チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「右バッターボックスの最後隅から/ロジャーズ・ホーンズビー没後50年」

2013年01月05日 23時27分03秒 | 野球新陰流(上泉偐勢守のホウボウ剣
[Standing deep in the batter's box and far from the home-plate]

この頃感じること。
JRA渋谷Winsの客数がおそろしく減ったこと。
ことに若者はほとんどいない。
不景気と若者の可処分所得減だけでなく、
ネット購入システムの充実ということがある。もうひとつ、
靖国神社に参拝する若者が驚くほどに多くなったこと。
九段や市谷方面に用事があると靖国に立ち寄るのだが、
他の神社と比べて参拝者の20代日本人とおぼしき若者の率が
半端なく高くなった。私のようなオッサンがむしろ
場違いなとこに来てしまったと感じるほどである。
数年前に周辺に喫茶店がなくなってしまってて
オッサン二人で渋谷のサイゼリアに間違って入ってしまったときの
バツのわるさに近いものがある。
AKB48の板野友美女史と島崎遥香嬢が元旦に
振付の女性と靖国神社で初詣したらしい。それに対して、
近隣反日連中がネットで批判してるということである。が、
板野女史はそのブログでコメントを受け付けてる。よく、
タレントのくせに、ブログを立ててるくせに、
コメントを受け付けてないのがいる。
そういった輩に比べてはるかに立派である。

近代ベイスボールのプレイアーとして、
おもにセント=ルイス・カーディナルズで、
本塁打王2回、打点王4回、首位打者7回、
という立派な結果……
とくに1920年代の前半にはMLB史上初の
三冠王2回(2度は他にテッド・ウィリアムズだけ)……を残した
Rogers Hornsby(ラジャーズ・ホーンズビー、1896-1963)の
今日は没後50年にあたる日である。
4月ながらテクサスのウィンターズ生まれで、
2歳のときに父親が死んで、
オースティン、それからフォートワースに移った生粋の
テキサス野郎である。野球が巧いガキだったが、
当時のメイジャー・リーグのフランチャイズは
米国の北東部に集中してて、
セント=ルイスが最西端かつ最南端の町だった。
そのカーディナルズに1915年、19歳のホーンズビーは入団して、
のちに輝かしい成績を残すことになった。
プレイアー=マニジャーとしてワールド・スィリーズ優勝にも導いた。

ホーンズビー(右打ち)のバッティングの特徴は、
バッターズ・ボックスの最後端にして
ホウムプレイトから最遠の位置に右足を据え、
そのやや左に置いた左足をバッターズ・ボックスの
中心あたりに大きく踏み込んで打つ、
というものだったようである。こういうバッティングは
なるほど少なくとも打率は取れるとは思う。
1スィーズン40本以上もこの時代に打てたことがあるのが
驚異である。が、ともあれ、
私にとってはあまり好みではない打ちかたである。

Cardinalだったが、皮肉にも
cardiacな問題を抱えてた。
監督引退から1デケイドの1963年、
心不全で入院して約1か月、
シカゴのウェルズリー記念病院で
66歳の生涯を終えたのである。
生前に買い取った
テクサス州オースティンの広大な
"Hornsby Bend(ホーンズビー・ベンド=ホーンズビー水路)"
の中の墓地に母親やレインジャーらホーンズビー一族とともに
埋葬されてる。ちなみに、
Hornsbyというサーネイムは、イングランドの
「エデンの園」を表す土地の名という説もある。
私は訪れたことはないが、
その墓地のことは、メイジャー・リーガー掃苔家の
向井万起男著「米国の歩く影と、どうでもイイ話」(朝日新聞社刊)
のp208乃至p211に「ホーンズビー・ベンド巡礼」として
描かれてる。この人のメイジャー・リーガーの趣味は私は
合わないが、現代人のエッセイストとしてはこのうえなく面白い。が、
朝日新聞というウソ・ツキジデス史観に満ちた
貶日反米マスコミで連載してたせいか、この人物のエッセイにしては
この文章に面白みはあまりない。ちなみに、
2007年製作の米映画、
"The Jane Austen Book Club(邦題=ジェーン・オースティンの読書会)"
の中で、高校のフランス語の講師プルーディーが
「(私の夫は)オースティンをテキサス州のオースティンかっていう人よ」
と、その教養のなさを憤ってたスィーンがあった。が、
私はむしろ、「Austin Powers」が俎上にあげられてないことのほうが
不自然だと思った。ともあれ、来る1月28日は、
モームや漱石も絶賛した"Pride and Prejudice
(プライド・アンド・プレジュディス=(一般には)高慢と偏見or自負と偏見、
(拙大意)取りすまし屋の彼とひがみ屋の私)"が
そのタイトルで出版されてから200年にあたる日になる。
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