池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

穴倉時間

2020-12-15 10:01:26 | 日記
その日から、息子のことをぼんやり考える時間が増えた。

興信所からもらった封筒は、本棚の隅に挟み込み、ときどき出しては、息子の写真を眺める。

やはり、自分にそっくりなのだ。父と子とは言っても、これほど似ていると、やはり感動のようなものを覚える。三十年以上も見ていない子供だから尚更である。

しかし、その息子の足跡がが、三年前から消えている。これはどういうことなのか? 真相が知りたい。
やはり、他人任せではなく、自分の足を使って調べてみる必要がある。そんな気になった。
週日は、帰宅して寝るまで、ネットで息子の痕跡を探す。
週末には、「図書館に行く」とか「休日出勤だ」といった言い訳を使って外出し、以前に息子と付き合いのあった人を訪ねて歩く。

調査を始めて一ヶ月くらい経った頃だった。
新しい情報が入ってきたのである。

電話してくれたのは、不動産屋だ。
息子が、借りていたマンションを退去した後、不動産屋と残金処理のことでやりとりをしたらしく、その書類が残っているというのだ。

翌日、私は、体調不良で病院に行くといって午前中を欠勤し、その不動産屋に駆けつけた。
不動産屋は、メモ書きと領収書がホッチキスで留められた書類を私に差し出した。
領収書には息子の名前が書かれ、印鑑が押されている。
メモ書きには、はっきりと住所と電話番号が記されてあった。

「もうウチには不要なものですから、お持ちになっていただいて結構です。ただ、内緒にしておいてくださいね」
不動産屋は、そう言ってにっこり笑った。

すぐにその電話番号にかけてみたが、「現在は使われておりません」というアナウンスが返ってきた。

最後の頼みは、ここに書かれたアパートだけだ。
その住所は大塚である。すなわち、池袋の次の駅だ。
「なんとも、不思議な結びつきだな」と私は苦笑した。
私は、破産して独り身に戻った時、丸の内線の新大塚駅の近くのアパートに引っ越した。
息子は、私が住んでいた場所の近くに移ってきたわけだ。
行動パターンが非常に似ている。これも「血」なのか。
コメント
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