】請求變更申請却下申立書
【九七號書式】請求擴張申立書
【九八號書式】訴訟取下書
【九九號書式】期日指定申立書
【一〇〇號書式】答辯及ビ反訴状
【一〇一號書式】反訴ノ訴状(一)
【一〇二號書式】反訴ノ訴状(二)

 第二節 辯論ノ準備

【一〇三號書式】答辯書
【一〇四號書式】訴訟準備書面
【一〇五號書式】疏明書
【一〇六號書式】辯論再開申立書

 第三節 證 據 (しょうきょ)

  第一款 總則

【一〇七號書式】證據申出書
【一〇八號書式】供託書
【一〇九號書式】卽時抗告書

  第二款 証人訊問

【一一〇號書式】證人調申立書
【一一一號書式】卽時抗告書
【一一二號書式】證人不参加
【一一三號書式】證言拒絶書
【一一四號書式】疏明書
【一一五號書式】即時抗告書
【一一六號書式】卽時抗告書
【一一七號書式】異議申立書
【一一八號書式】請求書(證人旅費)

 
第三款 鑑定

【一一九號書式】鑑定人申立書
【一二〇號書式】鑑定人忌避申立書
【一二一號書式】疏明書
【一二一號書式ノ二】卽時抗告書
【一二二號書式】鑑定人不参加
【一二三號書式】鑑定人旅費日當請求書

 第四款 書證

【一二四號書式】書證提出命令申立書
【一二五號書式】書證提出書
【一二六號書式】卽時抗告書
【一二七號書式】卽時抗告書
【一二八號書式】書證取寄嘱託申立書
【一二九號書式】卽時抗告書
【一三〇號書式】卽時抗告書

 第五款 檢證

【一三一號書式】檢證申立書
【一三二號書式】卽時抗告書

 第六款 當事者訊問

【一三三號書式】本人訊問申立書
【一三四號書式】卽時抗告書
【一三五號書式】異議申立書

第七款 證據保全

【一三六號書式】證據保全申立書
【一三七號書式】證據保全申立書

第二章 區裁判所ノ訴訟手續

【一三八號書式】管轄移送申立書
【一三九號書式】和解申立書
【一四〇號書式】通知書

第三編 上訴
第一章 控訴
【一四一號書式】訴訟状(賃金請求事件ノ控訴)
【一四二號書式】合意書
【一四三號書式】控訴取下書
【一四四號書式】訴訟取下書
【一四四號書式ノ二】期日指定申立書
【一四五號書式】控訴権 棄書
【一四六號書式】答辯書
【一四六號書式ノ二】訴訟準備書面
【一四六號書式ノ三】疏明書
【一四六號書式ノ四】異議申立書
【一四六號書式ノ五】辯論再開申立書
【一四六號書式ノ六】異議申立書
【一四六號書式ノ七】期日指定申立書
【一四七號書式】欠缺補正申立書
【一四七號書式ノ二】卽時抗告書
【一四八號書式】附帯控訴状(損害賠償請求事件ノ附帯控訴)
【一四九號書式】假執行宣言申立書
【一五〇號書式】卽時抗告書

第二章 上 告

【一五一號書式】上告状(所有権移轉登記請求事件ノ上告)
【一五二號書式】追認書
【一五二號書式ノ二】通知書
【一五三號書式】上告理由書
【一五四號書式】答辯書
【一五五號書式】假執行宣言申立書

第三章 抗 告

【一五六號書式】抗告書
【一五七號書式】異議申立書
【一五八號書式】抗 告
【一五九號書式】卽時抗告書

第四編 再 審

【一六〇號書式】訴状(判決取消ノ為再審ノ訴)

第五編 督促手續

【一六一號書式】支拂命令書
【一六二號書式】支拂命令書
【一六三號書式】支拂命令書
【一六四號書式】支拂命令書
【一六五號書式】支拂命令書
【一六六號書式】異議申立書
【一六七號書式】準備書面
【一六八號書式】支拂命令ニ對スル假執行命令申立書
【一六九號書式】卽時抗告書



第貮集 強制執行其他

第一章 假差押及假處分

【一七〇號書式】動産假差押命令申立
【一七一號書式】請書(供託命令)
【一七ニ號書式】供託書
【一七三號書式】動産假差押執行申立
【一七四號書式】假差押動産換價命令申立
【一七五號書式】請書(換價命令)
【一七六號書式】換價競売申立書
【一七七號書式】起訴命令申立
【一七八號書式】假差押執行取消申立
【一七九號書式】動産假差押取消申立書
【一八〇號書式】供託書
【一八一號書式】假差押物件に對シ強制執行ヲ開始シタル証明願
【一八二號書式】假差押執行不能ノ証明願
【一八三號書式】假差押命令取下書
【一八四號書式】供託書還下付願
【一八五號書式】供託物取戻請求書
【一八六號書式】不動産假差押命令申立
【一八七號書式】請書
【一八八號書式】登記嘱託申立書
【一八九號書式】供託書
【一九〇號書式】不動産假差押取下書
【一九一號書式】不動産假差押一部取下書
【一九二號書式】債権(假)差押命令申立
【一九三號書式】債権假差押執行取消申立
【一九四號書式】債権假差押取下書
【一九五號書式】供託命令請書
【一九五ノニ】供託書
【一九五ノ三】起訴命令申立書
【一九五ノ四】供託書還付願
【一九五ノ五】供託物取戻請求書
【一九六號書式】船舶假差押命令申立書
【一九七號書式】請書
【一九八號書式】船舶假差押執行取消申立
【一九九號書式】供託書
【一九九ノニ】請書
【一九九ノ三】起訴命令申立書
【一九九ノ四】供託書還付願
【一九九ノ五】供託物取戻請求書
【二〇〇號書式】不動産假登記假処分命令申立
【二〇一號書式】假差押命令ヲ承継人ニ對シ執行文付與申立
【二〇二號書式】第三債務者ノ陳述ヲ求ムル申立
【二〇三號書式】建築禁止ノ假処分命令申立
【二〇四號書式】建築禁止ノ假処分執行申立
【二〇五號書式】土地占有権ニ付假ノ地位ヲ定ムル假処分命令申立
【二〇六號書式】起訴命令申立
【二〇七號書式】假処分執行解除申立
【二〇八號書式】訴状

