かくれて咲く花

~凛として~

灼熱の東京

2011-08-09 21:22:07 | Weblog


束の間の「涼しさ(夏にしては)」はどこへやら、暦は立秋を迎えたものの、あの「猛烈な暑さ」再来。
やはり「真夏」

ちょっと“暑さの中休み”があったためか、これがかなり身体にこたえている。ジムの先生方が口酸っぱく「水分補給!!!」とおっしゃっておられるのに、ちょっと私は油断していたようで、数日前から軽くのぼせるような、喉は渇くし変な頭痛みたいなのも加わり、熱中症寸前かと思うほど、ぐったりしてしまっていた。こまめに水分補給を心がけ、通勤もペットボトルを持参し、首には冷たいのを巻き、そして夏風邪をもらわぬようマスク着用という異様ないでだち。自分の身体を維持管理するには致し方なく、この暑さの前には「やせ我慢」や「美意識」も太刀打ちできない。エアコンも適温でガンガンつけている。日頃こまめに節電するのは、エアコンを我慢しないためと私は思ってやっている。頭がぼーっとなるほどの環境で仕事をすることで仕事の質と効率が落ちては元も子もないし、具合が悪くなるほど我慢して熱中症になり病院に行く破目になっては、世の中のためによかれと思ってやったことであっても、病院に行って社会保障費を使うことになれば、結果的に国家財政にかえって迷惑をかけることになるので、よく女性にありがちな「全体的にキチキチに削る(節電自体が目的化し、“電気を使わないことが善”という価値観至上主義となり、往々にして周囲にもそのみずからの“正義”を押し付ける傾向がある)」のではなく、絶対に削ってはいけないものを死守するために節電するという、「メリハリの効いた削減(全体のなかでプライオリティを付けて、“エネルギーを合理的に効率的に使う”ことを目的とする)」を心がけたいものです。

しかし暑いわ。
「この暑さを、『暑い』ということば以外で表現せよ」との問いには、「熱い」と答えるしかない。
ジリジリと照りつける陽射しは、近年さらに強くなっていて、ビリビリと刺すような痛みを感じるほどの紫外線ことしはさすがに、朝8時の東からの朝日にも、夕方6時の西からの夕日にも、日傘必須。日が昇った頃から、既にむわ~んと吹きあがる地熱(コンクリートで地表を覆っているから、地熱とは言わないか。地表熱?)。日中外に出れば、足の裏が低温やけどしそうなほどの灼熱の世界で、まさにフライパンの上を歩くひよこ状態人工巨大都市・東京は、こうして自然の熱を増幅し、エアコンを使うために熱風をまた量産し、いよいよ熱くなるのであった・・・そら地球さんだって、「熱いわ!!!」って言うよね。「自然の暑さ」じゃないんやもの

この暑さも手伝って、最近のおべんとうも同じようなものが多くて新味はないのですが、このところ「プチトマトの巨大化」には目を見張るものがあったですね。

     <ビッグなプチトマト>
        

             ↓

     <ふつうのプチトマト>
     


何でしょう、この違いは。「プチトマト」でも「ミニトマト」でも、「ビッグな」とか「大きな」という形容詞が、固有名詞の中に存在する「プチ」「ミニ」と対立するものの、「でっかいプチトマト」としか言いようがないこの大きさ。ブロッコリーと玉ねぎを卵でチャッチャと炒めたんの隙間に・・・といっても、隙間どころかちょっとスペースを掘り起こして入れております。いやー、この子たち、めっちゃ存在感あったわ。甘くてとっても美味しかったんですけどね。ふつうサイズのが入手できたら、そうそうこれが「ひとくちサイズ」よね、と「ひとくち」感覚を再確認し、小回りのきく大きさは、やはり隙間調整には抜群の安定感を誇るのでありました。

久々にアメリカンチェリーを購入。甘くて美味しかったです。あーチェリーパイ食べたい。このところ、「パン・ド・ミーフェア」につられて、パン・ド・ミレザンを食べ過ぎて1キロプラスなので、しばらくは炭水化物は控えめに。でもデニッシュのラムレーズンは、口にするたび「生きててよかった」と心底思うほど甘美で、陶然となりました。お値段も張ったし、体型にバッチリ反映されたけど、後悔はしていない。また絞って、また食べようと決めている。何より美味しいものを食べるために、運動しているのですから

「無目的に何かをする」ということを、嬉々として行うことを私はできない。
「観念自体が目的化する」ということも、ない。日本では、そういう人の方が多いような気がするけど。