門, 夏目漱石, 新潮文庫 な-1-6(45), 1948年
・枯れた空気の中で暮す、過去に秘密を持った夫婦の日常。
・『バケツ→馬尻』の当て字にビックリ&ナルホド。調べてみると漱石オリジナルの有名な当て字だとか。
・『禅』に興味を覚えた。
・「宗助は先刻(さっき)から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいてみたが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつく程の上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肘枕をして軒から上を見上ると、奇麗な空が一面に青く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の窮屈な寸法に較べてみると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩くり空を見るだけでも大分違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日を小時(しばらく)見詰めていたが、眩(まぼ)しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。生じの中では細君が裁縫をしている。」p.5 「小説家になるのはあきらめよう」 もし小説家を志していたとしたら、そう思ってしまいそうな書き出し。志望を成就するにはこれを読んで尚、書き続けるだけの強い意思が必要か。
・「「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。 「何故」 「何故って、幾何(いくら)容易(やさし)い字でも、こりゃ変だと思って疑り出すと分からなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った様な気がする。仕舞には見れば見る程今らしくなくなって来る。――御前そんな事を経験した事はないかい」 「まさか」」p.7
・「やがて日が暮れた。昼間からあまり車の音を聞かない町内は、宵の口から寂(しん)としていた。夫婦は例の通り洋燈(らんぷ)の下に寄った。広い世の中で、自分達の坐っている所だけが明るく思われた。そうしてこの明るい灯影に、宗助は御米だけを、御米は宗助だけを意識して、洋燈の力の届かない暗い社会は忘れていた。彼等は毎晩こう暮らして行く裡(うち)に、自分達の生命を見出していたのである。」p.62
・「彼等は、日常の必要品を供給する以上の意味に於て、社会の存在を殆んど認めていなかった。彼等に取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼等にはまた充分であった。彼等は山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。」p.137
・「彼等の生活は広さを失うと同時に、深さを増して来た。彼等は六年間の間世間に散漫な交渉を求めなかった代りに、同じ六年の歳月を挙げて、互の胸を堀り出した。彼等の命は、いつの間にか互の底にまで喰い入った。二人は世間から見れば依然として二人であった。けれども互から云えば、道義上切り離す事の出来ない一つの有機体になった。二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合って出来上っていた。彼等は大きな水盤の表に滴たった二点の油の様なものであった。水を弾いて二つが一所に集まったと云うよりも、水に弾かれた勢で、丸く寄り添った結果、離れる事が出来なくなったと評する方が適当であった。」p.138
・「彼から云うと所謂公案なるものの性質が、如何にも自分の現在と縁の遠いような気がしてならなかった。自分は今腹痛で悩んでいる。その腹痛という訴えを抱いて来てみると、豈計(あにはか)らんや、その対症療法として、むずかしい数学の問題を出して、まあこれでも考えたら可かろうと云われたと一般であった。考えろと云われれば、考えないでもないが、それは一応腹痛が治まってからの事でなくては無理であった。」p.190
・「書物を読むのは極悪う御座います。有体に云うと、読書程修行の妨げになるものは無い様です。」p.193
・「食後三人は囲炉裏の傍でしばらく話した。その時居士は、自分が座禅をしながら、何時か気が付かずにうとうとと眠ってしまっていて、はっと正気に帰る間際に、おや悟ったなと喜ぶことがあるが、さて愈(いよいよ)眼を開いてみると、やっぱり元の通りの自分なので失望するばかりだと云って、宗助を笑わした。」p.195
・「この面前に気力なく坐った宗助の、口にした言葉はただ一句で尽きた。 「もっと、ぎろりとした所を持って来なければ駄目だ」と忽ち云われた。「その位な事は少し学問をしたものなら誰でも云える」 宗助は喪家の犬の如く室中を退いた。後に鈴を振る音が烈しく響いた。」p.200
・「「決して損になる気遣は御座いません。十分坐れば、十分の功があり、二十分坐れば二十分の徳があるのは無論です。その上最初を一つ奇麗に打(ぶ)ち抜いて置けば、あとはこう云う風に始終此処に御出でにならないでもすみますから」」p.202
・「「いえ信念さえあれば誰でも悟れます」と宜道は躊躇もなく答えた。「法華の凝り固まりが夢中に太鼓を叩く様に遣って御覧なさい。頭の巓辺(てっぺん)から足の爪先までが悉く公案で充実したとき、俄然として新天地が現前するので御座います」」p.206
・「自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲(たた)いても遂に顔さえ出してくれなかった。ただ、 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞こえただけであった。」p.208
●以下、解説(柄谷行人)より
・「重要なのは、作品において三角関係がどのようにとらえられたかという点にある。『それから』とちがって、『門』の場合は、三角関係の把握は、「愛」または人間の「関係」はもともと三角関係としてあるのではないかと感じさせる程度に深化している。」p.227
・「われわれがある女(または男)を熱情的に欲するのは、彼女(または彼)が第三者によって欲せられているときである。もちろん、三角関係として顕在化しない場合ですら、恋愛はそのような構造をもつ。」p.228
?じんぜん【荏苒】 Ⅰ 歳月のめぐりゆくさま。また、物事がのびのびになるさま。延引。 Ⅱ 歳月が経過するさま。のびのびになるさま。「荏苒日を過ごす」
?しま【揣摩】(「揣」は情をはかる、「摩」は意を推す意)事情を、こうだろうと推測すること。「揣摩憶測」
