第1回 はじめに
研究とはなんぞや。
と,いきなり大上段からぶちかましてしまいましたが,研究とは何でしょうか。実践家-研究者モデルだとか,質的研究法だとか,否,統計的リサーチだとか,エビデンスとか,コホート研究だとか,何だとか,いろいろ言われていますが,研究とは究極的に言えば,
「論文を出すこと」
「自分の考えを文章にして世の中に提示すること」
です。
結論としては,あまりにも頭が悪いですが…
論文を書き
↓
学術雑誌に投稿し
↓
雑誌に受理され
↓
掲載される
↓
レスポンスがある
↓ ↑
それにコメントを返す
という循環が「研究」です。もちろん,学会発表とかありますよ。でも,究極の目標は,「レフリーのある学術雑誌に論文を投稿し掲載されること」でしょう。
で,もって,こんな論文が5本,6本とたまってゆく。
世界の中心の近くくらいに自分がいるような気分になる。
なんていうときに,人が思うこと,それは,
これを本にしたい。
ということではないでしょうか。
もちろん他にも,
博士論文が書きあがる。
もしくは,
面白そうな洋書を手に入れる。
なんていうときに,「本にしたらどうだろうか」と思うものです。
あるいは,「本にしたら」なんて同じ職場の人に言われることもかもしれません。
背表紙に載る自分の名前。
書店の本棚の一隅に並ぶ自分の本。
夢想します。
もし,自分の目の前で自分の本が売れたら…。
大興奮!フリスキー!モンプチ!ってなものですよ。
さて,ここであらゆる方に朗報です。
たいていの出版社は,「持ち込み」OKです。
驚かれますか?
OKというか,許可しちょるというくらいではなく,それ以上に「どんどん来てくだされ!」というような状況であることも少なくありません。
ただし,これは「専門書」に限ってです。(あんさんが暇つぶしに書いた詩集とかは不可です。おみおつけで顔を洗って出直してください!)
「専門書」とカギカッコに入れてみましたが,これは何も,上に書いたような「博論まとめ直したもの」みたいな専門学術出版だけという意味ではありません。
「専門書」とは,いわゆる「専門家」が書いたもの,というくらいの意味しかありません。
現実的には専門書とは言えないし,見なされもしないけれど,「専門家」が書いたものは,実際的には多くの日常を生きる非専門家──一般ピープルにとれば,立派な専門書,知恵の源です。
よくあるじゃないですか。
たとえは出しませんけど,ほら,すんごい大きな出版社で,突然本を出してしまう専門家とかね。その専門家の業界のなかでは,大して顔役でもなく,もっと言ってしまえば,オミソのように扱われているのにもかかわらず,大出版社から本を出してしまう人…
なんでコイツの本が出るんだと,表紙を指弾したことがある人も少なくないはず。
こんな悲劇(?)がなぜ起きるかと言えば,その人が「専門家」だからです。
「専門家」といっても何も大学アカデミニズムに所属しているという意味ではありません。市井に活躍する人でいいのです。
医師とか,建築士とか,看護師とか,会計士とか,臨床心理士とか,学校教諭とか,ソーシャルワーカーとか,あるいはコックさんだとか,パイロットだとか,警察官だとか,「免許」を持った人は特にいいんじゃないでしょうか。免許を持っているだけで専門家ですから。その業界でどのくらい「正しいか」なんて門外漢の出版人には所詮わかりません。
フツーのサラリーマンである,出版社の人間にとれば,横丁の専門家も,帝国大学の専門家も,あまり違いがなかったりするんですね。それよか人が良さそうだったり,面白そうなものを書いてくれそうだと思えたりすることが大事でしょう。
話が曲がった方向に行ってしまいました。ま,こうした話は,後にもしますが。
ともあれ,専門家であればその領域における専門書を書く権利はだれもが持つということです。だれもが書いていいんです! 本を出すことはできるんです!
ま,なんとなく,専門職の皆さんは,そう感じておられるのではないでしょうか。
でも実際のところ,どうしたらいいのかと言えば,雲をつかむような話かもしれません。ブログやHPを作っても,「出版しないか」なんて話,きませんしね。
だいたい「編集者」を知っている人なんて,現実のところ,あんまりいませんよね。編集者は神保町とか文京区とか京大の周辺とかにはけっこう棲息していますが,それ以外の地域には滅多にいません。退職・転職・移動も多いですし。
なので,「彼ら」とコミュニケーションを取る「エサ」が必要になります。
それが「企画書」です。
これが持ち込みには欠かせません。待っていても,うまい話はこないのです。出て行くしかありません。
さて,その企画書とはどう書くか。
どう書いたら編集者は喜ぶのか。
その辺りを書けたら,と思います。
えっと,それから,付け加えますと,この「企画書企画」ですが,基本的には私の独断と偏見です。
ですが,同業者にもインタビューをしつつ,まとめてみたものです。
Hさん,Tさん,ベリーサンクスでございまする。
(続くんだなこれがまた)
研究とはなんぞや。
と,いきなり大上段からぶちかましてしまいましたが,研究とは何でしょうか。実践家-研究者モデルだとか,質的研究法だとか,否,統計的リサーチだとか,エビデンスとか,コホート研究だとか,何だとか,いろいろ言われていますが,研究とは究極的に言えば,
「論文を出すこと」
「自分の考えを文章にして世の中に提示すること」
です。
結論としては,あまりにも頭が悪いですが…
論文を書き
↓
学術雑誌に投稿し
↓
雑誌に受理され
↓
掲載される
↓
レスポンスがある
↓ ↑
それにコメントを返す
という循環が「研究」です。もちろん,学会発表とかありますよ。でも,究極の目標は,「レフリーのある学術雑誌に論文を投稿し掲載されること」でしょう。
で,もって,こんな論文が5本,6本とたまってゆく。
世界の中心の近くくらいに自分がいるような気分になる。
なんていうときに,人が思うこと,それは,
これを本にしたい。
ということではないでしょうか。
もちろん他にも,
博士論文が書きあがる。
もしくは,
面白そうな洋書を手に入れる。
なんていうときに,「本にしたらどうだろうか」と思うものです。
あるいは,「本にしたら」なんて同じ職場の人に言われることもかもしれません。
背表紙に載る自分の名前。
書店の本棚の一隅に並ぶ自分の本。
夢想します。
もし,自分の目の前で自分の本が売れたら…。
大興奮!フリスキー!モンプチ!ってなものですよ。
さて,ここであらゆる方に朗報です。
たいていの出版社は,「持ち込み」OKです。
驚かれますか?
