池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

穴倉時間

2020-12-05 13:13:32 | 日記
数日後に、入社が決まった。

その会社は、若くて伸び盛りだった。全部で二十人にも満たない小さな会社ではあったが。
なにせ、社長が私と同じ年。専務も事業部長も課長も、すべて年下だった。
働かせてもらえるのはうれしいが、ちょっと気づまりかもしれないとも考えた。
しかし、実際に働き始めてみると、皆ざっくばらんで働きやすい職場だった。
というより、あまりに忙しすぎて、誰も年齢のことなどかまっていられなかったというのが本当のところだろう。

バブルがはじけて昭和が終わり、平成になり、日本経済はどんどん墜ちていく。
その中で、ほとんど唯一といってよいほど好調だったのがインターネットと携帯電話の業界だ。
その小さな会社は、その両方で開発をやっていた。私が採用になったのも、無線通信端末のソフトウェアについて少しばかりの専門知識を持っていたからだ。

こんな将来有望な会社に入れたのは、本当に幸運だったとしか言いようがない。
もちろん、ライバル企業も多く、仕事は目が回るほど忙しかったが、待遇に不満を持ったことはない。酒もたばこもギャンブルもやらず、仕事が唯一の趣味と言っていいくらいの独り者なのだから、仕事をさせてもらえるだけでありがたいのだ。
息子がまだ小さかったので、元妻へ毎月養育費を送金しなければならなかったが、それでも預金残高は着実に増えていく。一定の金額になったら、あの紳士に電話して、匿名氏からの借金を返済するつもりだ。

会社はどんどん大きくなっていく。辞める人間も多いのだが、それ以上に人を雇い入れるからだ。
北新宿の古いビルでスペースを増やすものの、すぐに手狭になり、品川へ引っ越すことになる。
さらに、ミレニアムを迎える頃には、同じ親会社を持つネット広告企業との合併が決まり、オフィスはお台場に移った。
さすがに通勤に少し難儀するようになったが、長年住み慣れた池袋を離れる気はなかった。すでに中古マンションをローンで購入していたからだ。
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