京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京の三番方」

2016-09-29 09:28:36 | 時計修理

9月29日赤口木曜日。いつの間にか星座はてんびん座に移っていました。
優柔不断別の見方で言えば慎重な星座に時計師も慎重になります。
「三番方の仕事」
私が育った長崎・高島炭鉱ではフル操業の時代に育ちました。8時間勤務の3交代制で一番つらいのが夜中の12時から朝の8時までの勤務の三番方。
「僕は三番方だからね~!」と警察官だった父親はいつもぼやいていました。犯罪や事故が多い炭鉱町のこと事故、事件は夜半に起きるので叩き起こされるのだ。

世の中、京都には特に三番方の人を送っている人が多い。浮かばれない人生だ。
昨日、「京都ぎらい」を読んだ。
「男のへんねし(やきもち)はみっともない!」というのが私の感想でした。
矛盾だらけの本。
京都の紹介本だったら柏井壽氏の本で十分。時計ならロレックスで十分。

「京都ぎらい」の中で2つびっくりした。
一つは三井寺の生臭坊主の紹介があった。「祇園の花街は坊主で持っている」と祇園遊びで豪語しているとか?法衣をつけたたまま祇園に繰り出す京都の坊主が気にくわないようです。
京都市内の寺社ではなく、大津にある三井寺のお坊様を取り上げるのが生活の知恵か?ちょっとずるい気がする。

私の知人も法衣を着て上七軒や祇園で待ち合わせにやってくる。
私たちはさすがにお茶屋さんにはスーツ、ネクタイで正装していく。僧侶の正装は法衣だ。
今まで別に違和感がなかった。
震災や災害のあとのボランティアでお疲れさまの慰労会。昔なじみの友人たちが集まります。
 学生時代の40年前、アルバイトのお金が入ると祇園の山口大亭、河原町の焼鳥・里に集まった仲間たちです。
彼の信玄袋からそっと渡される壊れた遺品のG-SHOCK。「何とか修理して遺族に渡したいけど?」
激しい壊れ方も見ると友人の仕事がおおよそ理解出来る。今の時代、寝て半畳、起きて半畳つらい三番方の職業です。
私の苦しみなど及びもつかないつらい人生を送ってきたようだ。

そんなお坊様も人間なのだ‼昔なじみの友人と一緒に祇園で飲んで何が悪いか!と思う。
また、京都では托鉢の僧がいる。器に入れるお金は100円から500円が相場です。
その器にいきなり一万円札を入れた際、僧の顔色が変わったそうだ。「一万円札ほどで顔色が変わるならまだ修行が足らない!」と責める。
私なら泣きたくなるほど悲しい顔をしたと思う。
一万円札がないばっかりに自殺してしまう人を見送ってきた僧の顔が変わるのは当たり前だ。人の心をもてあそぶつらいことをする人たちなのだ。
市バス46系統で通学する佛教大学の学生さん達の美しい眼に見とれてしまうことがあります。
私たちも昔はこんなきれいな眼差しをしていたころがあったのか?と反省します。


もう一つ。京都では皇室関係者が上洛する際の警備渋滞に困るそうだ。
私が戻ってから14年間西陣で住んだが皇室の警備渋滞に出会ったことがない。
巡行の際の皇室関係者は京都駅から御所まで烏丸通り、川端通りを北上する。
ご存知のように京都駅から烏丸通りを北上するバスはない。すべて地下鉄利用優先の交通事情があるので市民の渋滞被害はない!
スッポンポンで走り回る京都マラソンのほうがよほど迷惑だ。

著者が育ったのが京都西の嵯峨という。大人になって京都市内でいけずにあったことをつらつらか書きなぐっているが、それなら長崎・高島炭鉱で育った魚臭い私が京都でいけずに遭うほうがよほど想い出に残っているはずではないか?
私はよそさん!どうせ永久に三番方なのですよ~ん。

がっかりなのが私と著者は同じ年齢だということ。
同郷の長崎生まれでは5歳のころ渡英した「日の残り」作家のカズオ・イシグロも同じ学年だ。
時間を使うならこちらをお勧めしたい!

昭和30年生まれは三番方だ。団塊の世代が気持ちのいい一番方、昭和28ニッパチ組が二番方でバブル世代。
私達は打たれ強い三番方!もうちょっと人にやさしい生き方をしたいものですね~。
 10月九日の日曜日は坊主も医者も時計師も正装で集まるので工房は6時に閉めます。
お早めにご利用ください!









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