かくれて咲く花

~凛として~

men and women (part II)

2013-12-16 17:58:27 | Weblog


さらに「男気」について(→part I)。

ハードボイルドな男の「つよさ」と「やさしさ」に加えて、とてもかなわないと私がいつも思うのは、自分が損をすることが分かっていても、それでも男には勝負しないといけない時がある、という場面で受けて立つ心意気。男やなあ・・・と惚れ惚れする瞬間。女の人はよくも悪くも常に損得勘定が働く生き物であるし、男女問わず、人間誰しも負けると分かっているとき、自分が損をすると分かっているのにあえてそれを引き受ける、という選択ができる人はそう多くはいない。だけど誰かがそれをやらなきゃいけない、というときに「俺がやる」という、ある意味“究極のやせ我慢”にしびれる。

なかでも誰かを守る、というのが最高の男気だと思う。

誰かを自分が盾になってかばう。その人をかばうことによって、自分が責められたり批判を受けることがあっても、それでも守る。自分が損をしない範囲で、別な言い方をすれば自分に絶対火の粉が降りかかってこない安全圏内であれば、という“条件付きでの味方”をしてくれる人は多い。だけどそうじゃないとき、私の側に立つことでご自分も返り血を受けるかもしれないのに、というときに、それでも守ってもらったことがある私は、そのときのご恩を一生忘れることができないし、その感動はいまも深く魂に刻み込まれている。私が逆の立場だとしたら、同じようにできただろうかと思うと、とてもできない。ただ心配して見守ることと、そのあと慰めたり励ましたりするくらいしかできなかったと思うから。

助けてもらった御礼を申し上げることができたこともあれば、直接申し上げることかなわずいまも胸にしまうだけのこともあるけど、どちらも私にとっては人生の最高の贈り物で、そのご恩にはどんなに言葉を尽くしても御礼の申し上げようもないほど感謝している。頂き「もの」なら「もの」でお返しできるけど、頂いたのが「心」だから、もうどうすればいいのかわからない。どんな「もの」にもかなわないし、そんな男はもとより助けたからといって恩を着せるようなことはなさらない方だから、「つるのおんがえし」のように羽を抜いて何か織って差し上げたいと思っても、受け取るどころか「そんな羽を抜くなんて、しなくていい。自分を傷付けるのはやめなさい」というようなやさしさをまた頂いてしまう。ただあなたが無事でいてくれたら、それでいいのだと。

こんなシリーズを書きたくなったのは、男気あふれる方々の素晴らしさを絶賛賛美しなきゃいられないほど素敵な男気にふれたり、また涙がでるほどのやさしさを頂いたから。姑のような意地悪イヤミに心が苛まれる日々のなか、この世には人の幸せを願う人と、人の不幸を願う人の二種類いて、気に入らない相手に嫌な思いをさせ、自分の思い通り支配しようとする環境では強烈な孤独感を味わう一方で、一歩そんな暗黒大陸を出れば相手を思いやるやさしさ温かさが普通の人たちが迎えてくれる場所があるという、二極化した世界を同時に見ている感じ。このコントラストがあまりにもハッキリしすぎていて、いいものも変なものも極端な、最上級と最下層を見せて頂いている。前にも書きましたけど(→「白と黒」)、私の場合こんな「すごくいいもの」を経験させてもらう人生だから、その代わり普通の人ならちょっとご遠慮申し上げたいような「すごくひどいの」も経験しないと、帳尻合わないのかもしれないな、とも思っている。

だけどやっぱり「すごくいいもの」は、「すごくひどいの」をチャラにしてお釣りがくるほど美しくて尊くて、幸せな気持ちで心を満たしてくれる。女の人のやさしさももちろん素晴らしくて、いつも助けてもらってるけど、女が絶対にかなわないのがこの男気の世界。包み込まれる温かさ、包容力を体感してしまうと、世界が変わってしまいますもの。

本物の男は、つよくてやさしい。
だから女は憧れ、守ってもらうことに感謝し尊敬する。
これが自然なんだと思っている。

最新の画像もっと見る

post a comment