雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

寝台列車オーシャン号

2016-07-10 12:40:21 | 旅行
6月10日にモントリオールに半日滞在した後、次の目的地はプリンスエドワード島だ。
われわれは、モントリオールからプリンスエドワード島のシャーロットタウンまで、次のような交通手段を選んだ。
6月10日モントリオール19:00-夜行・オーシャン号(車中泊)
6月11日-17:51ハリファックス着(ハリファックス泊)
6月12日(日)ハリファックス8:20-AC750-8:56シャーロットタウン

寝台列車オーシャン号(The Ocean)は、モントリオールを19時に出発したら、終着のハリファックスに到着するのは翌日の18時前だ。まる24時間近く、同じ列車に乗っていることになる。
われわれが利用するのは、二人の個室だ。
  
個室の座席                           個室の座席対面

寝台セット前は、左上写真のような座席になっている。個室は狭く、前の壁(右上写真)が迫っている。また、この座席の座り心地が悪い。座席の奥行きが少なく、どっかと座れないのだ。翌日の昼間はずっとこの椅子に座ってハリファックス到着を待たなければならない。
寝台は座席の背中に収納されている。日本の寝台列車と異なり、下の寝台も座席とは別に用意されている(左下写真)。さらに上の寝台をセットすると、もう寝台に横になるしかない(右下写真)。
  
下寝台をセット                         上寝台もセット

この個室は、シャワー兼トイレが設置されているのが特徴だ。期待して覗いてみたら、左下写真のような状況だった。シャワーを使ったら、トイレを含めて全体がびしょびしょになる。結局、シャワーは使わずじまいだった。また、通路が極端に狭い(右下写真)。人と人が行き違えないのだ。日本の寝台特急あさかぜの通路はもっと広かった。
  
個室のシャワー兼トイレ                     個室脇の通路

  
サービスカー                          食堂車

まるまる一昼夜滞在するこの列車で、食事は食堂車で供される。時間は二部制で、あらかじめ希望する時間帯を選択する。われわれの車両から食堂車までは、延々と長い距離、あの狭い通路を歩いて行く必要があった。サービスカー(左上写真)の次の車両が食堂車(右上写真)だ。
出発した直後、まずは夕食だ。出てきた食事が冷たいのにはびっくりした。電子レンジでチンするだけで良いのに、なぜ冷えた食事を出すのだろうか。それと、デザートのシュガーパイがめちゃくちゃ甘かった。シュガーのかたまりである。
しかし、翌日の朝食はちゃんと温かい食事が出てきた。昨日の夕食は何だったのだろうか。
昼食では、昨日のシュガーパイが甘すぎたので、それとは別の小さめのケーキを選択した。それがまたとびきりの甘さであった。カナダの人たちはとびきりの甘さが好みなのだろう。日本風の「甘さ控えめ」とは無縁の世界であった。
食堂車の厨房には、陽気なウェイトレスさん(左下写真)やコックさん(右下写真)が働いている。
  
ウェイトレスさん                        コックさん

このオーシャン号の最後尾には、「ドームカー」なる車両があるらしい。下の説明書の表紙に見られる。われわれは行かなかった。
 
オーシャン号の説明書

列車は11日夕刻、ハリファックスの駅に到着した。外から見たオーシャン号の客車写真を撮影した(左下写真)。機関車はとてつもなく大きな機関車が2両連結していた(右下写真)。
  
オーシャン号の客車                       オーシャン号の機関車


今夜宿泊するホテルはハリファックス空港のすぐ近くだ。駅から空港まで移動しなければならない。ガイドブックによると、ダウンタウンから空港までは、マリタイム・バスが運行するハリファックス・エアポート・エクスプレスががあるはずだ。22時まで運行しているという(片道$22)。駅舎の横に、マリタイム・バスのカウンターが見つかった。しかし、係員が言うには、本日はもう終わったという。考えてみれば、3人でバスで行くのもタクシーで行くのも運賃は変わらないだろう。ということでタクシーを利用することとした。
駅の近くにスーパーがあったので、まずはスーパーで買い物を済ませ、駅前からタクシーに乗った。
タクシーの運ちゃんはアフガニスタン人だと名乗った。当方が日本人だというと、その運ちゃんはおかしなことをしゃべった。「アフガニスタンは1919年に独立した。日本も同じ年に独立した。」というのだ。当方は「日本は昔から独立国だ。何かの間違いだと思う。」と答えたが、一体どんな勘違いなのだろう。
ホテルに着いてからネットで調べて謎が解けた。例えばこちらの記事である。
『アフガニスタンがイギリスから独立した都市が1919年8月19日。
そして、日本が日英同盟を破棄した日が同年1919年の8月17日でした。
要するに、アフガニスタンの人たちは、アフガニスタンの独立の日において、近い日に日本が日英同盟を破棄したことを日本が同様にイギリスから独立した日だと思っている人が多いそうです。』
日英同盟破棄は英国からの独立ではないし、実際に日英同盟を破棄した年は1919年ではないけれども、アフガニスタンの人は日本のことをこのように記憶していることがわかった。

翌6月12日、下記の飛行機を利用し、プリンスエドワード島のシャーロットタウンまで飛ぶ。
ハリファックス8:20-AC750-8:56シャーロットタウン

飛行機を見てびっくりした。下の写真にあるような、小さな双発のプロペラ機だった。
 

私の席は前から2番目だった。操縦席と客席の間は開放でよく見える(左下写真)。後ろを振り返ると、左右に1列ずつで、合計20人程度の定員であろうか(右下写真)。

  
客席から操縦席                         座席から後方を見る

ハリファックスのあるノヴァ・スコシア州は、カナダの大陸から張り出した半島にある。その北にプリンスエドワード島がある。ハリファックス空港を離陸したときは雨が降っていたが、半島と島を隔てる海まで出ると、雲が切れて島が見えてきた。飛行機は真っ直ぐに空港へ向かっているようだ。
操縦席前の窓から、空港の滑走路が見えてきた(左下写真)。そして滑走路へ無事に着陸である。扉を開けて前へ倒すと、扉がそのままタラップの階段となる(右下写真)。
  
着陸態勢~滑走路が見える                    スチュワードが扉兼タラップを開ける

  
シャーロットタウン空港で飛行機から降りる

こうして、シャーロットタウン空港に降り立った。

戻る                            続く
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