池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

穴倉時間

2020-12-01 11:15:42 | 日記
その時、私に呼びかける声が後ろからした。
振り返ると、さきほどの紳士だ。笑顔で私を見ている。
驚いたことに、その紳士は、私の名前を知っていた。

十分後、我々は丸井の向かいにあるクラシック喫茶にいた。

その紳士は、名刺を差し出した。
そこには、弁護士事務所と書かれている。

「弁護士さんですか?」
「いえ、私は単なる雇われの調査員です」
紳士はにっこりと笑ってコーヒーカップを手に取った。
きちんと刈り込んだグレーの頭髪。焦げ茶色のフレームのメガネ。黒い背広に白いシャツ、青いネクタイ。ありふれてはいるが、品がいい。隙がない。ネクタイの結び目はしっかりとシャツのカラーに食い込んでいる。

「びっくりされたでしょう、突然お声がけしたので」
紳士は、カップを皿に置きながら言った。
「どうして私の名前をご存知なんですか?」
「私どもに探してほしいと言うご依頼がありましてね」
「誰から?」
「お名前は申し上げられないのです。匿名にしてほしいということでしたから」

母親は一昨年に他界した。物心ついた頃から母一人で育てられたので、父親のことは知らない。母は、父のことに興味を持たないように、慎重に私を育てた。だから、父については興味がない。
他に、私のことに親身になってくれる親戚や知人も思い当たらない。
まさか、元の妻ではあるまい、あれほど憎みあって別れたのだから。
私は首をひねった。
コメント
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