雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

米沢

2007-09-23 00:06:50 | 旅行
実は今回の旅行で、当初米沢に立ち寄る予定はなかった。最終日の9月3日は山形市で昼食をとり、山形新幹線で直接東京に帰るつもりで、切符もそのように予約していた。山形市での昼食は山形牛である。

ところが、「たびまる」で調べると、山形県で有名な牛肉は、山形牛ではなく米沢牛である。そしてその米沢は、山形市から東京へ帰る途中にあることがわかった。

そこで、山形市を予定より早く出発し、米沢で途中下車し、米沢牛を賞味してから予定の山形新幹線に乗車するよう、予定を変更したのである。


当日の朝、蔵王温泉からバスで山形市まで下り、山形駅で米沢までの自由席特急券を購入し、米沢に向かった。

米沢といっても、実は何も調べていない。
米沢に着くと、まずは改札口近くで米沢市内の案内チラシをゲットした。米沢牛のおいしいところを探す。チラシとたびまるを見比べ、まずは駅の近くに「肉の大河原」という店があることを確認した。明治23年創業の老舗店ということだ。
荷物を駅のコインロッカーに預け、歩き始める。「肉の大河原」はすぐに見つかった。店は古い木造家屋である。案内を請うと、食事はその木造家屋、土産の発送はその隣の建物であることがわかった。まだ昼食時間には早いので、取り敢えず土産の発送だけこの店で済ますこととする。
妻の実家と私の実家に、ヒレステーキを宅配で送ることとした。1人前100gを人数分である。


チラシの地図によると、市内にはお堀で囲まれた上杉神社があるようだ。そこまで歩くことにする。
ところが、かんかん照りの日差しである。暑さにやられてしまった。日陰を探して歩くのだが、道の両側の家がまばらで、陰があまりできないのだ。

米沢の街は区画整理がなされ、東西南北に碁盤の目のように道路が整備されている。その道路がまた広い。どの道路も、片側1車線でセンターラインを十分に引くことができる広さである。
ところがその道路に、自動車が走っていないのである。人も歩いていない。実に閑散とした市街なのであった。

右下の地図の右端が米沢駅である。そこから旭町通りを歩き、相生橋をわたってすぐを今町通りの南を走る道路にそれ、東寺町下通り、弁天通りと免許町中横通りの間の道、大町通り、(ここからは左下の地図)県社通りと歩いて上杉神社に到った。
 

上杉神社に着いた。


神社の説明書きを見て、米沢が実に多くの歴史上の人物と関係していることがわかった。

まず、伊達政宗が実は米沢発祥だということである。

次いで、関ヶ原の戦いの後、上杉藩が会津若松から転封でこの米沢に移っていた。
そして江戸時代、最近になって名前が知られている上杉鷹山が、ここで藩主となるのである。
上杉神社の入り口には鷹山の銅像が建っている。


  

右上の説明書には、鷹山について説明が書かれている。

実は私も最近まで、上杉鷹山の存在さえ知らなかった。
戦前は偉人として学校で教えられていたが、戦前に教えられていたことが災いし、戦後は意図的に無視されてきたらしい。それでわれわれは知らないのだ。
ところが上の説明書きにあるように、アメリカのケネディ大統領が日本記者団の質問に「日本の政治家で最も尊敬するのは上杉鷹山である」と答えたらしい。日本の記者たちが鷹山を知らなかったのでうろたえたそうである。

銅像のそばには、左上写真のような石碑が建っている。
この格言ならばもちろん知っている。
「なせば成る なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の なさぬなりけり」
この格言が鷹山のものだったとは知らなかった。


昼食の時間だし疲れたので、牛肉のお店へ行くことにする。
チラシとガイドブックによると、上杉神社の近く、花岡町通りを南に下った左側に、「吉亭」という店がある。そこへ行ってみることとした。この店の特徴は、ガイドブックによると「国の有形文化財にも登録された風格ある建物」ということである。
  

ヒレステーキを注文して食した。
食べ比べたわけではないからわからないが、最初に寄った「肉の大河原」の方が良かったかも知れない、との感想であった。


食べ終わり、タクシーを頼んで駅に戻った。

予約した新幹線まで1時間以上ある。1本前のつばさに間に合う時間だ。そこで、早い列車に予約変更することにした。
最初の予約は駅ネットで予約しており、割引になっている。その割引が効かなくなるので、乗車区間は山形-東京から米沢-東京と短くなるのに、増額になってしまった。


駅の待合室で市街のチラシを見ていたら、興味深いものを見つけた。左上の地図の右上端に、「我妻栄記念館」と書かれているのである。
帰ってから調べたら、我妻栄先生は米沢出身なのであった。その生家が取り壊されようとしたとき、有志が立ち上がって募金し、その生家を保存して記念館を設立したということだ。必要な4000万円の資金のうち、個人と企業から2800万円を集め、足りない1200万円は行政が出したそうだ。

我妻栄先生は民法の大家で、私が弁理士試験に合格した頃(平成7年)には民法の基本書として先生の「ダットサン民法」を使っていた。その後絶版になったが、最近また別の出版社から復刻されている。水道橋の丸沼書店にいくと平積みになっている。
ロースクールに通う子供に聞いてみたら、実務ではまだダットサン民法が使われているらしい。おそらく、ご年配の裁判官が我妻栄先生の著書で勉強したので、その裁判官にフィットした主張をするために必要なのであろう。

民法フェ千が訪れるべき旅行先として、宇奈月温泉(宇奈月温泉事件)に加え、我妻栄記念館を訪問すべきであろう。
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