回想・・・
初恋の(はじめて付き合った)人は、同じ学校に通ってた茅ヶ崎相模線沿い在住の日米ハーフの(お父さんがアメリカ人)二つ年上の19歳の男の子(当時流行ってた、“黒服”っぽいモード系のカッコ☜肩パット入り をしてた。出逢う前の写真を見せてもらったら、パンク系だった😳 地方紙のモデルだったとか。少し腋臭っぽかったけど、その匂いも大好きだった。)(告白された後、嬉しくて、母に、はしゃいで、彼のことを話したら、「ハーフなんて許しませんよ!」(うちの家風に合わない、だっけ。。??)などと青天の霹靂的なことを言われ(母、戦争体験者だからかなぁ… 日本は、その時アメリカと戦ったわけだし… でも、その言葉を母に言われた20年後くらいに、母にはアメリカ人の鳥見のお友達ができてましたが… スーザンさんって方。よく彼女の話が話題に出てきました。)、それまでの人生で暗く沈んでた娘が、誰かに“見出された”ことをてっきり喜んでもらえると疑わずに思ってたから、すごくショックを受けた記憶… すごくナーバスになった… 当時は、携帯電話など無いので、電話ボックスで、コレクトコールで(彼がそうしてねって)、彼の家に電話して、1時間とか2時間とか話してた記憶…
1989年7月(私の誕生日の後だったような… ということは、17歳になってたかも…)に、彼に告白されて付き合い始めたのだけど、しばしの幸せな時期🎢(その時期、彼の部屋🚪や学校のスクーリング場所🌿で一緒に夏休みの宿題をやったり、彼の家のピアノ部屋で、一緒にピアノを弾いたり…🎹した想い出💫 あと、その頃ロードショー公開されてた「インディージョーンズ最後の聖戦」も一緒に観に行った🎞 ほとんど毎日会ってた。珍しく会えない日は公衆電話からお話💬💬📞)の後の急降下。一ヶ月間の怒涛のような日々の後、冷却期間を置こう…と相手に提案されたのだけど、彼と離れるのが嫌だった(考えられなかった 一回火が付いたものをどうにかする度量がその頃は無かった …今も無いかも。。。)私は、より一層ナーバスになり、もがいた末、自爆する形で終わらせてしまった記憶。。。(遠い記憶… 28年前) 師匠のKちゃん(Yさん)は、その一部始終を知っていて、側で支え、助けてくれた人👼
☝︎まだ、恋愛初期でハッピーでアッパーな時期に、ウキウキしながら読んでた憶えがある(そして、勿論意味わからず、だった。 結晶作用❄️という言葉と、何となく意味の雰囲気だけ憶えてる…)スタンダールの「恋愛論」。📖 やはり、自分、こじらせ系 & 理詰めで入るタイプ。。。こじらせ系だし、母が何か言わなくても💬、祝福してもらった🎉㊗️としても、勝手に振られるムードぷんぷん。。。 (あと、コレクトコールの件、文字として起こして気付いたけど、絶対相手の負担になってたよね。。。 フェアじゃないしね。。🙅) 「恋愛論」って、スタンダールが失恋して、“賢者モード”になった時分に書き上げた一品だったそうですが。。。(人間は愛で馬鹿になるのだから、仕方ない。。。❓☜今は落語家になった、世界のナベアツ🌏のギャグ〈☜リンク先動画有り👀〉 を憶い出したり。。。)
後で文中リンク(個人的な経験の…以下略🐙)貼ります。。。