川口由一さん インタビュー
ほんとうにほんとうのものに出会う育ち方、在り方、求め方
八木 真の喜びある人生には、ほんとうのものに出会うことがつくづく大切だと感じています。ほんとうのものに出会う育ち方、在り方、求め方等々について、ぜひお話しを聞かせてください。
川口さん そうですね。ほんとうであることはほんとうに大切なことで、一人一人のそして人類の幸福に欠かせないことであり、ほんとうのことから外れると大きな不幸に陥ってしまいます。明らかでなければなりません。不信の入ることや疑問に思えることや心配なことがたくさんたくさんある今日ですね。
大農機を製造して石油で動かしての大規模農業、化学肥料、農薬、除草剤を用いての栽培によって空気や水を汚染する食料の確保の在り方はほんとうの良き栽培方法なのだろうか。持続可能に問題を招かないのだろうか。すべてのいのちが生きる舞台である環境を損ねるのではないのか、人のいのちの安全性に問題が生じるのではないのか。自然から遊離した施設内で栽培する非自然な農作物は十全ないのちに育っているのだろうか。あるいは狭い人間の視野で遺伝子を操作しての品種改良は、生命界における大切な秩序を乱して自然界生命界に生かされ生きる私たち人間のいのちにも深く問題が及ぶのではないのか・・・。
病気治療において人の受精卵から細胞をつくるES細胞や遺伝子を組み替えてつくるIPS細胞から作ったもので手術する最新の治療方法はほんとうの治療なのだろうか。ほんとうに病気が治るのだろうか。病気の原因を明らかとして原因を根本から解決して治す治療をせずして、原因あっての結果である患部を切り取り、人の手で操作してつくったものを取り付ける治療方法はほんとうの治療だろうか。いのちを観れず知らず、宇宙本体を観ることできず、わからず、人間の浅い狭い智恵で行為行動を行っていては、ほんとうのことから遠ざかって不幸に陥ってゆくのではないか。
約137億年前に宇宙は誕生し、刻々膨張しており、やがて宇宙は壊れると説き、宇宙に始まりと終わりがある、というのはほんとうだろうか。太陽の光熱を、地熱を、風力を、水素を・・・、エネルギーに変えて消費経済をさらに発展させようとするのは、ほんとうの発展なのか、ほんとうに大丈夫だろうか。ほんとうに有益なのだろうか。ウランを用いての原子力発電は一国にとっても人類とってもほんとうに有益なのだろうか、やがては人類の生存を脅かすことになるのではないのか。
この政治、民をほんとうの平和に誘(いざな)うほんとうの政治だろうか。この民主主義は民を主として真の幸福に誘うほんとうの民主主義になっているのだろうか。この政治家、ほんとうに人間社会を真の平和に、人類を真の幸福に導くことのできる智力能力を宿したほんとうに優れた立派な人格者としての政治家だろうか。国民一人一人もほんとうに大切なことをほんとうに知っているのだろうか。人類が真の平和に至るものを政治家に求めているのだろうか。
ほんとうかほんとうでないかを明らかにして、ほんとうの優れた人になり、ほんとうのものを見出し、本当のものを創り上げていかなければなりません。ほんとうのもの、ほんとうのことは単純明快で決して複雑で朦朧としたものではありません。しかし、ほんとうのことがわかり、ほんとうのことを知ることのできる濁りなき澄んだ明けき心と智恵で思索し、ほんとうに正しい答えを見いだせる人に育つことが難しい、そしてほんとうの答を生きることのできる人に育つことがなお難しいのですね。是非、ほんとうに育たねばなりません。人類はほんとうの解決へとほんとうに歩まねばなりません。
八木 ほんとうの答を生きることのできる人に育つことはなお難しいのですね。実感いたします。物質中心の現代に生きる私たちですが、いのちを躍動させ、智力能力を働かせ、答えを生きる、自分の足元から、小さな一歩でも、できることをと思います。
