ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

誰もがみなゆるされて生きている

2016-07-30 18:38:01 | 知恵の情報
考えてみれば、私たちはある事柄においてはたしかに自分が被害者であっても、
別の事柄では加害者であるということを数え切れないくらい繰り返しながら生きて
います。

親子や夫婦のあいだで、友人や仕事上の人間関係において、さらには属している
集団と別の集団とのあいだ、国と国のあいだで、自分をかばい自分の利益を
思い、自分のことを正当化する行動をとるうちに、いまこの瞬間にも私たちは知らず
知らず誰かを傷つけてしまっているのです。その不完全な自分に気づくことがで
きたときにはじめて、ゆるしを必要としているのは実は自分であったのだと気づく
ことができます。

ゆるすとは、愛することなのです。それは、中国の思想家・孔子(前551頃~
前479)が人倫の基本としてあげた「恕(じょ)」に通じます。「あなた」を意味
する「如」と、「心」の、2文字からなる「恕」は、自分のことのように相手を思い、
その存在を尊重する心のことです。相手ばかりが憎むべき醜さを持っている
のではなく、自分も同様に弱さも醜い根性をももった人間ではないか。その
自分がこうしてゆるされて生きていることを顧みれば、相手もまたゆるされる
べきだ、感じることのできる心です。そうした「恕」の心をもって憎しみを
ゆるしに変えることができたとき、その人は本当の安堵と喜びが与えられる
のだと思います。

仏教の開祖・釈迦(前463頃~前383頃)もこのようなことばを遺されています。
「怨みに報いるに怨みをもってしたならばついに息(や)むことがない。怨みを
捨ててこそ息む」と。

ゆるすという行動は、妥協やあきらめや後退ではありません。また、単に勘弁
してやるとか、水に流すとか、大目に見るというレベルにとどまるものでも
ありません。憎い相手もまた自分と同じように、この世にただ一度きりの
生を与えられた価値ある存在であることに気づき、それを尊重することです。
ともに生きている意味を知ることです。

ゆるすという、最も人間らしく、最も難しく、そして最も勇気ある行動を選び
とる力をどうか私たちに与えてください、そう私は絶えず心のなかで祈りを
唱えています。

─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より

注)人倫:人の守るべき道義。

「ゆるすとは、愛することなのです」と言い切られたのには、感銘を受けた。
ゆるすと愛のことば同士がつながったように感じました。たしかに自己を犠牲
なくては、ゆるせない。それは、無償の愛です。勇気あるとおっしゃったのは、
人として、ゆるす葛藤がどうしても存在する、それに理性によって自分を調整
していくことだと理解しました。善我の心の状態です。自然にゆるす行動が
できると心のレベルがあがっているのでしょうけど、自然にできなくても
勇気をもってそれにのぞむ。人間には、その行動が’ゆるされて’います。

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