第二章
強制執行

【二〇九號書式】判決正本送達證明申立
【二一〇號書式】判決確定證明書
【二一一號書式】判決一部確定證明書
【二一二號書式】控訴ナキコトノ證明願
【二一三號書式】執行文付與申立書
【二一四號書式】(承継人ニ對シ)執行文付與申立書
【二一五號書式】確定セル部分二對シ執行文付與申立書
【二一六號書式】承継者二對シ執行文付與申立書
【二一七號書式】和解調書謄本二對シ執行文付與申立書
【二一八號書式】認諾判決謄本二對シ執行文付與申立書
【二一九號書式】 訴訟費用額確定決定正本二對シ執行付與申立書
【二二〇號書式】假執行宣言ヲ附シタル判決正本二對シ執行文付與申立書
【二二一號書式】公正證書二對シ執行力アル正本付與申立
【二二二號書式】執行力アル判決正本三通交付申立
【二二三號書式】更二執行力アル和解調書正本一通交付申立
【二二四號書式】更二執行力アル判決正本一通交付申立
【二二五號書式】動産強制競売申立書
【二二六號書式】強制執行申立書
【二二七號書式】配當要求書
【二二八號書式】配當協議二付申立
【二二九號書式】動産強制執行停止命令申立書
【二三〇號書式】請書
【二三一號書式】供託書
【二三二號書式】請書
【二三三號書式】動産強制執行停止申立書
【二三四號書式】強制執行停止命令申立
【二三五號書式】供託書
【二三六號書式】動産強制執行続行命令申立
【二三七號書式】供託書
【二三八號書式】動産強制執行続行申立書
【二三九號書式】強制執行処分取消申立
【二四〇號書式】動産強制執行猶豫申立書
【二四一號書式】動産強制競売申立取下願
【二四二號書式】訴状
【二四三號書式ノ一】訴状
【二四三號書式ノ二】訴状
【二四三號書式ノ三】執行記録閲覧願
【二四三號書式ノ四】動産差押調書謄本交付申立
【二四三號書式ノ五】差押物件ノ封印標目除去二付申立
【二四三號書式ノ六】差押物件ヲ入札拂ノ方法二依リ賣却命令申立
【二四三號書式ノ七】配當表ニ對スル異議ノ訴
【二四三號書式ノ八】競落許可ニ對スル抗告
【二四三號書式ノ九】競落不許可ニ對スル抗告
【二四四號書式】不動産強制競賣申立
【二四五號書式】賃貸借取調申立
【二四六號書式】計算書
【二四七號書式】不動産強制執行停止命令申立書
【二四八號書式】不動産強制執行處分取消命令申立
【二四九號書式】強制執行處分停止命令申立
【二五〇號書式】配當要求書
【二五一號書式】債権確認ノ訴
【二五二號書式】不動産強制競賣申立取下願
【二五三號書式】強制競賣取消申立
【二五四號書式】強制執行停止命令申立
【二五五號書式】強制執行續行命令申立
【二五六號書式】強制執行處分取消命令申立
【二五七號書式】供託書
【二五八號書式】土地引渡執行申立及 家屋明渡執行申立
【二五九號書式】障碍消滅證明書
【二六〇號書式】債権差押申立
【二六一號書式】債権差押申立
【二六二號書式】債権差押停止命令申立書
【二六三號書式】差押債権轉付命令申立
【二六四號書式】差押債権取立命令申立
【二六五號書式】債権取立届
【二六六號書式】第三債務者ノ陳述ヲ求ムル申立
【二六七號書式】訴状
【二六八號書式】訴状
【二六九號書式】配當要求書
【二七〇號書式】財産権差押命令申立
【ニ七一號書式】船舶強制競売申立
【ニ七ニ號書式】賃貸借取調申立書
【ニ七三號書式】船舶登記簿抄本請求申立
【ニ七四號書式】公課取調方申立
【ニ七五號書式】差押船舶航行許可申立
【ニ七六號書式】差押船舶ノ管理人選定申立
【ニ七七號書式】配當要求書
【ニ七八號書式】債権確認ノ訴
【ニ七九號書式】船舶強制競売申立取下願
【ニ八〇號書式】債権計画書
【ニ八一號書式】異議ノ訴提起ノ證明申立
【ニ八ニ號書式】配當表二對スル異議ノ訴
【ニ八三號書式】判決確定ノ證明申立
第三章
特定動産引渡
【ニ八四號書式】特定動産引渡ノ執行申立
【ニ八五號書式】代替物件引渡強制執行申立
【ニ八六號書式】土地引渡(建築明渡請求権差押命令申立)
【ニ八七號書式】第三者ヲシテ代位執行申立
【ニ八八號書式】債務履行命令申立
第四章
強制管理
【二八九號書式】不動産強制管理申立
【二九〇號書式】供託書
第五章
公示催告
【二九一號書式】公示催告申立(船荷證書)
【二九二號書式】公示催告申立(小切手)
【二九三號書式】公示催告二對スル権利ノ届
第六章
仲裁契約
【二九四號書式】仲裁契約
【二九五號書式】仲裁人選定催告
【二九六號書式】仲裁人選定ノ申立
【二九七號書式】證人鑑定人訊問申立
【二九八號書式】仲裁判断書
【二九九號書式】仲裁判断書保管申立
【三〇〇號書式】仲裁人忌避ノ訴
民事訴訟法中改正法律施行法
改正民事訴訟費用法
改正民事訴訟用印紙法


目次(終)









