わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く (エレミヤ21:8)
なぜ善と悪、平和と争いが存在するのでしょうか。
誰もが「平和を望んでいる」と言うのに、
争いが絶えないのはなぜでしょうか。
それぞれに守るべきものがあって、
それを守るための行為であるなら、
争いさえも正当化されるようです。
争いの中では互いが「自分が善で相手が悪」と主張します。
どちらが正しいのかは、もはや問題ではないのかも知れません。
「自分で正しいとする道が・・・死に至る道となるものがある」(箴言16:25)
命に至る道も、死に至る道も、わたしたちの前にあります。
なぜ善と悪、平和と争いが存在するのでしょうか。
誰もが「平和を望んでいる」と言うのに、
争いが絶えないのはなぜでしょうか。
それぞれに守るべきものがあって、
それを守るための行為であるなら、
争いさえも正当化されるようです。
争いの中では互いが「自分が善で相手が悪」と主張します。
どちらが正しいのかは、もはや問題ではないのかも知れません。
「自分で正しいとする道が・・・死に至る道となるものがある」(箴言16:25)
命に至る道も、死に至る道も、わたしたちの前にあります。