かくれて咲く花

~凛として~

加速する8月

2011-08-02 20:22:32 | Weblog


このところ、あの「猛烈な」暑さも和らいで、8月に入ったばかりというのに「夏もそろそろ終わり」感があるほど。梅雨入り&明け、猛暑到来と、2週間くらい前倒しで訪れたぶん、カレンダーと体感している季節感が明らかに合っていない。だけどカレンダーを見なければ、毎日いろいろなことが起こり、やるべきこととやりたいことをやりながらの日々を重ねていっているだけの話で、時間の流れの感覚がこれまでとは違ってきた感じ。そしてもちろんそれは「よりいい感じ」に変わっている

最近のおべんとうで画期的なのがこちら。

     

この配色の単調さはいったいどないしたんやというくらいのグリーングリーン。しかし「画期的」なのはその色合いではなくて、なんと!!!あのズッキーニが入っておることなのですよ。これまで苦手意識が払拭できなかったのに、お料理上手なA子さんのおかげで、ズッキーニがこんなに美味しいとはと俄然開眼し、まねして作ってみたもの。シンプルに、オリーブオイルににんにく、塩こしょうで炒める。おわり。白トリュフ入りのお塩を少し付けると素晴らしく美味ということも教えてもらったので、これも近々入手したいです。この日のおべんとうはズッキーニとお茄子。あとブロッコリーにキウイ。ちょっと胃が疲れていたので、ものすごく軽めにしてみました。とはいえツナサンドがあるので、おなかの具合も程よく、ちょうどよい調整に。

元気を取り戻した翌日、そのツナサンドはカレー味に変身。

     

あんまり草食だけじゃ倒れてしまうので、買いおきの黒酢の肉団子を登場させてみました。これは近所の健康食品屋さんで売っているのですが、悪くないのでわりと気に入っています。あとオクラとエリンギのバター炒めと、ブロッコリーにプチトマト。最近のプチトマトはなにやら大ぶりで、もはや隙間調整ではなく、りっぱな存在感を示すようになってしまいました。

肉団子をかじりながら、母がよくミートボールをおべんとうに入れてくれたなあと思いだしたり。いまよりもさらに偏食だった私に、毎日おべんとうを作るのは大変だっただろうなあ・・・と思いきや、「毎日同じようなものを入れとけばいいから楽だった」とか言ってたけど。幼稚園と高校はおべんとうだった。小さい頃、母のつくった俵型のおにぎりがかわいらしくて大好きで、これまた常連のウインナーはタコさんみたいにできる?と、私がリクエストしたかもしれない。たぶん幼稚園と高校のおべんとうの内容はあんまり変わっていないはずで、当時からプチトマトは不動のレギュラーだった気がする。いまも帰省した帰りには、おべんとうを持たせてくれる。特大のおにぎり。ご飯何杯分??というくらいでっかいのを、炊きたての熱々をフーフーしながら、「むすんで」くれる。「うめ」を名乗ってるくせに梅干しが苦手なので(しょっぱすぎ)、いつも「おかか」と「こんぶ」をリクエストする。妹といつも「ママのおにぎり、でかすぎるよな」と笑うけど、だけどその巨大おにぎりには母の愛情がぎゅっと詰まっていて。ああ、最後の晩餐はやっぱり母お手製のハンバーグ(これまた大きさはアメリカのステーキ級)とおにぎりかな・・・と、おべんとうを食べながらいつも決めきれない命題(「最後の晩餐」に何を食べたいか)をつらつらと考えたり。これだけ日頃お米を食べないのに(7月は外食で2回食べただけ。どちらも鯛飯あっ、あとうなぎで3回か)、母のおにぎりなら食べたいと思うのは不思議。もしこれが単なる「お茶碗に白ご飯」なら、絶対パンを所望するけど(→そしてそのパンを何にするかでまた大議論)。

すこし前に夕刊に連載されていたジョエル・ロブション氏のインタビューで、最後の晩餐に何を食べたいかと言われても、そのとき誰と一緒に食べるのか、季節はいつか、手に入る食材は何かによって違うと答えておられて、すごく納得した。いまの時期なら、間違いなくデザートは桃やもんね。もう、桃以外考えられないくらい、桃一筋な時期。だけどもし、いちごと桃が同じ時期に旬を迎えていたりしたら一体私はどっちを選べばいいんだろう。いちごの時期はひたすらにいちごに愛を注ぎ、そしていま同じようにひたむきに桃を愛している。さくらんぼやマンゴー、柿や梨も大好きだけど、こんな一途な愛は注げない。「いよかん」もぶどうも大好き。だけど、いちごと桃は「好き」のレベルが違う。段ちで違う。もちろん帰天の時期は自分では選べないけど、最後の晩餐(フルーツ編)は、もし季節が夏なら桃、冬~春にかけてならいちごと決まっている。しかしもしいちごと桃の合間の時期(初夏~桃が出始めるまで、秋~いちごが出始めるまで)にお召しがあったら?これは悲劇やな。たとえ柿と梨とぶどうを同時に出してくれたとしても、それはそれでかなりご満悦だとは思うけど、だけどやはり「いちばん好き」なものを食べられなかったという悔いが残るに違いない。神様は食いしん坊の私の行状をよくよくご存じだと思うので、できればいちごか桃が旬なときにしてくださいとお願いしつつ
自分の人生、「好き」を基本中の基本とし、「ちょっと好き」よりも「大好き」を大切に、そして何事も「いちばん好き」を最優先にして日々過ごしていかにゃいかんとの思いを強めるのでありました

ただひたすら、「好き」に生きる。
この傾向が加速していくと、人生はさらに楽しい