台灣風俗誌 夢判断

2014年11月30日 | 台湾風俗誌
台灣風俗誌第10集
第1章 台灣の巫覡(フゲキ) 夢判断


898~901ページ




夢判断

夢に付いては精神の異状の部に詳述せるを以って今茲に贅せざるべし然して本島人が夢は必ず何等かの前兆なるべしと信じ居るものにして一夜夢みるときは必ず之を考ふ若し己れの能力にて判断する能はざるときは学者先生又は朴卦先生の判断を請ふ 先生は古人の夢の有名なるもの即ち林誌の夢、武丁の夢、周の太公望の夢、鄭文公の妾の夢、始皇の夢、沛公の夢、韓信の夢、李白の夢等有らゆる夢の故事を温ね尚ほ相當するものになるときは左の数頁に依て判断す朴卦先生は易卦より判断し或いは又左に依て判するものなりと云ふ







天及び日月星辰の夢の部



1-1 紅天開けたるときは、貴人の推薦あり

1-2 天皇光身を照らすときは、疫病なし

1-3 天晴れ雨散するときは、百憂去る

1-4 天明らかなれば婦人貴生む

1-5 天紅ければ必ず兵起る兆なり

1-6 犬に乗りて天に昇れば富貴となるの兆なり

1-7 天に昇って妻を覔(もと)むれば児女誉れあり

1-8 天に昇って物をとれば位王侯に陞(のぼ)る

1-9 天に飛び上がれば富貴となれる兆にして大に吉

1-10 天に昇り且つ家に登れば高官を得るの兆なり

1-11 天裂くるは國分かるゝの憂あり

1-12 天の星辰を夢むれば明主公卿至るの兆なり

1-13 天将に暁ならんとするものは益々寿命長し

1-14 天河を渡るは大吉なり

1-15 天地合するは希望總べて成る

1-16 天神の使い至るは大吉祥なり

1-17 日月始めて出づるは家庭盛なり

1-18 日月身を照らすは高位を得

1-19 日月落つるは父母殁する憂あり

1-20 日月闇ければ妻孕み且つ吉なり

1-21 日月の出でんと欲するは官職を得

1-22 日月會すれば妻に子ある兆しなり

1-23 日月山を啣むは奴、主を欺くの兆

1-24 日月を抱き或いは負うは貴子王子出づるの兆

1-25 日月を呑むは貴子を産むの兆

1-26 日月を禮拝するは大吉にして且つ昌なり

1-27 日日光星に入るは官位至るの兆なり

1-28 日出でて光りあるは好事あり

1-29 雲開けて日出づるは凶事散するの兆

1-30 星月を拝し香を焚くは大吉なり

1-31 雲忽ち日を遮るは陰かに私あるの兆なり

1-32 星を釣るは病あるの兆なり

1-33 星竝び行くは主人を添ふるの兆

1-34 星を取るは富貴となるの兆なり

1-35 流星落ちざるは主人居を移すの兆なり

1-36 天を巡りて星に擵るは位公卿に昇るの兆

1-37 雲四方に起こるは交易吉なり

1-38 雪身體に落つるは萬事成るの兆

1-39 雲霧物を避蔽するは大吉なり

1-40 雪體を濕さざるは喪あるの兆なり

1-41 雪家の庭に落つるは葬あるの兆

1-42 陰雨晦暗は凶事の兆なり

1-43 雷𩃀鳴るは官位昇身の兆

1-44 雷聲人を驚かすは居を移して吉なり

1-45 雷、地震共に至るは志遂ぐるの兆

1-46 雷光身を照らすは嘉慶あり

1-47 赤虹を夢みれば吉なり

1-48 黒虹を夢みれば凶なり

1-49 霞天に充つれば萬事喜びあり

1-50 狂風大雨は人死亡するの兆

1-51 風人の衣を吹くのは疾病の兆

1-52 忽ち大風あるは國に號令あるの兆

1-53 風吠ゆるが如きは主人遠きより信あるの兆



第二、地理山石樹木の夢の部

2-1 地震あるは官位を移して吉なり

2-2 地裂けるは疾病ありて大凶なり

2-3 田地を開拓するは大吉なり

2-4 地高くして平らかならざるは病あるの兆

2-5 石に臥するは大吉なり

2-6 地中黒氣あるは凶なり

2-7 盤石を夢むるは安穏憂いなきの兆

2-8 巌上に登るは官職移るの兆

2-9 手に小石を弄ぶは貴子生まれるの兆

2-10 自身土を採るは恥辱を蒙ふるるの兆

2-11 山に登りて土を落とすは位を得るの兆

2-12 山に登って怕るは禄位を得るの兆

2-13 山に登って土壌を崩すは凶なり

2-14 高山に遊ぶは春夏に於いては吉なり

2-15 池の辺りに近づけば痒患を避くるの兆

2-16 高山に住するは喜事あるの兆

2-17






















つづく

臺灣人のことわざ。日臺対譯(対訳)焼餅焼

2014年11月25日 | 台湾風俗誌
俚諺(ことわざ)
[や]「焼餅焼き:やきもちやき」

三禮拝六點鐘 サイレエパイ ラクテアムチェン(撈醋矸)(食醋)

臺南重慶寺に昔一箇の醋甕あり妻妾愛衰ふ時、此寺に詣で醋甕を攪拌し祈る時は他女を病ましめ
愛を恢復することを得ると迷信し居れり是より宿六の胸倉を取るを食醋と稱し、
又撈醋矸と云ふ三禮拜云々は一種の謎なり云ふ心は三禮拜は三週間即三七、二十一日、
二十一日は即廿の字、六點鐘は一時二時未刻、三時四時は申刻、五六時は酉の刻なり依て酉に昔は即ち醋の字なりとの意にて醋燒鉼燒の簡稱なり


676ページ 台湾風俗誌 第八集 第1章より



そして、521ページ
第七集 第1章 臺灣人の怪談奇話 第40節に同じことが書いてありました。

「重慶寺の酢瓶」
重慶寺は臺南市重慶寺街にあり、元基本堂に一個の醋瓶あり、此の醋瓶は放蕩を止めしむるに効ありと云ふ、
例えば夫が蓄妾をなし其妾を愛して正妻を疎んずるが如きことあるときは、正妻は此の重慶寺に詣で焼香焼紙の後、本堂の本尊千手観音に祈願し、夫の心を挽囘せられんことを祈り、而して箸を以って其の醋瓶を攪拌すること二三囘、斯くん詣っる二三日にして不思議にも夫の心變り、其の心正妻に傾くと云ふ、今臺灣語に撈醋矸ラオソオカヌ「嫉妬」なる語は之より出づと云ふ。