・枯れた空気の中で暮す、過去に秘密を持った夫婦の日常。
・『バケツ→馬尻』の当て字にビックリ&ナルホド。調べてみると漱石オリジナルの有名な当て字だとか。
・『禅』に興味を覚えた。
・「宗助は先刻(さっき)から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいてみたが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつく程の上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肘枕をして軒から上を見上ると、奇麗な空が一面に青く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の窮屈な寸法に較べてみると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩くり空を見るだけでも大分違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日を小時(しばらく)見詰めていたが、眩(まぼ)しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。生じの中では細君が裁縫をしている。」p.5 「小説家になるのはあきらめよう」 もし小説家を志していたとしたら、そう思ってしまいそうな書き出し。志望を成就するにはこれを読んで尚、書き続けるだけの強い意思が必要か。
・「「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。 「何故」 「何故って、幾何(いくら)容易(やさし)い字でも、こりゃ変だと思って疑り出すと分からなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った様な気がする。仕舞には見れば見る程今らしくなくなって来る。――御前そんな事を経験した事はないかい」 「まさか」」p.7
・「やがて日が暮れた。昼間からあまり車の音を聞かない町内は、宵の口から寂(しん)としていた。夫婦は例の通り洋燈(らんぷ)の下に寄った。広い世の中で、自分達の坐っている所だけが明るく思われた。そうしてこの明るい灯影に、宗助は御米だけを、御米は宗助だけを意識して、洋燈の力の届かない暗い社会は忘れていた。彼等は毎晩こう暮らして行く裡(うち)に、自分達の生命を見出していたのである。」p.62
・「彼等は、日常の必要品を供給する以上の意味に於て、社会の存在を殆んど認めていなかった。彼等に取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼等にはまた充分であった。彼等は山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。」p.137
・「彼等の生活は広さを失うと同時に、深さを増して来た。彼等は六年間の間世間に散漫な交渉を求めなかった代りに、同じ六年の歳月を挙げて、互の胸を堀り出した。彼等の命は、いつの間にか互の底にまで喰い入った。二人は世間から見れば依然として二人であった。けれども互から云えば、道義上切り離す事の出来ない一つの有機体になった。二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合って出来上っていた。彼等は大きな水盤の表に滴たった二点の油の様なものであった。水を弾いて二つが一所に集まったと云うよりも、水に弾かれた勢で、丸く寄り添った結果、離れる事が出来なくなったと評する方が適当であった。」p.138
・「彼から云うと所謂公案なるものの性質が、如何にも自分の現在と縁の遠いような気がしてならなかった。自分は今腹痛で悩んでいる。その腹痛という訴えを抱いて来てみると、豈計(あにはか)らんや、その対症療法として、むずかしい数学の問題を出して、まあこれでも考えたら可かろうと云われたと一般であった。考えろと云われれば、考えないでもないが、それは一応腹痛が治まってからの事でなくては無理であった。」p.190
・「書物を読むのは極悪う御座います。有体に云うと、読書程修行の妨げになるものは無い様です。」p.193
・「食後三人は囲炉裏の傍でしばらく話した。その時居士は、自分が座禅をしながら、何時か気が付かずにうとうとと眠ってしまっていて、はっと正気に帰る間際に、おや悟ったなと喜ぶことがあるが、さて愈(いよいよ)眼を開いてみると、やっぱり元の通りの自分なので失望するばかりだと云って、宗助を笑わした。」p.195
・「この面前に気力なく坐った宗助の、口にした言葉はただ一句で尽きた。 「もっと、ぎろりとした所を持って来なければ駄目だ」と忽ち云われた。「その位な事は少し学問をしたものなら誰でも云える」 宗助は喪家の犬の如く室中を退いた。後に鈴を振る音が烈しく響いた。」p.200
・「「決して損になる気遣は御座いません。十分坐れば、十分の功があり、二十分坐れば二十分の徳があるのは無論です。その上最初を一つ奇麗に打(ぶ)ち抜いて置けば、あとはこう云う風に始終此処に御出でにならないでもすみますから」」p.202
・「「いえ信念さえあれば誰でも悟れます」と宜道は躊躇もなく答えた。「法華の凝り固まりが夢中に太鼓を叩く様に遣って御覧なさい。頭の巓辺(てっぺん)から足の爪先までが悉く公案で充実したとき、俄然として新天地が現前するので御座います」」p.206
・「自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲(たた)いても遂に顔さえ出してくれなかった。ただ、 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞こえただけであった。」p.208
●以下、解説(柄谷行人)より
・「重要なのは、作品において三角関係がどのようにとらえられたかという点にある。『それから』とちがって、『門』の場合は、三角関係の把握は、「愛」または人間の「関係」はもともと三角関係としてあるのではないかと感じさせる程度に深化している。」p.227
・「われわれがある女(または男)を熱情的に欲するのは、彼女(または彼)が第三者によって欲せられているときである。もちろん、三角関係として顕在化しない場合ですら、恋愛はそのような構造をもつ。」p.228
?じんぜん【荏苒】 Ⅰ 歳月のめぐりゆくさま。また、物事がのびのびになるさま。延引。 Ⅱ 歳月が経過するさま。のびのびになるさま。「荏苒日を過ごす」
?しま【揣摩】(「揣」は情をはかる、「摩」は意を推す意)事情を、こうだろうと推測すること。「揣摩憶測」