臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(8月25日掲載・其のⅠ・日曜夕刊・超早刷版)

2014年08月31日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

(東京都・井ノ川澄夫)
〇  夏山に食草あまたありたるに故郷の山の痩せし野兎

 選者の馬場あき子氏は、この作品に就いて「第一首の夏山はかつての日の夏山。いまの故郷の山は兎の食草も乏しく痩せた野兎をみる。悲しい現実である。」と記しているが、この寸評は、文意不鮮明な本作を好意的にお読みになられてのものであり、結社誌「かりん」の主宰として、長年、多くの作品に接して来られた馬場あき子先生ならではの優しい読解ではあるが、本作を語義通りに解釈した場合に加えられるべき寸評とは思われません。
 然らば、本作がどのようになっていた場合に、その内容が馬場あき子先生の寸評と正しく対応するかと言うと、それは、本作が「夏山に食草あまた在りにしも故郷の山の痩せたる野兎」となっていた場合である。
 即ち、馬場あき子先生が「第一首の夏山はかつての日の夏山」と仰る「夏山」は、「夏山に食草あまた在りにしも」と、直接体験の過去回想の助動詞「き」の連体形「し」を用いて表現された「夏山」、即ち、作者に拠って回想的気分で述べられた「夏山」でなければならないのであり、原作通りに「夏山に食草あまたありたるに」であった場合は、「ありたるに」の「たる」は、「動作・状態の完全な終了を表す」助動詞の連体形、即ち「完了」の助動詞の連体形、乃至は「動作・状態の継続を表す」助動詞の連体形、即ち「存続」の助動詞の連体形であるから、「夏山には食草が沢山あったのに」乃至は「夏山には食草が沢山あったし、今も継続してあるのに」といった、漠然としていて曖昧模糊とした解釈しか成り立たないのであり、其処には、本作の作者・井ノ川澄夫さんの回想的情調や詠嘆的な気分が少しも示されていないのである。
 然らば、かつては都立高校の国語教師としての立場で文法教育に当たられたはずの馬場あき子先生ともあろうお方が、曖昧模糊とした内容の本作に対して、何が故に前掲のような好意的な寸評を与えたのかと言うと、それは、「新聞歌壇の投稿者の作品に限らず、昨今の短歌作者の作品の多くが、このような好意的な読み方をしない限り解釈不可能な作品、即ち国語表現上、疑義の在る作品である」が故の已むを得ざるご措置でありましょう。
 その点に就いての識者のご意見を伺いたく、何卒、宜しくお願い申し上げます。
 但し、私・鳥羽省三が腰を低くして「ご意見を伺いたく」とお願いしているのは、あくまでも「識者のご意見」であり、「識者に非ざる者のご意見」や「単なる馬鹿者の戯言」ではありませんから、その点に就いては、拙文を熟読なさった上で宜しくお願い申し上げます。
 本作の鑑賞に当たっては、前述の見解と共に、もう一点申し添えて置くべき点があり、それは用語上の問題点である。
 即ち、植物学的な観点、乃至は料理学的な観点に立った場合ならばともかく、「野兎等の野生動物が食べる草を『食草』と、極めて硬直した呼び方で呼ぶのは、短歌表現として相応しい表現であるか否かという問題」であり、更にもう一言申し添えるならば、「(夏山に食草)が沢山あったのに」と、率直かつ素朴に言えば済む場面で、「(夏山に食草)あまたありたるに」などと、作者ご自身、その意味も定かでない文語の助動詞「たる」を用いて、敢えて硬直した言い方で言わなければならなかった理由は「奈辺に在りや?」という点である。
 昨今の歌壇に於ける短歌表現の傾向は、文語表現から口語表現へ、「歴史的仮名遣ひ」に基づいての表現から「現代仮名遣い」に基づいての表現へと、漸進的に変化しているのであり、馬場あき子先生を肇とした、「文語文法」や「歴史的仮名遣ひ」に習熟した歌人の方々が黄泉路を辿る人になってしまえば、後は、口語短歌一色となるだろう事は、既定の事実と思われるのであるから、「馬場あき子先生を肇とした新聞歌壇の選者の方々は、その橋渡し的な役割りを果たすべきお立場の方々である」と、私・鳥羽省三は理解しているのであるが、その点に就いての識者のご意見をも併せてお伺い致したく、何卒、宜しくお願い申し上げます。
 〔返〕 いにしへは食べ草山に多かりき故郷の野兎の痩せたる様よ
     山は荒れ食べ草既に枯れたれば野兎どもの痩する他無し