昔新港社別婦歌。 ( 生蕃の歌 第四集 第2章 第18節)

2014年11月22日 | 台湾風俗誌
昔、新港社別婦歌

馬無艾幾喇。(マアブウカイキイラア)
唷無晃米哰。(イオクブウコンミイアイ)
加麻無知各交。(カアマアプウテイコクカウ)
麻各巴圭里文里文蘭彌勞。(マアコクパアケエリイブンラヌミロオ)
查美狡呵呵孛沈沈々無晃米哰。(サアビイカアアアフツテムイオクブウコンミアイ)
爰如眞落圭哩其文蘭。(オアヌズウシヌロオケエマイキイブヌラヌ)
査下力柔下麻勾。(サアハアリヨクジウハアマアコオ)

我愛汝美貌之意
不能忘
實々想念
我今去捕鹿
心中輾轉愈不能忘
待捕得鹿
囘來便相贈



歌の意は、
我常に汝が美貌を愛す、忘れんとするも忘る〃能はず、実に之れのみを思ふ、
我今去ひて鹿を捕へんとす、而も心中輾轉として愈愈忘るる能はず、女よ鹿を捕へて来るのを待て、帰り来れば必ず女に贈らん

臺俗瑣談 1910年12月10日

2014年08月23日 | 臺法月報
臺俗瑣談

旧弊瑣談

 所変われば品変わるとは古い文句だが、内地と本島とは元是れ同文同宗教の点から、日常の瑣事にまで類似は多いが、さてその理由がまたしても異なるから妙だ。茲に記す一項もその一つである。
内地でも死人を棺に納めるときに、六道銭や珠数草鞋、さては空木(うつぎ)麻殻(おがら)の杖を棺中に入れる通り、本島もこれに似た事をする。即ち今茲に「天寿を以て終わった者があるとする。」而すると其棺には、「桃枝に握り飯、龍銀一圓」に一文か三文の銭を添えて入れ、死者の枕頭の両端には「鶏毛」を一本づつ挿す、これが例になって居る。今其理由を聞くに、人死して陰間即ち地獄に行く、その途中若し犬にでも吠えられると、その時は「桃のこの枝で追い払う」けれども犬奴が逃げない時は「握り飯を與て此の難関を通過する」のだと云う迷信を抱いて居る。而も亡者の最も恐るゝものは犬だとは、愈々以て奇なりと云うべしだ。次に鶏毛は如何かと云うと、亡者が陰間に行った後、所用あって娑婆に来ることがある。その時は先ず閻魔大王の許可を得て行く、而も「其地獄の門限が鶏鳴なので」、これに遅れたら亡者には一大事であるから、「其記憶を喚び起す為に鶏毛が入用だ」なぞは少々お伽式だ。龍銀と銭は内地同様、但し十萬億土を一圓で旅行するなどは奇跡然(ミステリヤス)とした迷信であろう。
 ところで、特例と云うのがある。それは人の為めに「殺害され」たりして往生を遂げたもので其加害者が不明だと、納棺の際には柳の枝を入れる、これは「柳の枝は劍に代えて加害者を捜索し、首尾よくこの劍で仇討をせよ」と云う意味だそうだ。
ちょっと振るっている。本当に柳劍という言葉がある、これは柳の葉の先が尖っていて劍尖に似ているから云うのだが、さりとて此の迷信になんらの因縁があるのか、その處は先ず疑問である。
次に特例の一つ、平素から嫌悪され、一日も速く死ねとばかりに扱われた人が死ぬとする場合だ、即ち姦夫姦婦なだの類いでその基本夫が可哀そうにも死んだとするか又は姦夫姦婦はその死を待つの餘り遂に絞殺か毒殺でとどめを刺すその場合、棺の中鶩(あひる)の卵を煠でた奴を死人の手に握らし『この卵の孵化する時には復たこの世に戻ってこい!』と吐かし、因果を含ませる。けれど煠でた卵が孵化する例がないから、畢竟世に来るなと云ふことになる、生前虐待したに係わらず、猶飽き足らず死後まで恁うやるなどは憎らしい位の悪習だが、この中には灣民気質がよく見られるが面白い。

1910年12月10日 「臺法月報第4巻第12号」p162~164投稿記事
臺俗瑣談 終

法院月報

2014年08月23日 | 法院月報
 法院通訳の月報、「法院月報」(1911年より「臺法月報」と改名)は、
臺灣語学習者向けの雑誌、「語苑」と比べると、
臺灣地方法院の通訳者たちが中心となって記事を構成していることが雑誌名からもわかる。
もしかして、警察官は警察官の雑誌があったのかな?



