続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

軽犯罪法第1条第20号・ファッションか、破廉恥か、文化的相違か

2010-10-29 | 法学講座
ご訪問ありがとうございます→にほんブログ村 科学ブログ 人文・社会科学へ←ポチっと押してください

軽犯罪法第1条
 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
第20号
 公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者


 露出したのが、身体の怪しからん部分であった場合は、刑法第174条「公然わいせつ」の罪に問われますが、そこまでいかなくても、軽犯罪法では、尻や腿でさえも、露出したら罪になる、と規定されています。

 ただし、「公衆にけん悪の情を催させるような仕方」でなければ良いわけで、ファッションの一部と認識されれば、「公衆にけん悪の情」を催させたということにはなりません。
 また、海水浴場やプールでは、水着でいるのが当たり前ですから、当たり前のことに対して「けん悪の情」ということはあり得ません。

 もっともそのような光景、男性諸兄にとっては、「けん悪の情」どころか大歓迎でしょうが、法律は、あくまで紳士淑女の良識が前提ですので、その点は、お履き違えなく。

 さて、40歳代後半の私から見て、最近、若い女性の服装は乱れていると感じます。

 ローライズから下着(「見せパン」と言うのですか)がのぞいていたり、肩口からブラジャーの紐が出ていたり、短いシャツの裾が切れてウエストが見えているなどは、もうあたりまえです。
 しかし、私の感覚から言えば、他人様に下着を見せるというのは失礼なことで、さらに、女性が不必要に肌を露わにするのは、恥ずべきことと認識しています。

 と言うと、諸兄からは、「女性の肌が露わになるのなら、遠慮なく拝めばいいじゃないか。何を反対するようなこと言っているんだ」という声が聞こえてきそうですね。
 ・・・とんでもない。私は一言も反対とは言っていません。
 ええ、言うわけがありませんとも。はい。

 今の若い女性のファッションは、私やご同輩から見れば、目のやり場に困るもので、おそらく私と同世代の方々の感覚は、私と大差ないでしょう。
 あるオジサンが、見かねて、若い子に、「パンツが見えているよ」と注意したら、「それがどうかしましたか」という返事だったそうです。

 しかし私より若い世代は、そのファッションがあたりまえですから、見せるほうにも羞恥心はあまりないらしく、見ているほうも目のやり場に困ることはないようです。

 逆に私より上の世代は、私たちよりもっと保守的な感覚で、私たちが若者だった頃、
「最近の若者は髪型や服装が乱れている」
という言葉を聞かされたものです。
 特に、女性のスカート丈がどんどん短くなっていく風潮は、「嘆かわしい」と映ったようです。

 さらに遡ると、アメリカでは、映画の黎明期にエジソンが、スカートの裾が風に煽られ、女性の脚がチラリと見える映画を作ったところ、「いたずらに欲望を刺激する、このような映画を作るとは何事か。恥を知りなさい」と、抗議してきた紳士がいました。
 また、1960年代にミニスカートが流行りだした頃、新聞は、「彼女らのスカートの裾は、彼女らが持つべき慎みの位置より高くなっている」と批評しました。
 現代のアメリカからは想像もできませんが、その時代は、きっとそういう感覚だったのでしょう。

 アラブの国々では、唇が女性器を連想させるから、ということで、女性は顔さえもすっぽり隠して、目だけしか出していません。
 正反対に未開の国では、男性はもちろん、女性でさえも、胸や尻を露わにして、裸でいるのがあたりまえの部族もあります。

 今、文明国でそんなことをすれば、大騒ぎになり、性犯罪が多発し、収拾がつかなくなってしまうでしょうが、では、その部族の男性が、四六時中欲望に駆られて、まともに社会が成り立っていないかというと、そんなことはありません。

 日差しが強く暑いのは、アラブの国も、裸族の村も同じはずですが。
 我々が裸族を見るのと、アラブ人の男性が我が国の女性を見るのとは、もしかしたら同じ感覚でしょうか。

