チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「やぎさんゆうびんが45年ぶりに届けたMLB三冠王の便り/ミゲル・カブレラ」

2012年10月05日 16時17分36秒 | 野球新陰流(上泉偐勢守のホウボウ剣
ボストン・レッドソックスは今期、AL東地区で最下位に終わった。
マウンドで哀れな松坂大輔の肩を叩いたボビーも首を切られた。
かつて、この球団の中軸打者だった、
"Yaz"(ずんのやす、ではない)こと
Carl Yastrzemski(カール・ヤストレムスキ、1939-)は、
1967年に三冠王となった。以来、昨期まで、
44スィーズン、NLリーグも含めて三冠王は出てなかった。
(cf;「最後の三冠王カール・ヤストレムスキー/背番号8」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ec27949abb28a448d37e2a7a17f2fd0a)
Yastrzemskiというサーネイムは、同人の祖国ポーランドの言語で
Jastrzeb+所属を表す生格の語尾変化に由来する-skiから成る。
Jastrzeb(ヤスチャレンプ、eはオゴネク附きで鼻母音)、あるいは
jastrzab(ヤスチャランプ、あとのaはオゴネク附きで鼻母音)は、
「鷹」を意味する。祖先が
鷹匠あるいは鷹のように強い男だったか、である。

さて、
今期、ディトロイト・タイガーズ所属の
Miguel Cabrera(ミゲル・カブレラ、1983-)が、ついに、
その長い空白を破ってしまったのである。
同選手はベネズエラ生まれである。私が
大嫌いな中南米スタイルのbaseballをする打者である。
スウィングしたと同時に利き腕の右手をバットから離す、
胸糞が悪くなる撃ちかたをする。体つきも
筋肉団子のような気持ち悪さである。だから、
野球に関しては特段触れることはない。が、
ガキの頃からのMLB好きの私にとっては、
それがたとえどんなに虫が好かない選手でも
「三冠王」になられた以上、
避けれない話題なのである。で、このエントリのカテゴリは、
「野球新陰流(上泉偐勢守のホウボウ剣」というよりは、
「語彙のヴェネズウェイラン・ロック、ゴウ、ゴウ」である。

Cabrera(カブレラ)というサーネイムは、
日本野球の助っ人外人にも何人かいるように、
スペイン語圏でありふれたものである。その元は、ラテン語の
Capra(カプラ)、つまり山羊である。
山羊は乳が出るだけでなく、
山岳地帯でもそのでかい角をものともせずに
"飛び跳ねる"ほど重宝だったので、古来から
"家畜"にされてきた。ちなみに、
その"はねるのトび"姿の連想から、ではなく、
その長くてクルクル"不規則"に曲がる角のさまから、
英語のcaprice(カプリース=移り気、気まぐれ)、
イタリア語のcapriccio(カプリッチョ、同)、
英語のcaper(ケイパー=跳ね飛ぶ、跳ね回る)
などが派生した。
(cf;「チャイコフスキーがメトロノーム速度を初めて譜面に採りいれたのは『イタリア奇想曲』」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/3ba9fb18218cc85b27d24bf59612db8e)
ちなみに、
山羊はイタリア語ではcapro(カプロ)だが、日本語のカムロ、カブリも
同源なのではないかと私は推定してる。
ヅラをカブルと中が蒸れてカブレルのである(※)。ちなみに、
capraから派生したサーネイムはスペイン語圏に限らず、
ラテン語圏にはかなり見られる。イタリア語だと、
スィチーリヤ島出身の米国映画監督
Frank Capra(フランク・キャプラ、1897-1991)はそのまんまだし、フランス語だと、
国家公務員兼作曲家で「スペイン狂詩曲」がその代表作である
Emmanuel Chabrier(エマニュエル・シャブリエ、1841-1894)の
ChabrierもCapriからの派生である。

ともあれ、
シカゴが地盤の大きい政府民主党オバマが公的資金注入したことへの
マサチューセッツ州知事あがりの共和党ロムニーの呪いはあってもさすがに、
Curse of the Billy Goat(カース・オヴ・ザ・ビリー・ゴウト=山羊キチ・ビリーの呪い)
はないとは思うが、45年の歳月を隔てボストン経由ディトロイト便で、
クロヤギさんから「三冠王誕生」のお手紙が着いたのである。いずれにせよ、
クロヤナギさんから中共の侵略外交の駒である
パンダは届けられなくてよかった。ちなみに、
ラテン語でpanda(パンダー)とは、
動詞pandare(パンダーレ=曲げる)の命令法二人称単数現在形で、
「曲げろ」「膝を折れ」「屈服しろ」(=罪人らしく跪いて罪を認めろ)
という意味である。本当に日本人なら、
中共のプロパパンダに賛同してはいけない、仙台市長女史。とはいえ、
ジャン・コクトーと広告塔は聞き分けれても、
エディット・ピアフと海老とピラフ、それから、
デトロイトとステロイドを聞き分けれない、
拙脳なる私に意見などというものはない。ただの感想アワビである。
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