資料は六本木にある台湾文化協会の図書室のマイクロフィルムから拾いました。


「法院月報(臺法月報)」の中で、「片岡巖」の記名入り記事




字縜の解      1910年10月10日

臺俗琑談      1910年12月10日

贌の字       1911年 7月23日  「臺法月報」

壬子年頭の感    1912年 1月20日

安平偉感      1912年2月22日

臺灣人と職業的信仰 1912年3月20日

革命歌と本島人   1912年5月20日

迷信一束 1    1912年6月20日

迷信一束 2    1912年7月20日

迷信一束 3    1912年8月20日

迷信一束 4    1912年9月24日

迷信一束 5    1912年11月22日

迷信一束 6    1912年12月20日

牛         1913年1月20日

○         1913年2月20日

臺風灣俗      1913年3月20日


字縜の解 1910年10月10日

2014年08月23日 | 臺法月報
字縜の解

 禮儀三百、威儀三千なぞと云っても、其實一向に実行されず、徒に冗文となり終わる今日、これも其の餘影か現に本島に存在して居る字縜(字輩とも云う)が夫れである。 
即ち字縜と云うのは、本島では貴賤貧富の諭なく、何人でも附有するもので、之に依りて長幼尊卑の順序を分かつのである。
これも臺灣風俗の一つであろう。
 さてこの字縜は、『百家の姓に各異なる字縜を有し、同姓のものも其の先祖出所が異なれば、従ってこの字縜が異なるのである。
即ち字縜の一字を以て、一代とすると云うことから、福慶榮誉に因める文字を選ぶ、』其の文字數は八字或十字十二字なぞ、多いのは三十二字のもあるが、これ以上はない、三十二字が一定限としてある。
若し之れで盡れば、更に別字を選定するのである。流石は文字の國の餘影が認められる。
今一寸と二三の例を記すと、『或る黄家』では、「維源俊徳長發於祥」の八字を選び、維が一代、源が二代、俊が三代と、恁う順次に代をも數える、又或る『邱家』では、「詩禮傳家創國瑞列」とやるし、長い奴では、或る昌家の「金華發祥蕃衍朝漳傳芳、禮學詔美文章百千萬世、甲地賡楊英俊尉起永際其昌」なぞ三十二文字もあって、即ち三十二代と云うのである。その他或る『李家』の「榮華富貴詩禮傳家英祖遙宗」の十二字即ち十二代、或る『楊家』は「模炳浚鋒涵材稀鏡錫耽」の十字、即ち十代なぞも面白い。
以上の如く『一般の楊又は李家と云わず』「或る楊家、或る李家」とせしは、前述の如く
『同姓でも祖先の出所に依ってかく字縜を異にするからである。』次に『同姓』のを記すと、武功周と云うのには「朝庭必嘉士宗祖宜賢孫」の十字十代があり、また汝南周のには「朝庭學道士」云々のもある。
であるから、同姓でも一概には同一字縜であるとは云えない。
 處で下流社會になると、あるにはあるが、「字縜の何たるを知らない。」けれども流石は臺灣、「中流や上流の連中なぞは往々「爾是甚麽字縜(字輩)」即ち貴殿の字縜は何ですか、問いを発するのを、耳にすることがあるが、これは取りも直さず、字縜の上下を問い出して、相當の敬意を表せんとするのである。これも亦た一風俗である。

今、系統図に於いて図解説明をすると、『黄家』「維源俊徳長發於祥」の系統は左の如くである。


1代、黄維元→維祥―源来―俊皮―徳木
              ↘俊来―徳来―長發―水發(十二歳)

2代、水源→源吉―俊目―徳芳―長發

3代、俊木→其俊―徳禄―長―樹發

4代、徳坑→徳隆、徳福

5代、長久

6代、金發→發水、發枝

7代、於天

8代、永祥(ニ十歳)
(備考表中の字の附しあるものは維字縜源の字を附したるものは源字縜なり)


 これで其字縜の一字を、通字として命名してあるのが知れよう。
而してこの字縜は、長幼を諭ぜざるもので、永祥はニ十歳なるに、十二歳の水發を、尊敬しなければならない。
これは字縜の関係だ。で、永祥で字縜が盡るから、永祥の子には更に「別の字縜」を選擇せねばならないことになる。
而して黄維元は第一祖で、それ以下は第二第三となるのだ、けれども以上の関係から、始めの黄字の字縜と、後の黄字の字縜と、異なることになるのである。



1910年10月10日発行

臺法月報第4巻第10号 P128~130

字縜の解 終

久しぶりに。

2014年04月28日 | Weblog
もうすっかり春ですね。

というかゴールデンウィーク。

久しぶりに、

そろそろ台灣風俗誌の事を書いていこうと思います。

最近は台湾風俗誌以外に読んでいる本が多くて、、、。

、、すみません。


でも、なにもしなかった訳では無く、

勉強して少し賢くなって来たかな?
最近では
渋谷栄一の「論語と算盤」
池田敏雄さんの「民芸台湾」面白かったです。

持地六三郎氏の「台湾植民地について」の講演録なども当時の空気が伝わって面白かったです。

現在読んでいるのは、
『病の皇帝「がん」に挑む』

がん治療の歴史を小説で読めます。

いろいろな疑問を解いてくれます。


あと一高時代に新渡戸稲造の教え子であった南原繁と矢内原忠雄の本も、

機会があれば読もうと思ってます。


でも、なぜブログ更新の期間が空いていたのか。

本当の理由は、、、


ログインパスワードを忘れてしまい。

ついつい再発行をしてなかったからです。


すみませんでした!!

また、よろしくお願いしますー!

臺灣音樂について(近森出来治さんの記事引用)

2013年12月30日 | 台湾風俗誌
300p 臺灣風俗誌第4集 第一章 臺灣の音樂

第八節 後場樂(アウチウガク)



後場とは演劇の囃子方及び僧道士等が読経の際後方に在って読経に合わして奏する音樂を後場と云ふ

演劇後場(演劇の部参照)は演劇の後方に在って五、六人の人鶴絃(ホオヒエヌ)、絃仔(ヒエナア)、拍鼓(ビエクコオ)大鑼(トアロオ)、小鑼(シオロオ)、大鼓(トオコオ)、叫鑼(キアウロオ)、喇叭(ララペエ)、拍板(ピエクバン)等を用ゐて北官大曲を奏するものにして、劇題により其譜其樂器用不用ありて同じからず、例へば前舞臺は戦場を演じ、後舞臺は祝慶場、次は政應場、悲嘆場、滑稽場となる等其變化速やかなるが故に樂器の用不用あるものなり、又演劇の歌及び譜全部を掲ぐるは甚だ困難なり、今劇題空城計(カンシアケエ)なるものの句及び譜の一端を掲げて一興に供す、此劇は孔明が一人城中に在って三萬人の司馬懿の大軍を追ひ返したりと云ふ筋書きにして、始め大兵城を圍むも、孔明一人泰然として酒を置き、左の琴譜(キンフ)を弾し悠々唱歌し居りしを以って、寄手の大将司馬懿必ず謀計ありとなし、戦はずして退却せりとの筋書きを演じ、音樂に合はして唱歌するものなり、今一節を挙ぐれば左の如し