(蓮田市・斎藤哲哉)
〇  黒蝶は凌霄花の蜜を吸い忌中の家はしんと静まる

 「黒蝶」と「忌中の家」との対比、そして「凌霄花」の紅さと「忌中の家」の暗さとの対比、更には「黒蝶」の黒さと「凌霄花」の紅さとの対比、対比の上に対比が重なる作品構成の見事さよ!
 但し、「黒蝶」と「凌霄花」と「忌中の家」との三つ巴の対比構造は、あまりにも付き過ぎるものとして、嫌われる懼れもありましょう。
 〔返〕  黄揚羽の泊らんとして狼狽へぬ喪家の軒の忌中の札に


(前橋市・荻原葉月)
〇  この世にて逢はざりし孫今在らばいかに詠みしか河野裕子は

 今は亡き、歌人・河野裕子氏のご長女は、同じく歌人の永田紅さんであり、その永田紅さんは、短歌総合誌「短歌研究」の三月号に、「フラミンゴ」というタイトルで次のような七首の作品を発表していた。

  お母さんですよと言えばお母さんになりゆくわれか腕まくりして
  耳つけてしっぽつけたら可愛かろうあたまとお尻の丸さを撫でる
  言い過ぎし言葉 塩酸数滴で越えてしまいしpHのごとし
  フラミンゴもミルク飲むって知っていた?雑学は誰かに言いたくて
  十年後などと思えば足元が風草のごとかなしくなりぬ
  豆餅のふたばの列に並びつつ君が抱くとき子は小さく見ゆ
  戦前と戦後の境は明白で戦後と戦前とのあいだに今はいるのか  (法成立)

 才媛・永田紅さんも四十路を目前にして、今や一児の母である。
 何分、高齢出産でもあり、「風草」の如く危なっかしい「お母さん」振りではありますが、何はともあれ、「ご出産おめでとうございます」と言わなければなりません。
 七首目「戦前と戦後の境は明白で戦後と戦前とのあいだに今はいるのか」の内容及び、それに付せられた「法成立」という詞書は、彼女が朝日歌壇の輝かしい選者・永田和宏氏のご長女である事の、何よりの証しでありましょうか?
 掲歌、即ち荻原葉月さんの作品に就いて申せば、相変わらず手慣れた詠風であり、題材が題材だけに、入選を確信してのご投稿であったのでありましょう。
 鳥羽省三の文章は、何を言っても皮肉交じりになってしまう。上掲の鑑賞文中の「何分、高齢出産でもあり、『風草』の如く危なっかしい『お母さん』振りではありますが、何はともあれ、『ご出産おめでとうございます』と言わなければなりません」と謂う件、及び「題材が題材だけに、入選を確信してのご投稿であったのでありましょう」という件が、それに相当するから削除した方が宜しいとの、蔭の声が「無きにしも非ず」ではありますが、敢えて思うがままに記させていただきました。
 話は、突如として私事に変りますが、昨8月30日は、私の二人目の孫娘が、過日行われた所属ピアノ教室のピアノ発表会での名演奏(?)が認められて選抜され、横浜市内の某ホールで行われた連合ピアノ発表会に出場したのであり、本来ならば、祖父母たる私たちも大きな花束を携えて会場に駆け付けるべき場面ではありましたが、思うところが有って欠席しました。
 私としては、私たちのたった二人しかいない孫娘の中の一人が、大勢の観客を前にして、如何なる演奏振りを示すか、今頃は失敗してケチョンとなって居はしないかなどと、いろいろと心配したのであるが、かと言って、つい、一箇月前のピアノ発表会に続いて、またまた、私たちが孫娘の演奏振りを誉めたりすると、天狗になりはしないかなどとも思って、今回は欠席した次第でありました。
 朝日歌壇の入選者諸氏に於かれましても、何卒、天狗になったりせずに、これからもご精進、ご努力なさいますようにお願い申し上げます。
 〔返〕  一箇月前に花束上げた孫にまた花束上げたら天狗になるだろう
  
