3月27~29日に香川を訪問しました。
まず新幹線と本四連絡橋を経由して高松に入り、その日は高松泊。翌日は琴平神社を経由して祖谷渓谷のかずら橋付近に泊まります。そして3日目、高松空港から飛行機で帰ってきました。
1日目は昼頃に高松に着きました。その日は屋島を訪問することにしていたので、お昼は屋島の近くのうどん屋「わら屋」に決めています。
わら屋は、昔は香川で「西の何とか、東のわら屋」と呼ばれていたようです。現在は地元の人にはさほどの人気はないようですが、それでも2006年のランキングで堂々の16位に入っています。
高松市内からタクシーに乗り、東方面にしばらく走ると、左に屋島の山(てっぺんが平坦な山)が見えてきます。その屋島の麓にわら屋があります。古民家を移築した建物らしいのですが、外観を撮るのを忘れてました。こちらを見てください。
わら屋 店内(左) うどん場(右)
この店は、釜あげうどんで有名です。普通うどんは、茹でた後に冷水で締めます。そうしないと、急速に味が落ちるそうです。
それに対し釜あげうどんは、茹でた後に締めません。そして、ゆでたてを食するのです。ゆで汁に入ったまま、熱いうどんが運ばれてきます。このうどんをだし(めんつゆ)につけて食べます。
釜あげうどん(てんぷら)
ここの名物は、たらいに入って出てくる家族うどんだそうです。釜あげうどんが12玉入っているようですが、我が家族3人ではとても食べきれません。それぞれが普通の釜あげうどんあるいは大盛りを頼みました。
わら屋には、釜あげうどんの他にざるうどん、生醤油うどんもあります。
釜あげうどんは、茹でたてでしか食べられないので、普通は釜あげに限って注文してから余計に時間がかかります。ところがここわら屋では、もちろん釜あげうどんは注文してから時間がかかるのですが、ざるうどんはもっと時間がかかるのです。おそらく、この店は釜あげ専門店なので、茹でて締めて作り置きをすることがないのでしょう。ざるであっても、注文を受けてから茹で、そして冷水で締めるので、釜揚げよりも時間がかかるということのようです。
屋島のてっぺんには、タクシーで行く予定にしていました。しかしうどんでおなかがいっぱいになったこともあり、歩いて登ることにしました。わら屋からすぐに登ることのできる道はないようです。店の人に聞いたところ、ここから一般道をしばらく西に進んだところに、登り口があるようです。
あれこれ迷いながら、登り口に到着しました。池の向こうに屋島が見えます。頂上が平で、不思議な形をしています。
屋島登り口付近から屋島を見る
四国八十八箇所第84番霊場の屋島寺 屋島の展望台から
高松市内からわら屋へ向かうタクシーの中で、運転手さんが話してくれたのですが、屋島の中腹にぽつんと青色シートをかぶせた場所が小さく見えます。それは、1300年前、日本書紀に書かれていた遺構が、つい最近発見された、ということでした。詳しくは、ウィキペディアによると以下の通りです。
「天智天皇の命で、白村江の戦い敗戦後の667年に古代山城の屋嶋城(やしまのき)を築いたと日本書紀に記述がある。これは、唐・新羅の日本侵攻を恐れてのことである。同時期には対馬-博多-瀬戸内の海上防衛線に沿って30近い砦城が構築されている。古代山城屋嶋城は長期間その存在が不明であったが、2000年ころ地元研究家の平岡岩夫氏らがその遺構石塁を発見・確認し、現在はその復元が進められている。」
また屋島は、那須与一が扇の的を射た古戦場として有名ですが、そちらについては特にゆかりの地を見ることはできませんでした。
ところで、高松は自転車王国です。大きな道路には、下の写真のように自転車専用レーンが設けられています。
高松市内 自転車専用レーン(右側)
まず新幹線と本四連絡橋を経由して高松に入り、その日は高松泊。翌日は琴平神社を経由して祖谷渓谷のかずら橋付近に泊まります。そして3日目、高松空港から飛行機で帰ってきました。
1日目は昼頃に高松に着きました。その日は屋島を訪問することにしていたので、お昼は屋島の近くのうどん屋「わら屋」に決めています。
わら屋は、昔は香川で「西の何とか、東のわら屋」と呼ばれていたようです。現在は地元の人にはさほどの人気はないようですが、それでも2006年のランキングで堂々の16位に入っています。
高松市内からタクシーに乗り、東方面にしばらく走ると、左に屋島の山(てっぺんが平坦な山)が見えてきます。その屋島の麓にわら屋があります。古民家を移築した建物らしいのですが、外観を撮るのを忘れてました。こちらを見てください。
わら屋 店内(左) うどん場(右)
この店は、釜あげうどんで有名です。普通うどんは、茹でた後に冷水で締めます。そうしないと、急速に味が落ちるそうです。
それに対し釜あげうどんは、茹でた後に締めません。そして、ゆでたてを食するのです。ゆで汁に入ったまま、熱いうどんが運ばれてきます。このうどんをだし(めんつゆ)につけて食べます。
釜あげうどん(てんぷら)
ここの名物は、たらいに入って出てくる家族うどんだそうです。釜あげうどんが12玉入っているようですが、我が家族3人ではとても食べきれません。それぞれが普通の釜あげうどんあるいは大盛りを頼みました。
わら屋には、釜あげうどんの他にざるうどん、生醤油うどんもあります。
釜あげうどんは、茹でたてでしか食べられないので、普通は釜あげに限って注文してから余計に時間がかかります。ところがここわら屋では、もちろん釜あげうどんは注文してから時間がかかるのですが、ざるうどんはもっと時間がかかるのです。おそらく、この店は釜あげ専門店なので、茹でて締めて作り置きをすることがないのでしょう。ざるであっても、注文を受けてから茹で、そして冷水で締めるので、釜揚げよりも時間がかかるということのようです。
屋島のてっぺんには、タクシーで行く予定にしていました。しかしうどんでおなかがいっぱいになったこともあり、歩いて登ることにしました。わら屋からすぐに登ることのできる道はないようです。店の人に聞いたところ、ここから一般道をしばらく西に進んだところに、登り口があるようです。
あれこれ迷いながら、登り口に到着しました。池の向こうに屋島が見えます。頂上が平で、不思議な形をしています。
屋島登り口付近から屋島を見る
四国八十八箇所第84番霊場の屋島寺 屋島の展望台から
高松市内からわら屋へ向かうタクシーの中で、運転手さんが話してくれたのですが、屋島の中腹にぽつんと青色シートをかぶせた場所が小さく見えます。それは、1300年前、日本書紀に書かれていた遺構が、つい最近発見された、ということでした。詳しくは、ウィキペディアによると以下の通りです。
「天智天皇の命で、白村江の戦い敗戦後の667年に古代山城の屋嶋城(やしまのき)を築いたと日本書紀に記述がある。これは、唐・新羅の日本侵攻を恐れてのことである。同時期には対馬-博多-瀬戸内の海上防衛線に沿って30近い砦城が構築されている。古代山城屋嶋城は長期間その存在が不明であったが、2000年ころ地元研究家の平岡岩夫氏らがその遺構石塁を発見・確認し、現在はその復元が進められている。」
また屋島は、那須与一が扇の的を射た古戦場として有名ですが、そちらについては特にゆかりの地を見ることはできませんでした。
ところで、高松は自転車王国です。大きな道路には、下の写真のように自転車専用レーンが設けられています。
高松市内 自転車専用レーン(右側)
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