琴譜

上五五。五六五。五六五。上工。工六五六五。六五六五六五。六五六五六。上尺六五六五尺。四四五尺。六五六五尺。四四五尺尺。五尺尺。上尺五尺上尺。五尺五。尺五尺上。五尺上。尺五尺上。尺上尺五。尺五尺上尺尺工六尺上尺



(孔明唱歌官話にて)

我 本 是、南陽一山人前三皇、此故同行、先 帝爺、下南陽、御駕三請、官封我武郷候、國位的功臣、孫 武 予 他 則 有、雷砲的行兵(以下演劇の部筋書きの條に続く参照すべし)



以上の如くなるも臺灣劇は唱歌及び言葉の多くは官話なれば、臺灣人之を観聴くも明らかに解するもの尠く、又演劇者も奏樂者も誤訛多き語を用ふるを以って益々其何の意なるを解するに苦しましむ、左の一句を校書先生の帳簿より抄出すれば「我本是、南陽散淡的人⁉︎、學陰陽、如反掌、保定乾坤、先生爺、在南陽」と如此種々誤訛あるを見る、故に観る者聴く者多少文字ありて、一度筋書又は小説を見たる人に非らざれば正解をなすもの尠し。





尚ほ支那音樂及び演劇に付いて近森某なる人あって或新聞に發表せられたることあり、今其一部を掲げて讀者の参考に供す、曰く『支那芝居に行って見ると唯もうジアンガラ〃と何時も唯單調な同じ曲節を繰り返して居る様に聞こえるが、更に之を深く研究して見ると決して左様に單調ものではない、中には中々可憐な旋律所謂「メロジー」も少なからず發見される、音樂専攻者に取っては誠に得る所が多いが、然し一般の人々にはどうであろうか、或いは新聞紙上の讀物としては餘りに専攻的に片寄りすぎはしまいかと懸念されるが、試みに研究した其の一端を御話して見よう。



一體音樂を研究するには種々の方法がある、即ち歴史的に研究するものと理論的に研究するもの等色々あるが自分は多く之を技術的方面から研究したのである、即ち支那音樂の色々のものを譜に書く事を主にやったので、其の研究したものを紹介しようとするには何うしても演奏し乍ら之に説明を加へ又意見を附して行くと云ふ様にしなくては決して十分には出来ない、若し強いて之を書かうとするには多くの楽譜を挿入するの必要があって、印刷などに非常の困難である、斯様な譯で只概略を抽象的に話して見ることになるのは止むを得ない。

あの「ジアンガラガン」の支那音樂も前述の如く唯單調なる一種や二種の曲節を始終繰り返して居るのでは無くて實は色々の區別がある、先づ之を分類して見ると崑腔(ホンチャン)、西皮(シィピイ)、二簧(アルホワン)、梆子(ホウス)、絃子樂(シエンツヤヲ)と云ふ重なるものが有って此外に俚謠童謠小唄の如きものがある、崑腔(ホンチャン)、西皮(シィピイ)、二簧(アルホワン)は其昔揚子江に於いて発達流布し、又梆子(ホウス)は黄河の沿岸に於いて発達したもので、此の二大流域に群居している二大民族には以上の如く各々特別の樂風が漂ふて居たが、近来は(と云っても餘程遠い昔より)東西混交して殆どこの區別がなくなった、支那人に言はせると南方物たる 崑腔(ホンチャン)、西皮(シィピイ)、二簧(アルホワン)は最も高尚なるもので、北方物たる梆子(ホウス)は淫聲であると云って卑下する。

此内崑腔(ホンチャン)は近来一向に流行しない、只少数の南方人がやる位のことで、北京などに於いても之を奏するものは一寸得難い位である、其の樂想如何にも古雅なものであって今日の人の耳には適しない、丁度日本の雅楽である、日本の雅楽も元来支那や朝鮮から渡来したものであることから考えると、此の支那の崑腔(ホンチャン)が傳はって其の後その儘別にに手を入れないで宮中や神殿樂となって殘つたものではあるまいかと思はれる、此の崑腔(ホンチャン)は勿論劇には用ゐない、歌ふ時には笛を用ゐ、稀には琴にも用ゐる事がある。



劇に上ぼせたる時に於いても、西皮(シイピイ)や二簧(アルホアン)は一般に高尚である、古の軍談に關するもの、或いは孝子節婦を賞揚したるものなどを主に其筋として居て、勧善懲悪と云ふことが眼目になって居るが、梆子(ホウス)となると謂ゆる世話物、滑稽物などが主で、品位はずっと落ちる、此両者の関係は丁度西洋音楽のグランドオペラとコミックオペラとの関係に似ている。



次に絃子樂(シエンツヤヲ)は支那の三絃樂である、之は劇中(絃子劇)の曲節又は民謡中の或物を絃子(シエンツ)(日本の三味線と略々同じ)にて奏するのである、

その中には八板(パアバン)、太鼓(タァクウ)、時調(シイチアヲ)などがあって、普及の程度から云ふと殆ど支那民樂の大部分であると云ってもよい、以上が支那樂の主なるもので、更に各地の民謡小唄類がある。



支那樂は無論聲樂本位であって、樂器と稱すべきものは殆どない、之は幼稚なる音樂に於ては世界中何れの國の音樂でも皆左様である。

日本などでも其の通りで聲を差し引きしては殆ど音樂にならない。

さて其の支那音樂の聲と云うのが如何にも珍妙である、甲ン走った高いキイキイ云ふ聲謂わゆる頭聲(ヘッドボイス)である。或人が余に支那人はなぜあのやうな高い金切聲を出すのであらうかと云ったことがあるが、なぜと云っても別に理由のあることではない、只それが習慣でその聲色を愛するのであると云ふより他はあるまいと思ふ、恰も日本の或る種の音樂特に浪花節などの如き語り物に於て、喉を引き〆て鵝鳥の首をしめたような聲を出して之を面白いと考えて居るのと同じである、支那人の此の珍妙な聲に就いては色々の説をなす者かあるが何れも採るに足らず、自分は堅く此の自己の意見を信じている、此の聲の性質によりして支那樂に於いては小供の聲(變聲期前の)を尊ぶ

