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モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

知恵の言葉

2019-06-05 23:00:22 | 福音について
ブヨはこしているが、ラクダは呑み込んでいる。(マタイ23:24)

知恵の言葉で控えるように言われたものについての話をよく耳にします。
その後に記されている健康のために主が用意されたものについての話は
あまり聞くことがないのはなぜでしょうか。

知恵の言葉が健康のために与えられたものであるなら、
食生活全般について、適度な運動や生活習慣についても、
気を付けるべきではないのでしょうか。

「もっと重要な(もの)・・・を見逃している。
それもしなければならないが、これも見逃してならない。」(マタイ23:23)
「知恵の言葉の一部」で充分といえるものなのでしょうか。

知恵の言葉は何のために与えられたのでしょうか。
身体を健康に清く保つため? もちろんそれも大切です。
それと同時に主の次の言葉について考える必要はないでしょうか。

「わたしの戒めは霊に関わるもの・・・である。」(教義と聖約29:35)
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努力次第で

2019-06-05 10:54:52 | 今日の一言
反省すべきことは努力次第で感謝に替わる
後悔すべきは努力しなかったこと
それもまた努力次第で感謝に替わる
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文句

2019-06-05 06:31:05 | 福音について
つぶやいてはならない。(1コリント10:10)

文句は御霊を受けることを難しくします。
心の中に怒りがあるからです。
怒りは理性を失わせ、心をかたくなにします。

口から出す言葉を「冷静調」にまとめてみるとどうでしょう。
「わたしはこのようにしてみました。それが最善だと思ったからです。
しかし結果はこの通りでした。何が間違っていたのでしょうか。」

主に「どうしてこうなんですか」と文句を言いたくなったとき、
言葉をこのように問いかけ風にまとめてみると、
なんとなく文句ではないように感じられないでしょうか。

怒りは感情的になれば文句になり、冷静になれば悲しみになります。
感情的になれば批判になり、冷静になれば反省になります。
怒りそのものが感情なので簡単なことではありませんが、

冷静を装うだけでも役に立つものです。
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天使の言葉

2019-06-05 06:01:37 | 福音について
聖霊を受けたら天使の言葉で語ることができる。(2ニーファイ32:2)

自分の口から出た言葉に驚いたことはないでしょうか。
疑問に思っていたことの答えを自分の言葉の中に聞いたり、
自分の言葉を聞きながら「なるほど」と納得を得たり。

多くの教会員がこのような経験をしています。
「尋ねられるまで気付かなかった」という人も少なくありません。
その言葉はどこから来たものでしょうか。

ほとんどは福音について語り合い証しているときであり、
その言葉によって満たされた感覚を多くの人が覚えています。
それが聖霊の賜物を受けた人に約束された「天使の言葉」です。

「わたしが約束をして果たさなかったことがあるであろうか」(教義と聖約58:31)
預言者の言葉の中には主の約束が多く含まれます。
人がその誓いを守るなら主は約束を果たすのです。

天使の存在を感じていますか。

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