臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の「朝日歌壇」から(11月28日掲載・そのⅡ)本日特出し大公開!乞う、ご期待!

2016年12月12日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]
○ 半惚けと言われて老女涙ぐむ惚けても心は活きて感じて (佐伯市)稗田昌範

 自分では「まだまだ若い奴らに迷惑掛けたりする自分ではないぞ!」と意気込んでいる「老女」が、息子や孫などの同居家族に「半惚け」と「言われて」必死に抵抗したり「涙ぐ」んだりする場面は、高齢者社会と言われる我が国に於いては、四六時中展開されているのである。


○ ジャパニーズの名刺を常に持つゆえにふるさと人よりももっと日本人 (アメリカ)中條喜美子
 私たち、日本国内に居住している日本人が日本人としての自覚も誇りも持てなくなった今日に於いても、アメリカ合衆国などの海外に滞在する日本人の方々の多くは、未だに日本人としての自覚を持ち、誇りを感じているのであり、本作の作者も亦、その一人なのでありましょう。
 それにしても「ジャパニーズの名刺を常に持つ」とは、何か末恐ろしいような気持ちにもなります。


○ 外出は眉だけ描いてマスクして女半分捨てて爽快 (延岡市)片伯部りつ子

 厚化粧した女性が、有権者の信託を受けて東京都知事に選ばれる昨今に於いては、「外出は眉だけ描いてマスクして女半分捨てて爽快」などと威張る女性が現れてもそれほど不思議ではありませんし、その分だけ、この短歌の希少価値や短歌表現としての新奇さは減少するのでありましょう。
 自慢して言う訳ではありませんが、私・鳥羽省三の前半生は、女性遍歴の上に女性遍歴を自乗したようなものでありました。
 そうした私の前半生の実体験に照らし合わせて申し上げますと、女性とは何処から見ても紛れも無い女性なのです。
 ベッドの上に転がしてみても、泥足で稲田の中に踏み込ませてみても、女性なのです。
 例え頭髪をお寺の坊さん並みに刈り上げられても、例え十三文の革靴を履かせられても、例え二つの乳房を切断されても、いつもいつも何処までも女性以外の何者でもありません。
 それなのにも関わらず、「眉だけ描いてマスクして」「外出」する事が、何故に「女」の「半分」を「捨て」た事になるのでありましょうか?
 また、そうする事で片伯部りつ子さんは、どうして「爽快」な気分になれるのでありましょうか?
 女性っていう種族は、そんなにも薄っぺらな存在なのでありましょうか?
 男性である私には、延岡市にお住まいの片伯部りつ子さんのそうしたお気持ちが、どうしてもどうしても理解出来ません。
 (なんちゃったりして、揶揄いたくもなったりする作品である。)
 

○ 名付ければ読書マラソン一年に文庫百冊読了達成 (立川市)植原 仁

 一年に文庫本を百冊読むなんてことは、いとも容易いことではありませんか!
 それなのにも関わらず「名付ければ読書マラソン」とは、馬鹿も休み休み言いなさいよ!
 [反歌] 名付くれば通勤読書一年に文庫百冊読破容易い


○ フォルダーの中のフォルダー開きゆくマトリョーシカを並べるように (奈良市)山添聖子

 従兄の訪露土産に貰った我が家の「マトリョーシカ」は、最も大きな「マトリョーシカ」の胴体を真っ二つに割ると、その中からそれよりも少し小さい「マトリョーシカ」が出て来て、その「マトリョーシカ」の胴体を更に真っ二つに割ると、その中からそれよりも少し小さい「マトリョーシカ」が更に出て来て、その「マトリョーシカ」の胴体を更に更に真っ二つに割ると、その中からそれよりも少し小さい「マトリョーシカ」が更に更に出て来て、………………斯くして大小併せて十一個の極彩色の単体から成り立つている「マトリョーシカ」なのでありますが、とすると、奈良市にお住まいの山ぞえ葵さんのお母様の山添聖子さんのPCの「フォルダー」の中にも、小さい方から順番に合計十個の「フォルダー」が入っているのでありましょうか。
 御作の出来栄えがなかなか宜しいものですから、つい、うっかり、嫉妬心の赴くままに余計な事を言ってしまいました。


