池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

穴倉時間

2020-12-02 14:44:50 | 日記
私の頭には、誰の名前も浮かんでこない。
「その人、私の知人ですよね?」
紳士は、唇をきっと引き締めた。

「それも申し上げられないのです。ご依頼主からは、完全に名前を伏せてくれと固く言いつけられておりますので」
「それで、なぜその人は私を探そうとしているのですか?」

彼は、言葉を選びながら、ゆっくりと答えた。
「その方は、あなたを援助したいのです。あなたがいま厳しい状況にあることを知っていらっしゃいますから」彼は背広の内ポケットから手帳を取り出し、中から折りたたんだメモをつまみ出して広げた。「大変失礼ですが、少し身辺調査をさせてもらいました」

紳士は、控えめな表現ながら、私のプライバシーを次々に暴き始めた。

かなり前から失業状態であること。
借金がだいぶ残っていること。
金銭問題が原因で離婚したこと。
何か月も家賃を滞納しているため、大家が私のアパートに錠前をかけ、私を入れなくしたこと。
そのために、四日前からホームレス状態になっていること。

「それで」と彼はつづけた。「私の依頼主様は、あなたに立ち直りのための資金を提供したいとおっしゃっているのです」
「お金を?」
「ええ、まず借金を清算し、家賃をすべて払い、新しい職に就くまでの生活費も面倒を見るというご意向です」
「あなた、私をからかっていませんか? 今の世の中、誰がそんな金をただで他人にくれますか?」
「ごもっともです。でも、これは本当の話なのです。ご不審でしたら、ぜひ私どものオフィスにいらしてください。業界の老舗で、大手のクライアントがたくさんいます。実際に見ていただければ、他人をかついで面白がっているような暇な会社でないことがわかっていただけると思います」
コメント
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