川口さん そうですね。ほんとうの答を生きるにおいては、まず自分から、我が足元から、身近なところから、それぞれの自国から・・・が大切であり基本となりますね。ところで、真のこと、ほんとうのことに出会い、出会ったそのほんとうの世界が繰り広げているものや姿や根底の真理が観えてまいりますと、なんとも言えず楽しくなります。決して疑いが入らない、ほんとうのことがわかる智力能力が働くようになりますと信が確かと心の内に湧き上がりますので、ほんとうに嬉しくなります。救われる道が観え、救われる道を見いだせる人に育ったことも嬉しいのですね。人類は今日まで生きて来るなかで、実は誰しもがほんとうのものを、真のものをひたすら求め続けてきただろうし、今も求め続けているはずですし、今後も求め続けると思うのです。ほんとうのものがほんとうに必要なのですから。
成長過程における、ある時、ほんとうのものと思っておりましても、時を重ねて成長してゆくなかで少しずつ本当と思っていたものが変化してゆくことがあります。その場合はいまだ本当にほんとうのものに出会えていないのですね。あるいはほんとうのものではないのにこれがほんとうだと思えたり、他に押しつける場合は心の曇りであったり偏りであったり思想や哲学の誤りから生じることですね。ほんとうのものに出逢える生き方、在り方、求め方ができ、出逢うことができたなら、いつまでもいつまでも本当に楽しく生きることができます。一人ひとりも、社会も、平和に幸福に至ることができ、他をも導くこともできるとつくづく思います。やはりほんとうのものでないと、真のものでないと楽しくなりません。幸福になりません。幸福裡に人生を全うすることはできません。平和な人間社会にはなり得ません。ほんとうのものはどこから見ても障るものがなくて疑いが入らず納得します。わずか一部分のところでも問題が生ずればそれは真のものでない、ほんとうのものでない、そのように言えます。一理はあっても他のところで障るものがあれば、それは真のものでない、そのようになります。ところで最も大切なのは私自身が真の人になることです。ほんとうに真のものがわかる、真のものが見える、真の声を聞くことができる、真の人生を、真の幸福の人生を全うすることができる、ほんとうに優れた人に育つことが大切です。
人類は今日まで数十万年、数百万年生きてきた中で、いろいろと思索し続け、求め続け、願い続け、試み続け、創り続け、実践を重ね重ねて今日に至って今日も生きていますが、それが真のものに近づいているのか、真のものになっているのか、ほんとうのところに至っているのか。あるいは反対に真のところから外れてきているのか、誤りであったり、偽りであったり、枝葉であったり、表面的であったりしていないか、このことを明確に判別することが大切であり、ほんとうのものでなければ速やかに改め、直し、正すことが重要になります。人類全体が、一人ひとりが真の人に育つ、真のことがわかる、真実が観える、宇宙の、あるいはいのちの真の実相実体が観える、察知できる、悟知できることが本当に必要です。政治、教育、芸術、宗教、医学治療学、農林水産業、経済、衣食住、日々の生活、・・・。これら必要不可欠のそれぞれの分野をほんとうのものにする。真のものにする。ほんとうのことを明らかにする。そして明らかとした真なるところに身を置いて真に生き、実践し、確立してゆかねばなりません。同時に次の時代を担う若者を、ほんとうのことが観え、ほんとうのことを知り、人としてほんとうを生きることのできる人間に育てることが重要であり、一生における大切な役目使命天命となるものであって、それを果たせる人生であらねばなりません。
人としての成長は深く広く高く総合的でないとほんとうのことがわかりません。ほんとうの人に育つにはどこか欠けているものがあるとだめで総合的であることが大切です。欠けていますと一つのほんとうのことがわかっても他のところでわからない、生きるに必要な全体がわからない。基本がわからない。自分とは、人間とは、いのちとは、時空とは、宇宙とは、等々、姿形のないものはなおわからない、観えない、察知できない、悟り知ることはできません。いのちは、時空は、宇宙は姿形、色、音、重力・・等々の無きものです。137億年前にインフレーションが起こり、やがてビックバンとなって宇宙が誕生した。その後、膨張し続けている、やがて宇宙が壊れると言うのは宇宙で生じている出来事であって宇宙そのものではないだろう。物質でもって姿形を現わすのは宇宙における相対界の出来事であって宇宙本体ではない。二重で螺旋状に姿形を現わす遺伝子しかり、いのちが現す遺伝子であっていのちそのものではない。いのちは、宇宙は、時空は、姿形の無きものであって、姿形無きものをほんとうに観ることのできる真眼、悟眼を養っての追求でなければ宇宙本体のほんとうの実相実体は見ることはできず明らかとなりません。何事においても一つの出来事に、一つの答に、部分の答えや現象に竿さして生きると、どこかで必ず問題を招き、新たに次々と問題が生じて極まらず、正しく完成させ全うすることはできず、ほんとうを得ることはできず、真の幸福に至ることはできません。