、従って小供にして歌謡に秀でたものが多い。次には是等の歌に合はせる樂器に就いて少しく延べてみよう。



崑腔(ホンチャン)に於ては横笛を多く用ゐ、また稀に七弦の琴をも用ゐる、

西皮(シィピイ)や、二簧(アルホアン)に於いてはその中心となる樂器は呼琴(ホウチン)である(例の胡弓なり、日本に於いては提琴と云っている)

梆子(ホウス)に於ての中心樂器は呼々(ホウホウ)と云ふのである、胡琴と呼々とは一見同じものの様であるが、胡琴は恰も柄杓の如く其の胴が竹で作ってあり、呼々は胴が椰子の実で作ってある處にその差がある、此の差異により音色は無論異なって来る、両者とも二弦であって何時でも其の調子は符の関係に合はせる、日本の三味線の二上りと同じである、世界中何れの國の樂器でも餘り進歩しない間は大概 此の調弦法である。

絃子樂(シエンツヤヲ)に於いては中心樂器は勿論絃子(例の支那の三味線)である、此の絃子は日本の三味線と其の形状や持ち方は同じであるが其の他は大分異なって居る、日本の三味線とは大變な相異である。

又彈ずるには指先に爪をはめてする、恰も日本の琴を弾く時の様である。

胴には蛇皮を張る、弾く時には爪で弦で弾くのであるから全く絃の音のみが響く、日本の三味線は絲を弾くと同時に胴の太鼓を打つから絲の音と太鼓の音とが同時に響くが、絃子(シエンツ)は胴は唯僅少の共鳴をなすのみである、また棹が日本のよりは長い、之れは支那人が大きいからである、支那に於いては此絃子と胡琴とが最もよく普及された樂器である。

以上は各種の音樂に就いて其の中心となる樂器を述べたのであるが、劇の時は勿論其他の時に於いては正式から云へば此の中心樂器の外に尚種々の樂器を用ゐる(崑腔:ホンチャンは然らず)即ち鑼:ラ(大きな皿の如き真鍮製のかね)、鼓:クウ(大小とあり)、少鑼:ショウラ(小さき鑼)、鉢:ボウ(大小ともあり日本で云う妙鉢、西洋のシンバルなり)、唐鼓:トンクウ、板:バン、月琴:ゴエチン、索:ソウアン、笛:チウあり、この中 鑼、少鑼、鼓、板等の音響が例の支那樂特異のヂャンガラガンと響くのである。



以上に於いて支那樂の大別を述べ、更に何れも聲樂である事と其聲樂に合はせる樂器に就て概略を説明した、されば次に斯くして出来上がる支那樂の一般的説明及び批評を試みねばならぬ。

概して云へば支那音樂は勿論餘り進歩したものではない、一體音樂の本質から云へば現今に於ては西洋音樂は世界中一番進歩したものである、支那は音域の狭小なる點に於て、和聲を缺く點に於て、従って壮重とか雄大の想なき點に於て、且つ曲節の變化少なき點に於て、泰西のそれには及ばない、即ち



⚪︎音域 其の音樂に用ゐられている音の区域であるが、支那樂は聲樂のみであるから、其の唱ふ曲節も又之にに合わせる樂器の音も、ほんの程よい部分のみの音を使用してるに過ぎぬ、西洋のピヤノとか絃樂器とかの如く擴大な區域に亘って居らぬ、之が一般に

樂想が小さく且つ變化に乏しくなる基である。



⚪︎和聲 高さの異なった音を同時に響かせてその間相互の饗應するのを和聲(ハーモニー)と云ふ、支那樂には之れが缺けて居る、故に壮重とか雄大とか云ふ如何にも大きい洋々たる想が現れ得ない。



⚪︎變化 曲節がどちらかと云へば變化に乏しい、色々さまざま異なった感想を現はさんとして用ゐてある曲節が、その感想の異なるが如く變化されてゐないのが多い、随って単調に傾き謂わゆる千篇一律と云ふ嫌いが一般にある。



更に遺憾なるは一體に樂が悲調である、どうしても人心を引き立てると云ふよりは悲しませる打ち沈ませると云ふ事である、故に曲節には『あゝ綺麗だ』とか可憐であるとか云ふのは多いが、寧ろ積極的に悲哀に沈める人を引き起たせるとか、元氣を鼓舞して民心を向上せしむるとか云ふことは一寸望まれない、此點は我等の大に考慮すべき所で、只単に支那樂にのみ限っては居らない。



斯くの如く、西洋音樂に比較しては殆んど形なしであるが、又或點から見ると、日本樂などよりは餘程西洋樂に近い所がある、即ち原則として歌手と弾き手とが區別されて居ることや、絃樂(コンロン)に於いて弾く時にその胴をトントン打つことのなきことから、更に劇となると、もうもうまるで西洋のオペラそっくりである、舞臺に立った役者はその所作よりは唱歌本位である、或思ひを相手に傳へんとする時には立派なるメロヂーをなせる曲節で其心を歌ふのである、又言葉の所でも普通の對話風でなく、餘程曲節ある白(セリフ)即ち西洋のレスタチーヴと云ふのをやる。

されば支那劇は殆んど述べつ幕なしに樂器が響いて居るのと同じである、劇の筋がどちらかと云へば餘りしつこくなく長くない一幕物が多く、長くても三幕位のもので、此點もオペラとよく似て居る、こんな譯で唱歌が主で所作が少ないから舞臺なども狭い、劇場に入るのは観客でなくて聴客である、俳優は即ち立派なる聲樂家(シンガー)である、實に西洋のオペラその儘である。



