和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

お水取り

2009年02月15日 | 和州独案内
 もうすぐ大和に春を告げるお水取りが始まります、いや既に十二月十六日から始まってるとも言えなくは無いかな。天平勝宝四年(752)に始まり今年で千二百五十八回?を数える大変歴史と由緒の深い奈良を代表する行事と言えます。ところでお水取りって?お松明って何なのと言う素朴な疑問にキチンと答えられますか?

  

 お水取りは正式には修二月会もしくは十一面観音悔過会と言い、二月堂のご本尊十一面観音にあらゆる罪と穢れを懺悔して、国家の安泰と国民の安寧を祈念する東大寺の年中行事の一つです。
 本行は三月一日より上七日、下七日の合わせて十四日もの間執り行われ、お水取りはその十二日目、日付が変わって十三日の午前二時時くらいに行なわれる行事です。二月堂の崖下にある若狭井より湧き出す霊水(香水、若水)を汲み上げて、本尊十一面観音に奉げる儀式が何時しか行全体を呼ぶようになったのです。
 ではお松明はと言うと、実は本行とは余り関係が無く、修行の僧を練行衆と呼びますが彼らが参籠所から二月堂に夜上堂する際に足元を照らした上堂松明が何時しか大きくなって今のようになったと言われています。今では本行のクライマックスのように取り上げられる事が多く誤解を招いています。しかし、お松明の火の粉を被るとその一年息災で過ごせるという話が何時しか出来る様にこの行には火と水が重要なキーワードであり、お水取りやお松明と言う呼び名は奇しくもこの行事の本質を捉えているともいえます。
 寺の数ある年中行事の中で「不退の行法」と呼ばれるほどに東大寺にとって最も重要な行事となり、幾度かの戦渦を乗り越えて現在まで一度も途絶えることなく執り行われてきました。そのため古式を伝える行の意味するところが分からなく成ったり、途中新たに付け加えられたりした為に本行を理解するのが更に難しくなっています。とまあテンプレ的な普通の理解ならここまで判っていれば十分だと思いますが、ここから以下は長い長い余談になりますのであしからず。

  
        松明は練行衆の足元を照らすのみならずその火で道を清める意味もある                     

 天平勝宝元年(752)実忠和尚によって始められたとされるお水取りですが、その当時に現在の二月堂にあたる建物は無く若狭井に相当する井戸のみが存在した事が「東大寺山堺四至図」によって確認できます。では創始の年代に誤りがあるのか、二月堂とは違う堂で勤修したのか、丁度同年に光明皇后の下紫微中台で執り行われた十一面悔過会を充てるのか答えは出ません。個人的には実忠によって小観音を本尊として堂を定めずにこじんまりと始まったと思いますが。
 この行の創始者実忠という人物についても生地などの詳しいことは判らず、大同四年(809)の本行勤修中に十一面観音が祀られている須弥壇下に入り姿を消したと言う謎めいた伝説めいた話が残っています。
 「二月堂縁起」によれば、751年に笠置山中の洞窟に迷い込んだ実忠が竜穴を抜けると、そこは兜率天の内院で天人達が十一面悔過会を執り行っていた。それを見た実忠は人間界で是非この悔過会を行ないたいと願うが、天上界の一日は下界の数百年に相当し、本尊の十一面観音もいない事から無理だと言われた。それでもあきらめきれない実忠は行を走りながら行なう事とし、本尊は観音浄土補陀落山に向かって勧請祈念したところ海上より閼伽器に乗った生身(人肌の温かさを持つ)七寸ばかりの十一面観音を得る事が出来た。これが現在二月堂の絶対秘仏とされる小観音で本行の下七日の本尊とされる。
 では上七日はと言うと大観音と呼ばれる2m近い、その名の通りに大きな十一面観音が本尊となり、行の途中に本尊が入れ替わるややこしい事になっています。大観音も秘仏ですが小観音共に文献からその像様を推察する事が出来る。大観音は1667年の二月堂の火災で破損した光背が蔵に収められて伝世し、今は奈良博に寄贈されておりこの時期の企画展に出展されるので是非見てください。光背は大仏連弁線刻画に似ており、大観音が天平の金銅仏であると類推されます。
 小観音の詳しい像様は20cm程の金銅像で、頭頂に慈悲面、白牙面、瞋怒面が三段アイスクリームの様に積み上がるとても珍しい尊像です。本像に類似するものは本邦に見当たらず、遥か遠くインドのカーンヘーリ石窟にあるらしく、実忠が小観音を南海より請来した説話の持つ意味を考えさせられて面白い。
 普段は大観音の前に安置される小観音が、お水取りになると後ろに回され、さらに下七日になると「出御」「後入」を経てお前立ちする所作も小観音の来歴を物語っているようで色々考えさせられます。
 
 二月堂が何時建てられたかは少し置いておいて、観音堂としての二月堂を眺めてみたい。華厳経によると観音菩薩は南海にある絶海の孤島、補陀落山浄土に住むと考えられている。観音菩薩を安置する観音堂はこの補陀落山観音浄土を体現するための舞台装置です。故に奥深い山懐に堂宇を営み、山並みや雲霧を海に「見立て」て観音浄土を再現しようとしています。二月堂を見立ててみると当然山中にはありませんが、斜面に張り出したいわゆる懸崖造りで絶海の孤島を再現しています。平地に作られた南円堂などは観音菩薩の住む八角形の宮殿を模している訳です。二月堂の正面の石階段にもそんな「見立て」が施されているのですがお気づきでしょうか、恐らくですが。
 次に続くかも   

  
二月堂を南方の絶海の孤島にあるという補陀落浄土に見立てるための(多分)青海波紋と亀甲紋