池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

クリスマスも近くなって

2020-12-12 09:28:49 | 日記
先日、特別融資の申し込みに行ってきた。
このコロナで、どうもこうも、まったく仕事がストップしており、生活に四苦八苦。
持続化給付金のおかげで何とか生き延びているが、それも限界に近い。
ということで、何とか融資で厳しい状況を切り抜けようというわけ。

話を終えて外に出ると、もう年末だな。
でも、いつもの年と比べて、やはり寂しい。
こんな流行病が巨大な「兵器」になることを知ってしまった人類は、これからも騙しあいをしながら、あの手この手を考えるのだろうな。敵を倒すために。
だが、そもそも「敵」って何よ?

帰り道、コンビニに寄って、今夜の酒とつまみを買う。
店内で「諸人こぞりて」が流れている。
虚しい感じ。いまや世界中で諸人がこぞらないように感染対策をやっているというのに。

今年はどんなクリスマスになるやら。

クリスマスといえば、この前出した動画をぜひ観てください。ほっとします。
サンタクロースの原型である聖人二コラの祭りを題材にしています。
この原作は、デジタルブック『十九世紀巴里短編集(二)』に入れています(キンドル)。




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穴倉時間

2020-12-11 16:32:17 | 日記
私は、そのことを知り合いの弁護士に相談した。
その弁護士は、名前をNといい、私の同級生だ。
大学時代に同じ実験室で作業した仲間である。
彼は大学卒業後に就職せず、エンジニアの道をあきらめて、司法試験にチャレンジした。たしか、二回目の受験で合格したはずだ。
私とは気が合い、よく一緒に食事をしたものだ。

Nは、私に知り合いの興信所を紹介した。
「そこの社長はよく知っているから、オレの方から電話しておくよ。たぶん、一回、インタビューに行ってもらう必要があると思う」
「ありがとう。でも、そういう調査って、高くつくのか?」
「オレからの紹介だったら、お友達値段にしてくれるだろう。もしかしたら、タダでやってくれるかもしれない」Nは、ふふふと鼻先で笑った。

それから一か月も経たないうちに調査結果が出た。

Nから連絡があったのは、水曜日の夜だった。
メールで『調査の結果を送ってきた。いま俺の手元にある。もちろん開封はしていない。調査員がいちおう口頭で説明したいということなので、今週の土曜日あたり都合はどうだ? 場所は、うちのオフィスの会議室ということで。俺は同席しないけど』

同じ週の土曜日の午後、私は再び代々木にあるNのオフィスに行った。調査員は、私が入ってくるのを見ると、手で会議室の方を指さした。部屋に入ると、調査員は窓のシャッターを下ろし、私の真向かいに座って、封筒を差し出した。
「どうぞ、ご確認ください」

私は茶封筒の封を切り、中からバインダーに綴じられた書類と写真の束が入ったフォルダー、小さなUSBのメモリースティックを取り出した。
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穴倉時間

2020-12-09 11:07:44 | 日記
私はエスカレーターで地下にもぐり、高速道路をくぐって再び地上に出る。
歳末のショッピング街には人があふれている。
「どこか適当な飲食店に入って夕食をとり、それから電車に乗っても遅くない。どうせ妻は接待ミーティングで遅くなると言っていた」そんな気持ちでいたのだが、足はどんどんと前に進む。

五差路を横切って駅方面に向かう。人混みはさらに大きくなる。
ロータリー前で地下道に入る。自由な空間がまったくないほど、人だらけだ。
人と人とのわずかな隙間を泳ぐようにすり抜けていく。
背広姿の若い男が、不機嫌な顔で私の横を通り過ぎた。
その瞬間、私は小さな声を漏らして立ち止まり、後ろを振り返った。
その男が、私の息子の顔写真にそっくりだったのだ。
私は踵を返してその男を追いかけたが、あふれるような人波の中で、すぐに見失った。
ちょうど首筋が痛み、目がかすんでしまったことも災いになった。

実は、二年前から、妻のもとで育った息子のことが気になっていた。
妻の父親は地元で手広く商売をしており、地元の有力者でもあった。妻は、私と離婚して故郷に戻ってから父親の手伝いをやりながら子供を育てた。
その父親と妻が二年前に相次いで他界した。
詳しい事情はわからないが、それと同時に家業も破綻したようだ。

