今朝、思ったこと。2024.2.22
脳は体の一部の器官なので、それだけで語れるものではなく、いのち全体で何を感じているのかが最も大切だということ。ハート、腹、頭、魂など名前をつけてわけているけれど、本来は一体のいのちでありながら、役目や働きがそれぞれということですね。
自分という認識を、身体全体、さらには他のすべてのいのちと一体であるというところで感じている時、ワタシは本当のワクワク(いのちからの喜び)が起きているように感じます。自ら生きている、他のすべてに生かされている、この二つが同時に満たされているのが宇宙の本質ですから、自力100%他力100%なのです。
ところで、右脳についてですが、脳の働きのなかでは、イメージ脳、直観脳など言われているようで、高速で処理することもできます。パッと見てわかる、ということです。考えたり、数えたり、ではなく瞬時にわかるという機能を誰もが備えていますね。
わたしも時々、その状態になることがあります。
ある日、知り合いの家に行ったとき、その家の男の子に『おばちゃん、これやってみて。絶対にできんから。できる方法は1000分の1だからね。』と、ルービックキューブに似た多面体で、もう少し高度なものを面白がって渡されたのです。
そもそもふだんから、そういうものに縁がないので、『なんでしょう、これは・・』と受け取りましたが、要するにすごく難しいものらしい、と言うことだけがわかりました。
その男の子が朗らかで可愛らしかったのでムリムリとは言えず、『そうだ、考えないでやってみよう』と、手の動きに任せてみました。
すると数分もしないうちに完成。男の子はもちろん驚き歓喜してくれましたが、この時はまさしく右脳優位の状態といえますね。
思考を全く使わないと決めたことで、左脳をオフにしたのかもしれません。
その状態をもう少し深く見てみると、たとえば、その難しい多面体を作った人の情報を無意識に受け取っていた、または、かつて同じように体験した人の情報が流れ込んできた、完成している未来からの情報に手の動きが沿っていた、など考えられるのでは、と思ったりしています。
到底、体験のない私の力だけではできないですから、宇宙(いのち)と一体になって、絶対の境地にその瞬間は立っていたのかなぁ、との思いに至るのです。絶対の境地は軽やかで、疑いが入らず、相対を超えているのでしょう。
そして、前回も書きましたが、感情が平らかで(フラット)で、絶対に完成させないといけないなどの執着やら、できなかったどうしようという不安やら、ムリムリという抵抗感もまるでない状態ゆえに、おのずから起きてきた、というふうにとらえています。
あの朗らかな男の子に感謝ですね~。良い体験をさせてもらったなぁ、と思います。
考える隙を与えない無茶ぶりって、好きだわ~。
みなさんもいかがですか。😊
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