雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

6月25日 パリ→モンサンミッシェル

2014-07-16 20:46:50 | 旅行
ホテルで朝食をとった。朝食レストランへ行くと、何ということだ。ほとんどが日本人ではないか。このホテルは日本人に占拠されたのか!
しかし、本日の我々の朝食時間が早かった。翌々日、もっと遅い時間に食堂に行ったら、日本人はあまりいなかった。独特のジャパニーズタイムがあるようだ。

本日は、パリを発ってモンサンミッシェルへの1泊旅行に出かける。明日の夕方にはまたパリに戻って同じホテルに滞在するので、スーツケースはパリのホテルに預け、身軽になってモンサンミッシェルに出かける。

モンサンミッシェルまでは、モンパルナス発10:05の特急でレンヌまで行き(レンヌ着12:07)、レンヌからは14:25発のパスでモンサンミッシェルへ行く行程だ。ガイドブックによるとこのルートが標準ルートになっている。
実は、計画段階でHISの方から「1泊バスツアーがある」と聞かされ、それに申し込んだのだが、すでに満席で取れなかったという経緯がある。

モンパルナスまではメトロだ。オペラから乗り、マドレーヌで12番に乗ってモンパルナスに向かった。メトロを降りてから、鉄道のモンパルナスまで途方もなく長い距離を歩く羽目になった。明日は別のルートで帰ることとしよう。

モンパルナスを出発した特急は、途中ルマンに停車する。ところが、特急はルマンに停車したきり、いつまで経っても発車しない。何かおかしい。
周りの乗客に英語で問いかけてみた。すると、「先行する列車がファイアーだ」という答えだった。乗務員が来たので問いかけてみると、同じような答えである。乗務員には、レンヌで14時25分発のパスに乗り換えてモンサンミッシェルに行く予定であることを伝えた。

お昼時である。この様子じゃ発車はいつになるかわからない。まずは腹ごしらえだ。隣の車両がビュッフェだったので行ってみた。行列ができている。仕方がないので行列に並んだ。しばらくすると若者がペットボトルの水を配り始めている。駅に備蓄しているのであろう。行列の我々のところにもやってきたので、1本もらった。
やっと自分の番が回ってきたので、手真似を交えながら品物を選んだ。フランスパンに具をはさんだサンドイッチがあるようなので、それを1個注文した。大きさから、2人で1個で十分である。それとコーヒーを2杯頼んだ。

どのくらい停車していたであろうか。特急はやっとルマンの駅を出発した。予定していたバスには当然間に合わない。バスは我々を待ってくれるのだろうか。
先ほどの乗務員がやってきた。「レンヌ発16時45分のバスに乗るように。何とかかんとか(インフォメーションを意味するフランス語?)へ行け。」との指示である。結局、バスは我々を待ってはくれない。そして次のバスが2時間以上後になるということだ。

特急はレンヌに着いた。バスに乗るのだからと、まずはパスの切符売り場へ行った。そして、14時25分発の指定券を見せ、「特急が遅れて乗れなかった。16時45分発に乗りたい」と言うと、「この券は切符ではない」というわけのわからない返答だ。「お金を出して切符を買え」と言っているようだ。これではらちがあかない。
そこで、特急の乗務員が言っていたように、鉄道のインフォメーションへ行くことにした。インフォメーションに行くと、「バスの事務所へ行け」という。「そこにはもう行ってきた」と応えると、「それでは鉄道の切符売り場へ行け」という。仕方がないので鉄道の切符売り場へ行った。そしたらどうだろう。売り場のお姉さんは、我々の指定券の時刻をボールペンで消して、そばに「16:45」と書き加え、これでいいと言うではないか。唖然とした。
取りあえず、あとはバスの乗車時にこの切符を見せるしかない。

時間は十分にある。われわれは予定になかったレンヌ観光に出かけることにした。ガイドブックによると市街の中心は駅からちょっと離れている。見回したところ、メトロがある。メトロで3駅行けば観光の中心に行けそうだ。

レンヌとはどんな街だろうか。
ガイドブックを読んでいて今気づいたのだが、レンヌはブルターニュ地方の玄関口に当たるようだ。ブルターニュというと、ブルトン人、ケルト文化を思い出す。今の英国の正式国名は「大ブリテンと北アイルランドの連合王国」だ。大ブリテンがあるなら小ブリテンもあるはず、というその小ブリテンが、このブルターニュ地方である。フランスからの独立運動もあると聞く。
そういういきさつでブルターニュには興味を持っていたのだが、知らないうちにブルターニュに足跡を残してきたことになる。