○ 核反対に反対をするその国は日本でないやうな日本 (東京都)上田国博

 「核反対に反対をするその国」も亦、この地球上で唯一の被爆国たる私たちの「日本」なのです。
 変な日本!
 欲張りな日本!
 沖縄を犠牲にして恥じない日本!
 ちっぽけなくせしてどでかい借金を背負っている日本!
 地震大国日本!
 自信過剰な日本!
 それでいて和魂洋才などという俗信に拘っている日本!
 それでいてアジアの国々の人々を馬鹿にしている日本!
 それだから隣国との関係が必ずしも良好でない日本!
 首都圏ばかりに人と金が集まる日本!
 四度目のオリンピークをやらかそうとしている日本!
 伯父三人と従兄五人を戦争で死なせた日本!
 間も無く八十三歳になろうとしている天皇陛下を象徴として戴く日本!
 それでも尚且つ僕の祖国の日本!
 それだから僕が住んでいる他ない日本!
 ポンポン僕らの日本ポン!


○ 味噌汁に莢豌豆の香を載せて台車が近づく朝の獄廊 (ひたちなか市)十亀弘史

 獄舎の拘束されている作者が、朝食を食べられる時間になるのを今か今かと待ち焦がれている様子が彷彿とされる傑作である。
 然しながら、よくよく考えてみると、収監されていながら莢豌豆の香のする味噌汁を食べられるとは、何と贅沢なことではありませんか?
 「こんな事だったら、私も刑務所に入ってみたいわ!」なんちゃったりしてね!
 冗談です。
 冗談です。
 読者の皆様、何卒、本気にしないで下さいませ!


○ キリンから突然変異したというセイタカアワダチ草は繁殖す (神奈川県)九螺ささら

 「セイタカアワダチ草」が「キリンから突然変異した」というのは、この植物が〈キク科アキノキリンソウ属の多年草〉である事からヒントを得た単なる冗談に過ぎません。
 故に、その冗談の部分をカットすると、本作の内容は「セイタカアワダチ草は繁殖す」という事だけになるのである。
 が、それでは、選者の高野公彦氏が斯かる冗談をまともに受けてこの作品を入選作にしたことになり、氏の選歌力が疑われる場面になりましょう。
 要するに、本作がリアリティのある佳作か冗談半分に作った凡作か、という判断の基準は、「セイタカアワダチ草」が「キリンから突然変異した」という作者の冗談が、私たち読者にリアリティを感じさせる否かの一事に掛かっているのである。


○ 便利さは歩きスマホに見るごとく人の人たる所以揺るがす (横浜市)島巡陽一

 何が「人の人たる所以」を「揺るがす」のでありましょうか?
 横浜市にお住まいの島巡陽一さんは、「『便利さ』に紛らわされて『歩きスマホ』なんちゅう変な事をやらかしている事は『人の人たる所以揺るがす』事になる」と仰りたいのでありましょうか!
 もしも、そうであるならば、斯く申す、私・鳥羽省三も全く同感です。


○ 雪が降る手と手つないだ帰り道二人感じる零度のぬくもり (東久留米市)森山のぞみ

 摂氏にしろ華氏にしろ「零度、一度、二度…………百度…………千度」という言い方は絶対的関係からの言い方であるが、「冷たい、寒い、温い、暑い」という言い方は相対的な関係からの言い方である。
 そして、「ぬくもり」という語は、相対的な言い方に依る体感温度の「温い」を名詞化した語であるから、「雪が降る」「帰り道」に「つないだ」「手と手」の所有者たる両者の関係が温い関係にあれば、いくら「雪が降る」摂氏「零度」の「帰り道」を歩いていたとしても「ぬくもり」が感じられるのである。
 だからと言っても、人間と人間の関係は、いつもいつも「ぬくもり」が感じられるような単純なものではありませんから、東京都東久留米市にお住まいの森山のぞみさんは、そこのところをよくご理解なさった上で彼とお付き合いなさって下さい。
 それにしても、たかが中学生如きガキが「ぬくもり」だの「いじめ」だのって、その生意気なことよ!


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