続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

民法第752条 同居、協力及び扶助の義務

2010-09-25 | 法学講座
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民法第752条
 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。


法律で、「~しなければならない」と書いてある場合と、「~することができる」と書いてある場合の違いはご存知でしょうか?

 前者「~しなければならない」は、必ずそうする義務があり、もし、そうしなかったならば、それは法律違反だぞ、という、強制的な力を持つ規定です。
 これに対して後者「~することができる」は、必ずしもそうする義務はなく、しても良いし、しなくても良い、どちらか好きなほうを、状況によって柔軟に選択してよろしい、という規定です。

 さて、民法第752条はというと、「~しなければならない」と書かれています。
 何を「しなければならない」のかと言うと、「同居し、互いに協力し扶助」を「しなければならない」のであり、「同居」していなかったり、「互いに協力し扶助」していなければ、それは法律違反だぞ、ということになります。

 夫婦が「しなければならない」ことは、他にも、まあいろいろとありますが・・・こりゃ失礼。

 企業戦士の中には、妻子を郷里に残し、単身赴任している方が大勢います。数週間程度の、長めの出張であれば、単なる一時的な別居であり、基本的には同居していると考えてもいいでしょう。
 しかし数ヶ月から数年にわたる単身赴任や、あるいは、そうしたことを何度も繰り返しているとしたら、これはもはや「同居」しているとは言い難い状況です。
 また、「協力と扶助」にしても、扶助はまあ、給与が振り込まれたり、仕送りをしたりで、半分ぐらいは形になっていますが、家事や育児には協力したくてもできないでしょう。

 このような状況、民法第752条に違反していると思いませんか?

 たいていの夫婦は、一緒に住み、一緒に子供を育て、病気のときは援けあい、困ったことは互いに相談し、そうやって生活していくものです。
 それが、会社の命令によって単身赴任をし、別居を余儀なくされるというのは、会社が民法752条に違反することを命じているのと同じです。
 一見、単身赴任が本人の意思であるかのような場合でも、実は、そうしなければ後々出世に響くとか、考課に影響があるなど、自由な選択は妨げられており、事実上、半強制と言ってよく、本人の意思を装っている分、巧妙かつ狡猾です。

 単身赴任者には、単身赴任手当や帰郷手当を支給したり、通常の有給休暇とは別の休暇を与えたりと、便宜を図っている会社もありますが、不便を強いている以上、それを補うのは当然のことで、そんなことは特別な便宜でも何でもありません。

 結局、最後まで残るのは、会社が法律違反を命じた、ないし事実上命じた、ということです。
 法律違反を命じられ、仮にそれを拒否したら、不利益な取り扱いを受ける、最悪、業務命令に従わなかったということで解雇される、というのは、どう考えても納得できません。
 単身赴任が世間であまりにも一般的に行われすぎているため、会社が単身赴任を命じ、社員は粛々とそれに従う、という構図に誰も疑問を持ちませんが、よく考えると、述べてきたように、これは法律違反という、許すべからざる反社会的な行為なのです。

 民法にわざわざ書くまでもないことですが、夫婦が恒常的に、同居や相互協力・扶助をしていなければ、これははなはだ不便なことであり、不便で済めばまだいい方で、さまざまな不幸を招いてしまう原因にもなり得ます。

 私が以前勤めていたところの所長は単身赴任でしたが、赴任後1年ほどで胃を悪くし、とうとう手術を受ける羽目になってしまいました。手術後、奥さんは、「私がついてさえいれば(きちんとした生活をさせ)夫をこんな目に遭わせなくてもよかったのに」と悔やまれたそうです。
 この例も、原因は所長自身の、飲酒や食生活の乱れなど、個人的な要因に帰結してしまいますが、もし、単身赴任でなかったなら、あるいは奥さんが悔やむこともなかったかも知れません。

 この他、夫婦双方の経済的、精神的、肉体的な負担、子供の教育、そして夫婦・親子間の絆など、どれをとってみても、良いことなどひとつもありません。

 夫婦の同居や相互協力・扶助に限らず、世事一般、本来そうあるべきものはそうあるべきで、止むを得ずそうあらざる場合には、速やかに本来の姿へと戻さなくてはなりませんし、まして、本来でない方が当たり前であるかのような状態は、これこそまさしく本末転倒です。
 なぜそのような本末転倒が罷り通っているかと言えば、本末を転倒させておいたほうが都合の良い者の策略に他なりません。

 家族は最小単位の社会です。大きな社会は、一体何を追い求めるために、最小単位の社会さえをも分裂させるのでしょうか。それほど価値のあるものなのでしょうか。

 単身赴任中の方。
 あなたが家族にとって、単なる金蔓にまで成り下がる前に、取り戻すべきものがあるのではありませんか?

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