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唐土、成王(?-前626)という王が、弟の叔虞という人と共に遊んだとき、唐土には、国の王を決めるときに、珠を作って王の印として与える習慣があったので、成王は弟の叔虞に向かって、戯れに桐の葉を切って珠を作り、
「お前にこれを授けて、この国の王に任ずる」
と言った。
後日、家来の史佚という者が、
「吉日を選んで、弟君の叔虞様を王に即位させましょう」
と言う。成王は大いに驚き、
「朕は、戯れに叔虞を王に任ずると言ったのであって、それは真意ではない」
と言ったが、史佚は、
「天子ともあろうお方が、仮にも戯れの言葉などあってはなりません」
と言って、ついに弟を即位させた。
王というのは位が貴く、臣というのは位が卑しいものであるが、道理を弁えるという点においては、いかに位が貴い者であっても、無理に臣を屈服させることなどできない。だから、天子のみならず、一家の主君たる者が、仮にも戯れ偽れば、下の者は上を疑ってしまい、何事をも信じることができず、一家は滅亡の道を辿るだろう。
だから、田子方(魏の智慧者)も、
「偽りは事の賊なり」
と言ったのである。
幽王(?-771)が燧火を上げても、天下の諸侯が集まらなかったのも(注)、みな、下を偽ったからである。
(注)幽王は、后の褒姒が笑わない女であったため、戯れに、燧火を上げて天下の諸侯を集めたところ、褒姒が大いに笑ったことに味を占め、たびたび同じことをしていたら、そのうち諸侯は集まらないようになってしまい、敵国が攻めてきたときも燧火を上げて諸侯を集めようとしたが誰も集まらず、そのまま敵に滅ぼされてしまった。
唐土、成王(?-前626)という王が、弟の叔虞という人と共に遊んだとき、唐土には、国の王を決めるときに、珠を作って王の印として与える習慣があったので、成王は弟の叔虞に向かって、戯れに桐の葉を切って珠を作り、
「お前にこれを授けて、この国の王に任ずる」
と言った。
後日、家来の史佚という者が、
「吉日を選んで、弟君の叔虞様を王に即位させましょう」
と言う。成王は大いに驚き、
「朕は、戯れに叔虞を王に任ずると言ったのであって、それは真意ではない」
と言ったが、史佚は、
「天子ともあろうお方が、仮にも戯れの言葉などあってはなりません」
と言って、ついに弟を即位させた。
王というのは位が貴く、臣というのは位が卑しいものであるが、道理を弁えるという点においては、いかに位が貴い者であっても、無理に臣を屈服させることなどできない。だから、天子のみならず、一家の主君たる者が、仮にも戯れ偽れば、下の者は上を疑ってしまい、何事をも信じることができず、一家は滅亡の道を辿るだろう。
だから、田子方(魏の智慧者)も、
「偽りは事の賊なり」
と言ったのである。
幽王(?-771)が燧火を上げても、天下の諸侯が集まらなかったのも(注)、みな、下を偽ったからである。
(注)幽王は、后の褒姒が笑わない女であったため、戯れに、燧火を上げて天下の諸侯を集めたところ、褒姒が大いに笑ったことに味を占め、たびたび同じことをしていたら、そのうち諸侯は集まらないようになってしまい、敵国が攻めてきたときも燧火を上げて諸侯を集めようとしたが誰も集まらず、そのまま敵に滅ぼされてしまった。