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人間の世界で通らぬ論理の正しさとは    渡部昇一

2016-11-02 17:47:19 | 知恵の情報
ヒュームは哲学で実証した「人間の知力の限界」を、今度は、イギリスの歴史で実証
します。ヒュームが著わした『イギリス史』は、イギリス人が初めて書いた英国通史で、
全六巻のものです。(「ハイエク 人間の知力など頼むに足らない 渡部昇一」からの
つづき)

彼はその中で論理的正しさと現実の正しさの食い違いを例証します。
例えば、清教徒革命のオリバー・クロムエル(1599~1658年)は、王政廃止を
唱えて、議会軍を率いて国王軍を破り、チャールズ一世を処理します。「王権神授
説を振りかざす王政は間違っている。よってこれを廃止する」という理屈は、正し
そうに見えますし、論理は通ります。

ところが、論理は通りましたが、結果はどうなったか。
多くの人にとって、さらに辛い時代になったのです。王権を処刑できるほど強力な
政治家は、王権よりも弾圧的になりやすいのです(ロシア皇帝を殺してできたソ連
政府を考えても分かります)。軍隊が政治を支配するような体制になってしまったの
です。論理にかなっていればそれでいいというわけではなかったのです。

このように人間の知力にはどこか欠陥があるというのが、ヒュームに流れる哲学
なのです。

ハイエク先生も、どこかでヒュームと通じるところがあります。
ハイエク先生は、人間の頭脳はかなり複雑な思考に対応できるものではあるけれど、
特に政治や経済体制となると、その複雑さに対応しきれないところがあると考えて
いたようです。というより、そのような複雑きわまりない社会をコントロールしようと
して、たとえどんなすごい人が知力を振りかざして事を運ぼうとしても、思わざる事態
が起きて、たちまちプログラミングが変更されるのが、この社会であると考えていた
ようです。

例えば、どんな優秀な官僚でも物価を決めることはできません。それができると思い
込んだのが、ソ連経済でした。そして崩壊したのです。物価は市場にまかせるより
しかたがないのです。つまり、世の中は、理屈通りには決して立ち行かないようです。

二十世紀屈指の物理学者であるハイゼンベルクも、同じく屈指の経済学者である
ハイエク先生も、物理の力や経済の力を持ってしても立ち行かない世界、というより、
この社会の真理をつかむためには、それらの学問に限界があることを警告してくれて
いるようです。

まして、私たち凡人が、それらの学問や科学的思考が十分でもないのに、絶対で
あると考え、不確かなそれに固執するのは、不遜な態度と言えるのではないでしょうか。

ものごとを客観的に分析し、論理的に解明しても、それだけで導き出される答えが
絶対的な正しさとは限らない、むしろ道を間違えさせていることもあるlことを、不確
定性原理は教えているのです。

─『渡部昇一の 人生観・歴史観を高める事典』(PHP研究所)
  「不確定性原理の意味」より・・・


原発廃止での人間の決断力のなさ、地震、気象兵器をまじめに考えない脆弱な考えの甘さ、
UFOなどの異星人に対する、子どもじみた、上から目線の判断、国際政治では、
表と裏があり、一般の政治の動きとはちがう戦略が働いていることへの無知、こういった
ものへの公明正大なとらえかたができぬことを考えてみると、論理の働きの限界と
倫理の限界を感じている。論理はつながりにすぎないが、それを過大に信じ込み
論理的=正しい倫理と勘違いしている。真の倫理に判断がつかないと、論理に逃げこむ
ということをやっている。まず自然の中に生かされていることの自覚と共存共栄の
重要さに気づけば倫理の判断ができてくる。その上で、その倫理を生きるために論理
を使って考え方を整理する。くれぐれも論理をひけらかしてはだめだ。


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