OKというか,許可しちょるというくらいではなく,それ以上に「どんどん来てくだされ!」というような状況であることも少なくありません。
ただし,これは「専門書」に限ってです。(あんさんが暇つぶしに書いた詩集とかは不可です。おみおつけで顔を洗って出直してください!)
「専門書」とカギカッコに入れてみましたが,これは何も,上に書いたような「博論まとめ直したもの」みたいな専門学術出版だけという意味ではありません。
「専門書」とは,いわゆる「専門家」が書いたもの,というくらいの意味しかありません。
現実的には専門書とは言えないし,見なされもしないけれど,「専門家」が書いたものは,実際的には多くの日常を生きる非専門家──一般ピープルにとれば,立派な専門書,知恵の源です。
よくあるじゃないですか。
たとえは出しませんけど,ほら,すんごい大きな出版社で,突然本を出してしまう専門家とかね。その専門家の業界のなかでは,大して顔役でもなく,もっと言ってしまえば,オミソのように扱われているのにもかかわらず,大出版社から本を出してしまう人…
なんでコイツの本が出るんだと,表紙を指弾したことがある人も少なくないはず。
こんな悲劇(?)がなぜ起きるかと言えば,その人が「専門家」だからです。
「専門家」といっても何も大学アカデミニズムに所属しているという意味ではありません。市井に活躍する人でいいのです。
医師とか,建築士とか,看護師とか,会計士とか,臨床心理士とか,学校教諭とか,ソーシャルワーカーとか,あるいはコックさんだとか,パイロットだとか,警察官だとか,「免許」を持った人は特にいいんじゃないでしょうか。免許を持っているだけで専門家ですから。その業界でどのくらい「正しいか」なんて門外漢の出版人には所詮わかりません。
フツーのサラリーマンである,出版社の人間にとれば,横丁の専門家も,帝国大学の専門家も,あまり違いがなかったりするんですね。それよか人が良さそうだったり,面白そうなものを書いてくれそうだと思えたりすることが大事でしょう。
話が曲がった方向に行ってしまいました。ま,こうした話は,後にもしますが。
ともあれ,専門家であればその領域における専門書を書く権利はだれもが持つということです。だれもが書いていいんです! 本を出すことはできるんです!
ま,なんとなく,専門職の皆さんは,そう感じておられるのではないでしょうか。
でも実際のところ,どうしたらいいのかと言えば,雲をつかむような話かもしれません。ブログやHPを作っても,「出版しないか」なんて話,きませんしね。
だいたい「編集者」を知っている人なんて,現実のところ,あんまりいませんよね。編集者は神保町とか文京区とか京大の周辺とかにはけっこう棲息していますが,それ以外の地域には滅多にいません。退職・転職・移動も多いですし。
なので,「彼ら」とコミュニケーションを取る「エサ」が必要になります。
それが「企画書」です。
これが持ち込みには欠かせません。待っていても,うまい話はこないのです。出て行くしかありません。
さて,その企画書とはどう書くか。
どう書いたら編集者は喜ぶのか。
その辺りを書けたら,と思います。
えっと,それから,付け加えますと,この「企画書企画」ですが,基本的には私の独断と偏見です。
ですが,同業者にもインタビューをしつつ,まとめてみたものです。
Hさん,Tさん,ベリーサンクスでございまする。
(続くんだなこれがまた)
このまま連載内連載なんかもはじまっちゃうんでしょうか。むしろ企画書企画内企画書ですかね(意味不明
初対面でこう申し上げるのも気色悪い事なんですが,psy-pubさんの文章,大好きです。愛してます(照
裕さん Decoさん ありがとうございます。
愛しています,なんて言われたの,久しぶりです(号泣
あ,文章がか……
さて,企画書企画ですが,一応何回か続きます。9回くらいをメドにしています。
サルでもかける……ってことはないんです。
原稿をいかに書くかとか,よい論文とは,みたいな話は(多分)しません。
サルが書いた専門書なら,ほんと,読みたいですが。
質問があらば,ぜひ,コメントつけてくださいませ。よろぴくです。
親切にありがとうございます! 大丈夫,マイフレンド,通じております。そこに至る前までの話,ということで。マンガの編集は,ちょっと特殊ですよね。ストーリーまで書いちゃう編集者もいるくらいですから。それが良いのかどうかはわかりませんが。
サルマン,スピリッツ連載中に最初に読んだのが,辮髪の編集者(名前失念)が飛行機のなかで嬉しそうに(このときの顔が忘れられない)写植貼ってたら,「赤いひょっとこ」なる過激派に飛行機を乗っ取られ……ってところで,まあpsy-pubはあんなモーレツ編集者じゃないですよ(w