ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

書物が真に読者のものとなるためには     ショウペンハウエル

2016-10-05 18:11:48 | 知恵の情報
熟慮をかさねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は
食べることによってではなく、消化によってわれわれを養うのである。それとは逆に、
絶えず読むだけで、読んだことを後でされに考えてみなければ、精神の中に根を
おろすこともなく、多くは失われてしまう。

しかし、一般に精神的食物も、普通の食物と変わりはなく、摂取した量の五十分の
一も栄養になればせいぜいで、残りは蒸発作用、呼吸作用その他によって消えうせる。

さらに読書にはもう一つむずかしい条件が加わる。すなわち、紙に書かれた思想は
一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった
道は見える。だが、歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用い
なければならない。(『読書について』斉藤忍随訳 岩波文庫)

    ★    ★    ★    ★

書物を読んで賢くなると思ったら大間違いである。世には本の虫と称され、またそう
評されるのを喜んでいる人もある。もし読書の量に比例して人間が成長するのなら、
本の虫は大人格者になっている筈だが、現実はほとんどそうではあるまい。
かえって嫌味な人柄になっている場合が多い。知識をひけらかして得意になっている
人ばかり、一方的な見せびらかし屋には鼻をつまみたくなる。

人間にとって勉強の本筋は、あくまでも人生体験である。人間を鍛えるのは人間
関係という砥石である。書物の効用は、二通りしかない。
その第一は、人生に処する心構えを教えてくれること。しかし、これは要するに
畳水練であって、いざ水に入って体が浮くようになるには、おのずから別な実地の
工夫が要る。
効用の第二は、実社会で苦労した事柄を、どう納得したらよいか、つまり、経験
を整理する勘所を教えてくれること。読書は体験の代用品にはならないのである。
─『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より

一番重要なことは、本を読むことが好きか嫌いかということだと思う。なんだかんだ
批判しても、こうだという考えで本を読んでいては楽しくない。読むことが好きで
楽しくてしょうがなければならない。そういう姿勢で読んでいれば必ずその人の
血肉になるに違いない・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