モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

命の道

2019-06-19 21:30:06 | 福音について
わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く (エレミヤ21:8)

なぜ善と悪、平和と争いが存在するのでしょうか。
誰もが「平和を望んでいる」と言うのに、
争いが絶えないのはなぜでしょうか。

それぞれに守るべきものがあって、
それを守るための行為であるなら、
争いさえも正当化されるようです。

争いの中では互いが「自分が善で相手が悪」と主張します。
どちらが正しいのかは、もはや問題ではないのかも知れません。
「自分で正しいとする道が・・・死に至る道となるものがある」(箴言16:25)

命に至る道も、死に至る道も、わたしたちの前にあります。
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神を恐れる

2019-06-19 10:00:31 | 福音について
あなたの神、主であるわたしは妬む神である (出エジプト20:5)

「罰則のないルールに効力はない」と誰かが言ったそうです。
車を運転するとき、警察に捕まらないように交通ルールを守ります。
死を恐れるので人は頑張って生きようとします。

神の愛を信じている人々でさえも、
最後の裁きを恐れて戒めを守り、
主の前に正しいと認められるように努めます。

親は幼い子供の前で怖い人を演じることがあります。
演技が迫真に迫るほどに効果は絶大になります。
子どものためになるのであればそれも良いのではないでしょうか。

「神を恐れることは知識の初めである」(箴言1:7)


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問いかけ

2019-06-19 09:32:45 | 福音について
あなたがたはどう思うか (マタイ21:28)

人と会話するとき、その言葉から色々なことを思い描きます。
喜べることを思い起こせば楽しい会話になり、
それが悲しいことであれば互いに悲しい気持ちになります。

聖典を読むとき、そこに記してある言葉から様々なことを連想します。
その場面であったり、主の御心であったり、自分の心の内であったり。
聖典は「あなたがたはどう思うか」と常に問いかけています。

「また見よ、あなたは・・・特別に・・・」(エテル5:2)
この言葉は明らかに古代の預言者がジョセフ・スミス個人に語り掛けた言葉です。
ジョセフはこの言葉にどれほど驚いたことでしょう。

聖典から問いかけられたことはないでしょうか。「あなたはどう思うか」
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求め続ける

2019-06-19 09:04:37 | 福音について
信じる者には・・・しるしが伴う (マルコ16:17)

ある人は「わたしは教会へ行かないし、聖書も読まない、
祈りもしないけれど、キリストは信じている」と言います。
それは偽りでなく本当のことでしょう。

またある人は言います。「毎日聖典を読み、熱心に祈ってもいる、
戒めもできる限り守っているけれど、わたしの信仰はまだ不足している」
それもまた真実でしょう。

「信じるその度合いに応じてしるしが伴う」という表現が正しいように思えます。
「これで十分」という人にはそれだけのものが与えられるでしょう。
「まだ不足している」と考え、求め続ける人にはさらなるものが与えられるでしょう。

「求めよ、そうすれば与えられる」(マタイ7:7)
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