ガイドブックによると、「1720年の大火や第2次世界大戦で歴史的建造物の多くが消失したが、旧市街には、被害を免れた15~16世紀の木骨組みの家並みが今も残る。」とある。
我々は、旧市街の北端にあるメトロ駅「サンタンヌ」で降りた。

《サン・ピエール大聖堂》
  
 
ガイドブックには「1944年に完成したネオ・クラシック様式の大聖堂。建設には57年を要した。内部はギリシアの神殿を思わせる円柱が祭壇部を取り囲む重厚な作り。」とある。

《木骨組みの家》
 
ガイドブック「レンヌは、15~16は世紀の木骨造りの家がブルターニュで最も多く残る町として知られる。」

駆け足で旧市街を回った。
取りあえず、サン・ピエール大聖堂を覗き、通りかかった木骨組みの家の写真を撮っただけで、旧市街南端の「レピュブリック」でメトロに乗ってレンヌ駅に引き返した。

《長距離バスターミナル》
 
レンヌはこの地方のターミナルであるようだ。長距離バスターミナルは立派だった。切符の一件があるので、本当に乗れるか一抹の不安があり、出発時刻よりも早くバス乗り場に到着した。バスが満席でなければいいが、乗客がオーバーしたらわれわれが閉め出される可能性がある。
バスが到着した。バスの運転手に件の切符を見せて乗車したが、何の問題もなかった。
バスは16時45分レンヌ発、18時モンサンミッシェル着の予定だ。

バスはモンサンミッシェルのバスターミナルに到着した。ここからはシャトルバスに乗り換える。運転手に宿泊ホテルを聞かれたので「ルレ・サンミッシェル」と答えると、2番目の停留所で降りるようにとのことだ。
ホテルは、下の写真にあるように2階建てで、1階がフロントとレストラン、2階が客室になっている。ほとんどの客室がモンサンミッシェルに面したベランダを持っている。もちろん我々の部屋もモンサンミッシェルに面している。下の写真はそのベランダ側を撮った写真だ。

《ホテル ルレ・サン・ミッシェル》
 

まずはホテルのレストランで夕食をとることにする。モンサンミッシェルが見える窓際の席に案内されたのだが、そこはかんかん照りの太陽が照りつける暑い席であった。
ガイドブックによると、モンサンミッシェルの島には有名なオムレツがあるという。「口に入れるとふわっと溶ける独特の食感」とある。
このホテルレストランのメニューにもオムレツが2種類載っていた。そこでその2種類のオムレツを頼んでみた。そのうちの1種類は、周囲が泡だったふわっとしたオムレツだった。これがその有名なオムレツなのだろうか。

夕食の後、外へ出た。
近くにスーパーがあるはずだ。シャトルバスで1つ手前の停留所のところだ。モンサンミッシェルから帰ってくるシャトルバスが来たので、手を上げたが止まってくれなかった。近くを歩いていた男性が「どこへ行くんだ」と聞いたので「スーパーに行く」と答えたところ、「スーパーは歩いて2分だ」とのことだ。仕方がないので歩いて行くことにする。
スーパーに着いた。しかし開いている様子がない。見たら20時で閉店とある。外はまだ明るいのだが、すでに20時を過ぎていたのである。

ホテル方向へ戻りつつ、流れている川の堤防に上がってみた。河口付近であり、川幅が広い。下降の近くに防潮堤が見える。その防潮堤に行ってみた。するとそこは、目の前にモンサンミッシェルを望むことのできるビュースポットだったのだ。

一度ホテルに帰った後、そろそろ夕日の時刻であろうと、また防潮堤へ出かけた。西の空にまだ太陽は出ているが、日差しは弱々しい。残念ながら“夕日に映えるモンサンミッシェル”の写真をゲットすることはできなかった。

ホテルに戻り、部屋のベランダに陣取った。
空は快晴なのだが、地平線近くに雲がある。太陽がその雲に隠れる直前を撮っておいた(下写真)。
《モンサンミッシェルの夕日》
 

夜のとばりが降りると、目の前はるか遠くのモンサンミッシェルに灯りがともる。何とか良い写真を撮ろうとシャッターを押し続けたが、満足の出来ではなかった。
《モンサンミッシェルの夜景》
  
 

本日のワールドカップは地元フランス対エクアドル戦だ。試合前の時点でフランスはまだグループリーグ突破が決まっていない。しかし、この日の対エクアドル戦で6点以上の大差で負けない限り、フランス突破が決まる。
試合はフランス時間夜10時から始まった。明日の朝は日の出時のモンサンミッシェルを眺めるため早起きする予定なので、試合途中で寝てしまった。

戻る                            続く
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