附言 余の立場から云ふと、歌ふことや弾くことを抜きにした抽象的の音樂論は誠に物足りなくてならない、此篇に於て是は何々彼は何々と云ったことを實地樂器に就いて弾いたり見たり又唱つて見たりして、すべて具體的は他日同好の士と研究する機會の来たらんことを希望する』云々

次に

僧侶、道士等の後場に用ふる樂器は太鑼(トアロオ)、叫鑼(キアウロオ)、喇叭(ラウペエ)、鼓仔(コオアア)、鈴(リエン)、鐃抜(ニアウボアツ)、木魚(ボクヒイ、鐘及角製の管等の樂器を用ゐて合奏しつゝ読経又は唱歌をなすものなり、其の譜及び文句は甚だ長くなるを以って之を省略す(和尚の歌参照)





空城の計

http://ja.wikipedia.org/wiki/空城計



近森某氏(近森出来治)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/feature/kochi1342187561557_02/news/20130201-OYT8T01417.htm



『新選樂府』近森出来治 著

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902577




台灣風俗誌が参考にした文献

2013年08月01日 | 台湾風俗誌
これは、台灣風俗誌の文中に記載された引用文書です。見落として、他にももっとあるかもしれません。
文末の数字はページ数です。

何度か登場する「読書先生」とは、憶測でありますが、伊能嘉矩さんの事では無いだろうか?
それとも台灣の古老、趙鍾麒さんの事でしょうか??





「白虎通」
第1集 第1章 第12節 双児 :6
第2章台湾人の結婚第1節同性を娶らず:18
第3節 姫嬪:19

「台灣舊慣記事」
第1集 第1章台湾人の出産 第25節 壽ノ祝:12
第6章第1節 纏足:109-110
(「墨荘漫録」:110)
(「道山清話」:110)
(「南史」:110)
(「陔餘業考」/趙翼:110)
(「畵譚雞肋」/仲山高陽;安永4年:110)

第11節 悪口:119
第24款 火 (11):789
清明及冬至の墓参:851
第2節 蕃人の魂魄に対する観念及迷信 死霊は神となる :857
第10集第2章 驅邪及招福 『群談採餘第五 僧梵部』(簐簛乙) 957

「(舊)とのみ書かれた文献」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第5款 太陰 (5)(6)(7)(8):764
第9集
呉還魂:866
鬼官人:866
鬼火及び光り物:867
第10集 第1章 第5節
(日師、星師一名看命、地理師、相命、観氣色:878)

「舊志」
:784

「臺灣奮慣調査會の報告」
台湾人の日用文字其他ー贌ー :270
第8集 第3章 臺灣蕃人の口碑 :722
第10集 第1章 臺灣の巫覡 第2節 童乩及び童乩の由来 :872
童乩と坐禁 :875

「土地登記規則註解の釈義」 :270

「臺灣聖廟考」台湾人の音楽ー聖楽ー :280
「支那音楽及び演劇について」
(新聞に発表した記事 )近松某(秋江?) 台湾 の音楽 :300


「女皇氏傳記」
第2章第1節:19

「禮記婚義敍言」
:19

(春秋)「左伝」
第2章第1節、第2節 :19

「歳時記」
第4章年中行事、:48

「臺灣縣志」
第1章第33節 郷黨相助 :171
第10集第1章臺灣の巫覡 第1節巫覡の意義:869

「臺南聖廟考」臺灣の音楽 /聖楽 :280

「天然足會會報」臺灣の雑念/:340

「四書、詩經、西廂、唐詩」大人の謎/:414

「文選、漢書、史記」 第6集 第1章 台湾人の一口噺-書低し:457

「詩經、書経」 一口噺 -経門:457

「古槐書院業書」
第7集 第1章台湾人の怪談奇話 第49節 劍潭:524


「淮南子」「封神演義」「五才子(水滸伝)」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信 :769

呉徳功 「載案紀略」:775

第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信 第6款 :769
「臺南縣誌」:782
「臺灣紀略」:782
「雲林朱訪冊」:783
「古橘岡詩序」:784
第3章 台湾人が鬼怪に対する迷信
第1節 魑魅魍魎に対する観念及び迷信
「臈瑪蘭廳志」海和尚:858

「臺灣府志」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第22款 山岳(14):785
第24款 火 (11):791

「稗海紀遊」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第4款 太陽 (9) :761
第4款-10:762
第4款-11:762
第4款-12:762
第4款-13:762
第8款 雨:773


「赤嵌筆談」
:773
「彰化縣志」
雨:773
水:797

「読書先生」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第5款 太陰 (3):764
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第22款 山岳(14):784

「澎湖島志」
水:796

「鳳山采訪冊」
第1章臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信 第22款
山岳:769-784
水:797


「宋周惇頣」 :952

石敢当について
「姓源珠璣」 :956「徐氏筆精」 :956「西漢史游」 :956
「顏師古」 :956

第10集第2章 驅邪及招福
爆竹について「該聞録」 :960
金紙銀紙について「新唐書王嶼列傅」 :960
黄飛虎について「封神傳」:961

付録
木瓜:1139
「爾雅及周禮」 「晋官閣」
波羅蜜:1141
「台灣府志」「赤嵌筆談」
釈迦頭:1142
「沈光文の詩」



台南地方法院にはまだ牛心梨の樹があるのかな?

2012年12月26日 | Weblog
いつも読んでくださってありがとうございます
今年一年を振り返り、いろいろな方との出会いに心より感謝いたします。

1921年に書かれた「台湾風俗誌」を書いた片岡巌の勤め先だった台南地方法院の庭には、
牛心梨が植わっていたそうです。

「牛心梨はその日を葉のごとくして牛の心臓大の實を結ぶ其の味甘くして釈迦頭の味に似たり、
大目および台南にあるも甚だ希有なり、今、台南地方法院中庭にあるもの即ちこれなり」

まだあるといいな。

台灣みやげ話 片岡巌 50

50◎台湾の果物や野菜は如何ですか果物や野菜は内地にあるものは大概ありますが果物は只寒国(かんこく;韓国?)にある林檎や栗、梨、胡頺子(ぐみ)胡桃(くる...