昨日、菊花展が開催されている市原市の上総国分寺跡で、菊花展見学の後、展示館を見学し、説明を受けた。
国分寺というのは、奈良時代中期に、疫病がはやり、人々は飢えに苦しんでいたので、天皇の命令で、全国60数カ所に建てられた国立寺院である。国分二寺ともいい、国分僧寺と国分尼寺からなる。上総国分寺は、面積が13.9万㎡もあり、全国一の広さだそうだ。国分僧寺には、高さが63mもの七重の塔があり、法隆寺の五重塔の2倍もあったそうである。上総国分寺跡は、昭和43年に発掘調査が開始され、20年かけて調査、解明された。上総国分寺跡には、国分尼寺の回廊のみ復元され、金堂は復元されていない。上の写真は、金堂跡と回廊である。
復元された回廊、手前は金堂跡。この回廊を使用して菊花展が開催されている。
国分尼寺全容の模型
国分僧寺の七重の塔の想像図
当時の国分僧寺と国分尼寺の配置図。現在の市原市役所は、二寺の中間にある。