 こうした例を並べてみると、肌の露出度をどう思うか、肌を露わにする羞恥心の程度がどれくらいか、というのは、単なる文化的な違いでしかないようです。
 そうであれば、文化は時代や国・場所によって違うのが当然で、どちらが良い・悪いといった話ではありませんから、ある文化に属する人が、他の文化に属する人を批判するべきではありません。

 エジソンに抗議した紳士でさえも、裸族の文化に対して、「服を着なさい」などとは批判しないでしょう。

 世代間の文化的相違についても同様で、オジサンが若い子に「パンツが見えているよ」などと注意するのは、オジサンとしては当然であらざることを注意したつもりが、若い子にとっては当然のことを言われたに過ぎないわけですから、これは、大きなお世話だと言われても仕方ありません。

 若い女性が、自分の肉体的な魅力を表現するのは当然のことです。
 ただし男性が、それを魅力的ととるか、破廉恥ととるかは、男性側の文化的背景によります。
 男性と女性の、お互いの文化的背景が合致したところで、お互いに好感を持つわけですから、「お互い」以外の他人が批判するべきことではなさそうです。

 さてさて諸兄、結論です。
 少なくとも、いらぬ世話を焼いて、痴漢やセクハラ呼ばわりされることだけは、避けましょうね。
 図らずもそのような姿の女性を見かけて、こちらが恥ずかしさのあまり思わず顔を伏せてしまっても、視線だけは外さなければいいじゃないですか・・・私のように・・・

 オジサンはズルいのさ。

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
賛成票 (あくび)
2010-12-06 01:52:21
初めて拝見してコメントします。

私は20代終盤男性ですが、全ての部分でエヌ氏さんのご意見に賛成でした。より正確には賛成と言うより「納得がいく」といったところでしょうか。

スカートの短さは社会的な流行が引き金になって変わっているように感じますが、流行から反映までがごく短く、短慮な気がしてしまって、更にはあまりにも広くに浸透していて、なんだか刹那的です。

古くはトゥイッギーでしょうが、20年頃前のディスコブーム時、数年後の「アムラー流行時」と続いたようで、当時は小中学生だった私の目にも女性の服装の変化がはっきりと見えました。同時に下着も(目をこらして)見(え)ましたが・・・
最近ではローライズのジーンズや、ホットパンツ流行りが記憶に新しいところですが、競って肌を露出してるようで、何か、女性からのメタメッセージを拾わないといけないのでしょうか(笑)。

見えることで不快は感じませんが、目のやり場に困るとはまさにその通りで、どれを見ようか迷・・・いや、見ているこちらが恥ずかしくなることも多々あります。
それに何よりも気になるのが、それらが扇情的で、性犯罪を誘引してるだろうことでしょうか。これが何よりも問題で、ある程度の所ではっきりと線引きをしておかないと「ファッションだから」が詭弁ではなくなってしまい、じきに治安や風紀の乱れに収拾が付かなくなりそうな不安を覚えます。

先日、東京都心のファミレスを使った時のこと。近くの席から大きな声で「おしっこしてくる。」と聞こえ、声のする方を探すと、派手さを顕示するかのような、過激な露出の・・・20歳くらいかな?の女性が席を立って歩き出すのが見えました。
穿った見方をすれば、トイレの中にまで見知らぬ人(男性)が来ても、恥じらいを覚えないんじゃないかというくらいの身なりでした。
私個人の好みでは、慎ましく淑やかな女性が好きです。

長々と恐縮です。
返信する
コメントありがとうございます (エヌ氏)
2010-12-06 12:27:29
 丁寧なコメントを頂戴いたしまして、ありがとうございます。
 拝読いたしましたが、お若いのにトゥイッギーをご存知とは、博識ですね。