その話を人づてに聞いて以来、息子のことが気になって仕方がない。
もうとうに社会人として働いているはずだが、どうしているのだろう? 一度会ってみたいという気持ちが日に日に高まっていった。
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穴倉時間

2020-12-08 13:43:27 | 日記
その日は、年末のあわただしい時期の金曜日の午後だった。急に、東池袋のサンシャインシティに打ち合わせに行くことになったのだ。
本来、私はその客先と何の関係もない。オフィスで私の部署の隣にいる開発グループの顧客である。ところが、そのグループでリーダーをやっていた主任が交通事故で入院した。続いて、担当課長も持病が悪化して手術を受けることになった。それで、約束のミーティングに行くはずの人間がいなくなったのだ。

もちろん、若い副リーダー格の誰かが代理で行くべきなのだが、会社の方としては、誰か上の役職の人間も同行しないとまずいという結論になった。他のグループは、厳しい納期に追いまくられて仕事をしていた。私が担当するグループは、ちょうど端境期で、比較的余裕があった。そんなわけで、私に声がかかったのだ。

それに、私は、社長や重役からは「客あしらいの上手な男」と見られていた。しかし、実際はその逆だった。私は口下手だったし、酒の付き合いもできなかった。救いだったのは、課長にしてはやたらと老けていたことだ。客先に人間も、大人しい老け顔を相手に乱暴な議論をするのは避けてくれたのだろうと思う。

今回も、同じ手でいくしかない。つまり、客にしゃべるだけしゃべらせて、「では、社に持ち帰って検討させていただきます。お返事はなるだけ早くいたしますので」と言って引き上げるのだ。

実際に、当日の進行はその通りになった。技術本部の三人を相手に、細かい話は同行した副リーダーに任せ、私は金額やスケジュールのことについてだけ、用意した資料をもとに、ごく曖昧な受け答えをしただけで、後の全ての時間を相手にしゃべらせた。相手にしゃべらせるには、それなりにコツがあるのだが、そのあたりは年の功だ。

三時から始まったミーティングが終わったのは六時過ぎだ。
このまま直帰にしてしまおう。
地下鉄駅へ下りる階段の入口で、私は副リーダーの肩をぽんと叩き、別のお客さんところへ顔を出してくるという理由をつけて別れた。
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穴倉時間

2020-12-07 07:41:32 | 日記
時は、どんどん過ぎていく。

私の頭髪は、次第に白くなってきた。
メガネを使う頻度も増えた。
仕事の馬力が衰え、物忘れが日常的になり、口のあちこちに入れ歯が入る。

それでも、会社では、それなりに一目置かれる存在にはなり得ていた。重役に直接進言できる立場にあった。ただし、肩書きとしては、ずっと課長のままであり、私より後に入社してきた新卒プロバーが部長クラスになっていたが、そのことは全く気にならなかった。現場の中で忙しく働くことが大好きだったから。

幸いなことに、大した病気もしなかった。ただし、あちこちの関節がときどきひどく痛む。これは、あの紳士と会った日からずっと抱えている持病のようなものだった。リューマチを疑い、いろいろと精密検査を受けたが、まったく問題は見当たらない。
「おそらく、精神的なものが関係しているのでしょう」と医者は口をそろえて私に言った。

私生活では、大きな変化があった。
再婚したのである。
相手は、私よりずっとまっとうにエンジニアの道を歩んできた女性だ。
マンションの自治会で知り合い、互いに独身で、似たような業界におり、働き場所が同じ臨海地帯(彼女のオフィスは豊洲にあった)ということもり、すぐに親密になった。

結婚に当たって、我々は二つの条件を取り決めた。
一つ目は、年齢的に子供を作るのはあきらめることだ。
二つ目は、独身時代と同様に別々に生活し、互いに独立した会計を持つことだ。
共働き家庭が崩壊しやすいのは、互いの仕事に対する配慮が難しいせいだと二人は考えていた。それなら、別居を貫いた方がずっとうまくいくはずだ。
別居とはいっても、同じマンション内にいるのだから、会いたければいつでも会える。
適当な時期に、二人のマンションを売り、田舎に家を作って同居し、仕事と結婚生活を両立させるというのが二人の夢だった。


このころになると、もはや私の頭の中から、あの嫌な過去は消えつつあった。前妻との家庭生活や、三日間ホームレスとしてさまよったことなどは、遙か遠くの出来事だった。
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