  
(本庄市・佐野静子)
〇  仕留めんと髪切り虫を捕らえしがチュミチュミチュミチュ チュミチュと泣きぬ 

 「チュミチュミチュミチュ」「チュミチュ」との擬音が抜群の効果を発揮している。
 〔返〕  仕留めんと吉良の屋敷に踏み入りて見事遂げたり主君の仇を
      仕留めんと本所吉良邸襲撃し見事上げたり吉良の素っ首
      チュミチュミチュチュチュチュチュミチュミチュミチュミチュ≪ダルビッシュ有がガムを噛んでる≫
      チュミチュミチュチュチュチュチュミチュミチュミチュミチュ≪イチロー選手もガムを噛んでる≫
      チュミチュミチュチュチュチュチュミチュミチュミチュミチュ≪黒田投手もガムを噛んでる≫
      チュミチュミチュチュチュチュチュミチュミチュミチュミチュ≪上原投手もガムを噛んでる≫
      チュミチュミチュチュチュチュチュミチュミチュミチュミチュ≪デレク・ジーターもガムを噛んでる≫
      チュミチュミチュチュチュチュチュミチュミチュミチュミチュ≪メジャーリーガーはガムを噛むのだ≫


(石川県・瀧上裕幸)
〇  この星の涙の歴史にガザの涙イラクの涙ウクライナの涙

 それを言うならば、次のようなケースも有り得ましょうか?
 〔返〕  本年の涙のページに記そうか原監督の悔し涙を


(名古屋市・諏訪兼位)
〇  おののくもたたかうもまた同じ漢字戦も同じおぞましきもの

 動詞「おののく」の語幹も「たたかう」の語幹も、漢字で表記すれば「戦争」の「戦」の字であることを指摘し、「戦」の字で表記される言葉は「おぞましきもの」であると、自公連立政権に拠る「解釈改憲」に反対するご自身の立場を披歴したのではありましょうが、科学短歌のご本尊様たる諏訪兼位さんの御作としては、やや不出来な作品として拝見させていただきました。
 〔返〕  人間は風に戦げる葦なるも智恵ある葦ぞよく考えよ  


(東京都・大村森美)
〇  鳥海の山ふところを八十年くぐりて湧きし水を玩味す

 意味がやや不分明な箇所在り?
 即ち、三句目の「八十年」は、「鳥海山麓に湧く湧水が、雨として鳥海山の広大な橅林に降り注いでから『八十年』もの長期間、地下水となって地の底を流れていたのであるが、八十年後の今日、湧水として地上にその姿を現した」という、その期間を表すものでありましょうか?
 それとも、「作者ご自身が『鳥海の山ふところ』で暮らしていた期間」を指すものでありましょうか?
 恐らくは、前者の意で読み取るべきでありましょうが、それにしても曖昧であるから、語順を替えるなどの一工夫が必要かと思われる。
 〔返〕  鳥海の山ふところに湧き出でし湧水なるぞ心して飲め
      鳥海の山ふところに湧いていたとても冷たいミネラルウォーター


(徳島市・磯野富香)
〇  原爆に逝きし父の忌めぐり来も墓参叶はずホームに病む身

 そうです。
 今は病気療養専一になさって下さい。
 〔返〕  ミンダナオに眠れる従兄の忌日なるも今は金無く墓参も出来ず


(長野市・祢津信子)
〇  ほとんどが卒寿を越えた証言者被爆六十九年の今

 「卒寿」とは、「九十歳」の意である。
 とすれば、広島に原爆が投下されたのは今から六十九年前の事であるから、被爆当時の年齢は、二十歳以上という事になり、被爆体験を記憶している高齢者であり、その体験を語る事も可能でありましょう。
 彼らが亡くなってしまえば、被爆体験を語る事の出来る者が居なくなってしまうのであり、世界で唯一の被爆体験国としての我が国の「戦争反対運動」は風化してしまうのでありましょうか?
 それに就けても憎悪するべきは、我が国民の大多数の反対意見を無視して、解釈改憲を遣らかした徒輩であり、その取り巻きどもである。
 〔返〕  ほとんどが還暦前後の若造で被爆の悲惨さ知らない輩


(福井市・三武光子)
〇  いかばかり生きたかりけむ戦死せし父の慰霊にパラワン島に来ぬ

 「生きたかりけむ」程度は、今の私たちには、到底推し量る事が不可能な程のものでありましょう。
 〔返〕  烏賊刺しを食べたかりけむ我が従兄 八戸暮しが長かりし故
      烏賊刺しを食べたかりけむ伊調姉妹 八戸産れの女性なりせば
      烏賊刺しを食べたかりけむ羽仁もと子八戸産れのジャーナリストなれば
      烏賊刺しを食べたかりけむ響矢は八戸生まれの力士にあれば
      烏賊刺しを食べたかりけむさぶちゃんは 函館生まれの男なりせば
      烏賊刺しを食べたかりけむ神彰 函館生まれの男なりせば
      烏賊刺しを食べたかりけむ巴潟 函館生まれの力士なりせば
      烏賊ばかり食べていったっけあの頃は烏賊刺し塩辛烏賊の煮付けと 


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