 男性の本音としては、女性の肌が見えれば嬉しいものですが、それなら、しかるべき「遊び場」にでも行けばいいことで、「遊び場」ではない街中で、そのような光景を目にしたら、大人の紳士としては、眉をひそめるのが、節度ある振舞いでしょうね。(目だけはしっかり見開きながら・・・)

 ただ、私が若い頃、もし格闘技選手のような筋肉隆々の肉体を持っていたら、それを魅力として女性にアピールしたかもしれませんから、若い女性が同様に、顔の美しさや肉体的な魅力を表現することも、一概に悪いとは言い切れません。
 しかしそれも程度もので、現代の風潮は、その程度が、やや度を越しているように見受けられます。

 駄文中には、「私より若い世代は、そのファッションがあたりまえですから、見せるほうにも羞恥心はあまりないらしく、見ているほうも目のやり場に困ることはないようです」と書きましたが、あくびさんのご意見を伺っていると、男性が目のやり場に困るのは、年代には関係ないようで、これは私の思い込みに過ぎなかったようです。

 私も街中で、スカートの女性が、あらぬ格好でしゃがんでいるのを見かけたことがあります。(白色でした。・・・いや、どうでもいいですが)
 幼稚園児ならともかく、いい大人がそんな格好をしていたわけですが、考えてみると、その女性は、幼稚園児並みの羞恥心しか持ち合わせていなかったのかなあ、とも思います。

 まあ、男性とはそういう生き物ですから、「目のやり場に困るとはまさにその通りで、どれを見ようか迷・・・」という本音には、まことにもって同感です。
 余談ですが、私は、一人のパンツの模様を確かめたら、次の・・・いや、「節度」がなくなってしまうので、止めておきましょう。

 思うにこの風潮は、テレビに出てくる女性タレントが、露わな服装で、肉体的な魅力を前面に出してきている影響でしょうが、タレントさんは、「人様に見られてナンボ」の商売ですから、それをタレントでもない一般人が過度に真似をしては、魅力的どころか、かえって滑稽に映ります。
 私も、あくびさんの仰る、「流行から反映までがごく短く、短慮な気がしてしまって、更にはあまりにも広くに浸透していて、なんだか刹那的」ということを感じていましたが、これには、上記のようにテレビの影響という点が、多々あるのではないかと思います。もっとも、これはファッションだけに限りませんが。

 さて、性犯罪について、たとえば強姦事件などでは、被害者女性の服装が、加害者の性欲を煽るものであったら、「被害者の方だって『軽犯罪法』にあるとおり、胸や腿、その他身体の一部分を露出するような格好をしていたじゃないか」として、被害者のほうにもある程度の非がある(過失の相殺)と認定される場合もあります。

 また、被害者女性の性的な言動や羞恥心の程度も考慮されますから、あくびさんが目にした「ファミレスの女性」のような服装や言動は、性犯罪の被害者となったら、被害者にも犯罪を誘発した一因がある、と受け止められるおそれさえあります。
 もしそうなったら、加害者の刑が軽くなってしまう可能性もありますから、女性にとっては、非常に危険です。

 この点は、今、歌舞伎役者の市川海老蔵暴行事件が世間を賑わせていますが、もし、市川氏が加害者を挑発していたのなら、「なんだ、海老蔵も悪いじゃないか」と言われるのと同じですね。

 公然わいせつはれっきとした犯罪で論外ですが、その、「ある程度の所ではっきりと線引きを」ということの参考として、軽犯罪法第1条第20号が、だいたいの良識の線だと認識し、親がしっかり躾をしなければいけませんね。

 いずれにせよ、だらしない服装の女性にはだらしない男性が寄ってきて、しっかりした服装の女性にはしっかりした男性が寄ってくる、それが、駄文中の「男性と女性の、お互いの文化的背景が合致したところで、お互いに好感を持つ」というです。
 他人が干渉するべきことではないと言えばそれまでですが、あくびさんも私も、良識を「ある程度」以上に保っている誇りを、忘れたくはないですね。