八木 ほんとうのものは誰にとっても人類だけでなくすべてのいのちにとって善き答となるもので、おのずからしからしむる自然界生命界の理に沿っているものだと思っています。それを察知するには、宇宙に快く開かれた澄んだ眼を持ち、部分にとらわれない高い境地でいること、そして自分のなかに真のものを謙虚に受けいれる空間がある、などの状態を思い浮かべています。
川口さん そうですね、欠かすことのできない状態であり境地ですね。人としての正しい道を得、いのちの道を得てなお道にとどまらず宇宙そのものを得る、絶対の境地の体得、体現できる人に育つことが必要であります。宇宙本体が観える。さらに我が存在に宇宙を得る、宇宙を体得した絶対の境地で生きて相対世界における人生の実践において正しく、的確に、正確に対応し対処し、創造し、建設し、生きてゆく人生であらねばなりません。
八木 ところで、年代に関係なくほんとうのものに出会える在り方をされている人もおられるでしょうし、地球上に起きている事々から推測しましても人生の終わりまで確かなものに出会うことのない方々もおられるのだろうなと思いますが・・・。
川口さん ほんとうにほんとうの人に育つ、ほんとうのものに出会う、ほんとうの人に出逢う、ほんとうのことがわかる、ほんとうの仕事ができる、ほんとうの答を生きることが本当に大切ですが容易ではありません。それぞれの分野で生きるにおいて、甘くて中途半端で曖昧なままで生きていれば極めることはできないし、心が邪悪で曇り、人としての美しい善なる心を失い、自己執着で濁り、排他的で傲慢で支配欲や権勢欲、物欲、金銭にとらわれ、偏った思想、誤った哲学で明かりなき暗闇に陥っていてはほんとうのことはわからないし、わかる人に育つことはできません。ほんとうのことがわからず、ほんとうの仕事をすることができず、ほんとうの人に育たず、ほんとうの人生とならずに死にゆく悲しい淋しい不幸な一生になりますね。
八木 時代性をこえて、この今に、おのずからしからしむるこの宇宙に真の花を咲かせ実らせ全うする、そのような人生でありたいです。
川口さん 生きることのできるのはこの今であって、この今はこの今しかなくて、一瞬一瞬どんどんこの今は無くなってゆきます。同時に次々とこの今が必ずやってきてこの今が有るのですが、百年前後です。生きることのできる今は必ず無くなります。与えられているのは百年前後なのです。生きることのできる一人のいのち、一人の時空間は刻々と無くなってゆく定めです。胎児期、乳幼児期、少年少女期、青年期、壮年期、老年期、成熟期、次々と有って次々と無くなって、ついには死に至りゆくいのちの営みであり時の流れであり運命であります。生きることのできるこの今が確かにあり、確かに必ず無くなるのです。かけがえのない百年前後の生の期間です。ほんとうの今を生き、ほんとうの芽を出し、ほんとうの幹に育ち、ほんとうの枝葉をつくり、ほんとうの花を咲かせ、ほんとうの豊かで美しい善なる真の実を結ぶ人生でないと残念です。誰しもがほんとうの心平和で真の幸福を生きたいのです。ほんとうの全き人生でありたいのです。ほんとうの人に育った人々が織り成す人間社会をいつの時代に生まれてきた人も求めて生きているのです。私たち人類の本来は、ほんとうに平和でほんとうの幸福に生きて全うする存在であるのですからね。
八木 一人ひとりの真のめざめとともに、ほんとうのものを希求し、出逢い、実践することで新しい時代が創られてゆくことを感じます。そちらに心を向け続けていたいです。お話しをありがとうございました。
お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん
インタビュー 編集 八木真由美
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