想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

山は語る。

2013-01-05 19:53:20 | 日記

洗濯物が限界だから行くって、どーよ。





マイナス10度くらい?
ダイエット中につき、身体を温めようと努力をはじめたら、
冷えるという現象に少し敏感になったみたい。
サラダを食べただけで、
「寒い!」と震えあがった。
サラダで寒いなんて、経験ないよ。
ビックリだ~…。


でも。今日も夕方歩いてきた。
まだダンナサマのことで頭が回っていて、
暗闇に浮かび上がる山を見たくなった。
日が落ちて、月の光でうっすら明るい空に、
黒々と浮かび上がる山を見る。その前に流れる川の濁流音を聞く。
ゼラチン質のように固まりつつある意識の底に、
何かが投げ込まれればいいのにと、想いながら。

でね。少しまとまってきた。私的に。

ALSは、私の中では、

告知の段階でもう=父の死 だったってこと。

私たちの前で、父はもうあの時死んだのだ。
妹の中でも、多分死んでしまったのだろう。
そして、私は、今一度振り返ったのだと思う。
治療法があれば、振り返ったその場所に、希望の灯が点っただろう。
でも、ALSは、
そうじゃない。きっと、振り返ったら地獄。
「生きることを諦めた」本人の父と、妹に、
尚も「生きる」ことを強いてしまう私の気持ち。

希望などないのに。

残酷に足掻く私の未練。

諦め去ろうとする者を、身勝手に引き留めて、
自分の尺度で、「あなたは残酷だ」と責めている。
勝手なのは、私の方。

振り返ったなら、
もう、どっちへ進もうと、「死」でしかないのに。
やってもやらなくても、もう私には「父の死」しかないのだ。もうとっくの昔に。
引き返したならば、もう覚悟を決めるべきだったのだ。
自分の選択肢のなかに、意味を見出すしかないではないか?
ALSにも美談はあろうと、
厳しく、惨たらしい現実しかないALSが自分の家族なら、
置き捨てることはできないという想いは、
優しくも美しくもなれない。
父は、ホーキング博士のようには生きれないのだから、
同じ土俵に上げようなんて、勘違いも甚だしい。
私たちには、美談などない。
日々、呼吸停止の恐怖と、時間の焦り。
恐怖と焦り。

私の中は、もうそれでいっぱいになってしまった。
でも、そうしても進むしかないのだから、
行っても行かなくても、父と共に死んでゆく心なら、

ここで折れるのは嫌だ。

意味を見いだせずにいて、どうする?

その瞬間まで「生きて欲しい。笑って欲しい」という想いを、
ここで手折ってはならない。

選んだ私が、手折ってはならないと想うの。

「貴女ができることを精一杯すればいい」…本当、それに尽きると想うよ。

今生きている父が精一杯で、
私も精一杯で、
それ以上のことは望めないのだから。



神様を信じてる?











コメント
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