 私の妻もほぼ同意見で、街でそのような女性を見かけては、「あれはパンパンだね」などと言っております。(パンパンの意味は・・・ご存知でしたら蛇足になりますが、下記をご参照ください)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%B3
 また、ローライズ真っ盛りの昨今、妻は、「どこを探しても、私の着る服がない」と嘆いております。

 このページの下のほうに、客を待つパンパンの絵が載っていますが、服装だけ見ると、現代の女性のほうが、よっぽど「慎みのない」服装をしている方が多いと思いますが、いかがでしょう?
http://www.fujinsha.co.jp/books/makka.html

 ところで、お歳からして、70年代後半に国民的アイドルだった女性デュオの「ピンク・レディー」はご存知ないでしょうか?
 そのヒット曲に「S・O・S」というのがあり、「男は狼だから慎みなさい」という内容の歌詞です。
http://www.youtube.com/watch?v=gbsqa59Ls9A&fmt=18
 70年代後半頃までは、まだこのあたりが「良識」ラインだったのですね。

 このアンサーソングに、岡林信康の「新説S・O・S」というのがあり、男性の性衝動について語っています。
http://www.youtube.com/watch?v=TYy58itsRCQ&fmt=18
 歌詞を対比すると面白いので、よかったらどうぞ。

 蛇足ついでに、岡林信康氏について弁護すると、彼は決しておふざけのコミックソング屋ではなく、反戦、貧困、差別など社会問題をテーマにした歌を多く手がけ、「フォークソングの神様」とまで讃えられた方です。が、それだけに、出す曲出す曲、片っ端から放送禁止にされていますが。

 長々と返事して、お節介にも懐メロまで紹介して、ご退屈さまでした。
 よかったら、これに懲りず、他の記事でも結構ですので、またご意見を拝聴したいと思いますので、よろしくお願いします。
返信する
同意 (888)
2012-10-06 11:34:11
ミニスカート、ホットパンツ、
ピッチリジーンズ、ピアス
ブーツ、へそ出しなど、挑発的
なファッションをした若い女性
が多く、嫌気がさします。
このようなセクシーなファション
は社会の風紀を乱します。
罰金を課すようにしてもらいたい。
返信する
法と倫理は別物なので (エヌ氏)
2012-10-07 21:57:08
 888さん、コメントをありがとうございます。
 前にコメントをいただいた「あくび」さん同様、現代の風潮に嫌気がさしている気持ちは、よくわかります。

 さて、露出に対して罰金を課すことは、現在の軽犯罪法でも可能です。
 ただし、その第20号にあるとおり、「けん悪の情」を催させたかどうかが争点になります。
 法律の適用は相対的なものですから、海水浴場での服装と、街中での服装、あらたまった場での服装には、当然、違いがありますし、そうした場所場所で、どの程度の露出を、どの程度の割合の人々が「けん悪」の情を催すか、といった、かなり流動的な尺度で測ることになりますが、現代の風潮では、街中で見かける程度の、女性の服装は、許容範囲ということになるでしょう。

 ただ、それを各個人がどう感じるかは、各個人の自由意志です。

 早い話が、羞恥心の持ち合わせが少ない女性には、それが目当ての男性が言い寄ってくるでしょうし、持ち合わせが多い女性には、それ以外が目当ての、888さんのような方が似合うはずです。

 つまり彼女たちには、「罰則」という網が適用されるのではなく、「言い寄ってくる男性の質」という網が適用されるわけです。

 法律の罰則が適用されるのは、確かに厳しいことですが、法律以外の、「社会の罰則」や「しっぺ返し」といったものは、形はないけれど、もっと厳しい罰となって、自分自身の身に降りかかってきます。

 服装は自由です。しかし自由の裏側には、必ず責任があります。そしてその責任は、最終的にすべて自身が負わなければなりません。

 「自由」ほど厳しいものはないのです。
 私はそれで十分だと思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。